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音楽性の違い・発声の違い [声楽]

この夏に地元の声楽関係の知り合い(Aさん)ができましたが、その後私の伴奏で歌っていただく機会が何度かありました。
Aさんは高校の音楽の先生をされていて、合唱指導ではかなりの実績のようです。(某音大声楽科出身)
何度か歌っていただいたうちの一つは前日に曲が決まり、しかも細かい注文が多く、非常に大変な思いをしました。他の曲の伴奏は私もある程度弾き慣れたものでしたし、そんなに難しくないので何とかなったのですが、その曲はとても大変でした。
何の曲かと言うと「夏は来ぬ」です。皆様大したことないのでは、と思われるでしょう。
それがとんでもなかったのです。
合唱用の楽譜を使ったのですが、アレンジが素敵で途中転調もありました。(三枝成章さんのアレンジですね。)
歌ってくださったAさんはこの曲で某合唱団の指導をされていて、当然ですが曲が自分のものになっています。
しかし私は曲自体はよく知っていてもこのアレンジは初見です。最初から出てくる細かい注文に心の中で(私はピアノ専門じゃないのよ~!まずは弾けるまで注文待って~!)と叫んでいました。(苦笑)
次の日まで必死に練習しましたが、直前まで細かい注文を出され続けていた私です。いや~、ここまでこだわりを持って注文する方は初めてかもしれません。もちろん合唱(独唱)を質の高いものにするために伴奏の細部までこだわるというのは当然のことです。でも伴奏専門でもない人に、しかもいきなり弾くという状況でそこまで要求する人はなかなかいないかもしれません。しかも必死に練習したのに、直前に「やっぱり私が弾きながら歌いましょうか?」と言われました。自分の要求がうまく伝わらなくてもどかしかったのでしょうね。まあそこですっぱりとあきらめて弾き歌いしてもらうと言う手もありましたが、せっかく練習したので「やっぱり弾かせてください。」とお願いしました。(披露した場所も”完璧”が要求される場ではありませんでした。)
本番は彼女の要求には応えきれてなかったと思いますが、とりあえず良い感じだったとは思います。
でも終了後に”音楽性の違い”を指摘されましたが。私もそう思うかも・・・。
まず、彼女はやっぱり”歌の人”なので伴奏にも大変なCantabile(歌うように、という意味の楽語)を要求するのですが、ピアノの特性(音が減衰する)を無視して、まるでヴァイオリンのように考えているところもあるかもしれません。(言葉は悪いですが・・・)私も”歌の人”なのでCantabileを大切にしているつもりなのですが、彼女から見ると充分ではないようです。また私はピアノ伴奏をする時には流れるように弾くだけではなくベースの動きとかリズムがくっきり出ることを重要視する傾向があります。そのあたりが彼女の音楽性とは相容れなかったのでしょう。「Ceciliaさんは古楽だからそうなのだろう。」とも言われました。ここで言う”古楽”というのはたぶんロマン派的な演奏と比較して情緒性が少ないというような意味合いであろうと思います。
確かに彼女の演奏はピアノにしても歌にしてもとてもとても情緒的で、感傷的すぎるのではと思うほどです。
とても声が美しい方で、一緒に歌っているとこちらが緊張のあまり声が出なくなるほどです。(本当にそうでした。)
まあ簡単に言ってしまえば、私が彼女の音楽性を理解して支えることができるレヴェルではなかった、ということなのですが、音楽性も確かに違うのだろうと思います。

また音楽に関してお互いの思いを語っているだけの時は良いのですが、一緒に歌うというのは今書いたばかりですが、本当に緊張するものでした。まあ緊張するようなシチュエーションが最近少ないので良い勉強になりましたが、例えば私が一声発声すると彼女の”指導”が入るのです。声楽歴は彼女のほうが長いですし(年上です。)、高校の合唱を何度も受賞させている実績があるのですから、その”指導”はありがたいものです。
ただ、自分が受けてきた指導と違うため(根本的には同じかもしれないのですが)、とっさには対応できないですよね?頭の中は今まで受けた指導や聞きかじったこととの共通点や相違を整理するのに必死!一緒に歌うとなると彼女の情緒的でいかにもなめらかなため息の出るような美声と自分の声を比較しながらになるので、緊張感MAXです!彼女のようなタイプの声はオペラアリアとか宗教曲とか外国語の歌曲では聞くことができません。
もちろんそういう曲も数多く歌っているはずですが(ご自宅にも音大時代の楽譜がたくさんありましたし。)、たぶん日本歌曲とか日本語のネオクラシック的な曲(「いつも何度でも」とか?)が向いていると思います。というかそういう系統の曲を多く歌われているのでそれ向けの発声になっている可能性もなきにしもあらずです。いずれにしても大変美しい歌声であることに変わりはありません。ついでに言うと美しい声の先生のレッスンで緊張したことはないです。

もう一人夏に知り合った合唱指導者(Bさん)がいます。合唱や歌の集まりでお会いしたのではなかったのですが、私が歌の練習をしているのを聞きつけて、”指導”してくださいました。
やはりこの時も今まで受けた指導や聞きかじったこととの共通点や相違を整理しながら聞いていました。Bさんは声楽科ではなく教育科だったと思いますが、とにかく音大で声楽を学び合唱指導されています。Aさんとは違い、ほとんど歌われなかったので緊張感は少なかったです。(笑)歌われたとしてもメゾのようなのでAさんほど緊張しなかったと思います。それと年がもっと離れていて60過ぎの方だったので、安心感がありました。Aさんも年上ですが一応同世代になりますしね。それから適度に褒めてくださるのでいい気持ちになれたというのもあります。発声法はAさんと共通する点が多かったと思います。

自分も声楽をやっていたということで歌仲間の中で優位に立っている場合、”指導”したくなるのですが、発声を教えるということは難しいと思います。AさんとBさんの”指導”は非常にありがたかったのですが、あくまでも参考程度にとどめようとして聞き流していました。教えを受ける立場であるまじきことかもしれませんが、お願いしたわけではなくあちらが勝手にそうしたわけです。(言い方悪いですね~。)その”指導”を理解できずついていけなかったとしても、ちゃんとした指導者(つまり私の声の課題をよく理解して適切なアドヴァイスを与えることができる知識と技術を持った指導者)というわけではないのだから落ち込む必要もないということです。お二人とも合唱指導には長けていると思いますが、発声指導に関してはやはりアマチュアとプロの境目かもしれません。

でもこのお二人との出会いはなかなか実りが多いものだった、ということを付け加えなければなりません。Bさんからはその後丁寧な手紙もいただきました。

楽器演奏でも流派はあると思いますが、先生ではなく先輩の教えというのは貴重ですよね。声楽でもそのような部分はありますが、ある意味危険なことも多いのではと思います。先生選びですら慎重にしなければならないことが多いのに、中途半端な技術の先輩に教えてもらうというのはかなり危険だと思います。それでも敢えて教えてもらうには、参考程度に留めておくというのが賢いやり方であると思います。先輩として教える側もこれが絶対であると言うべきではありませんね。思い返せば、私の先生でも自分のやり方を押し付けるタイプの先生はいなかったような気がします。「○○先生のレッスンではこのように教わった。」とおっしゃる先生が多かったと思います。






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すとん

 音楽性とか発声うんぬんと言うよりも『相性の善し悪し』じゃないかな?

 おそらくお二人とも良い人でしょうし、友達としては悪くないでしょうが、音楽のパートナー(指導者?)としての相性が良くなかったのかもしれません。記事を読んでいると、特にAさんとはうまくかみ合っていないような感じを受けました。

 音楽のパートナーって、音楽を通してつきあうわけで、ある意味、虚飾の通用しないエゴとエゴの部分で共同作業をするわけで、エゴの部分の凹凸がうまくハマれば気持ち良いでしょうが、そこにズレがある二人だと、なんとも中途半端で不完全燃焼とか不満とかが生ずるような気がします。そういう感じでしょ。

>お二人とも合唱指導には長けていると思いますが、発声指導に関してはやはりアマチュアとプロの境目かもしれません。

 ソロの歌声って、ある意味、オートクチュールのようなものだと私は思ってます。つまり“一品モノ”ね。言っちゃあ悪いけれど、合唱の歌声って既製服のようなものだと思います。既製服ばかりを量産しているテーラーさんにオートクチュールを発注するなんて…そんな恐ろしい事はしませんよね。この違いは、アマチュアとプロの境目どころの騒ぎではなく、全く別次元の仕事じゃないかって思いますよ。もちろん、既製服には既製服の良さがありますが、我々が身に付けないといけないのは、オートクチュールの方ですからね。ちゃんとオートクチュールの職人さんに仕立てをまかせないと、トンデモナイ事になっちゃいますよ。


by すとん (2011-11-19 03:11) 

Cecilia

すとんさん、コメントありがとうございます!
既製服とオートクチュールの喩えもなるほどと思いました。私は合唱の歌声にもオートクチュール的なものが必要だと思っていますが、一般的には既製服かもしれませんね。
『相性の善し悪し』は確かにあると思います。Aさんとは音楽に対する情熱や愛情の面でお互い共感できましたが、音楽的な相性は悪かったと思います。Bさんに関しては発声法を全面的に受け容れることはできないまでも相性は悪くなかったと思います。音楽的なやり取りはそんなになかったのですが(主に発声のことだったので。)
AさんもBさんも私にはもっと良い声が出るはずと思って親切心からいろいろ助言してくれたというのは間違いないです。ただ、二人とも私の”先生”ではないのでご好意をありがたく受け止めながらも自分の中では(参考程度に聞こう。)という意識が強く働いていました。自分が受けてきたレッスンと共通点が多ければ素直に受け止めることも出来たのだと思いますが、自分を白紙状態にするというのはとても難しいですね。
またそれとは別にAさんBさんとは音楽的に対等な関係ではないのだろうとも思っています。(つまり私のほうが経験不足)でも、私ならこうしたい、というのは当然あります。
by Cecilia (2011-11-19 05:56) 

Cecilia

krauseさん、niceありがとうございます!
by Cecilia (2011-11-19 05:57) 

伊閣蝶

大変興味深く、また真剣に拝読しました。
記事を拝見しただけではよくわからないのですが、Aさんはそのような「音楽性の違い」をご認識の上で伴奏をご依頼になったのではないのですか。
「Ceciliaさんは古楽だから」と仰ったのであれば、それは予め判っていて、それでもなおご依頼になったのであれば、そこに何らかの演奏上の効果をお考えになったのではないかと思うのですが。
でも、記事を拝見する限り、そういう意図はなかったようですね。
演奏する方がカンタービレを要求されるのであれば、それをしっかりと支えるために、むしろ伴奏はきちんとインテンポで進むべきではないかと、素人考えではそんなふうに思われます。
というよりも、聴く側の方からすれば、その方が安心して歌を聴くことに没頭できるのではないかな、と。
しかし、難しいものですね。
私は、少なくとも音楽の世界では、全く同じ志向や音楽性を求めることはかなり困難なことではないかと考えます。
そこが出発点だと思えば、そこからさらに深いアンサンブルを作り上げることもまた可能となるのではないかと。

by 伊閣蝶 (2011-11-20 23:40) 

Cecilia

伊閣蝶さん、nice&コメントありがとうございます!
Aさんはご自分の音楽作りに確固としたものをお持ちですし、経験豊富な方ですので今後もお付き合いをさせていただきたい方の一人です。

>演奏する方がカンタービレを要求されるのであれば、それをしっかりと支えるために、むしろ伴奏はきちんとインテンポで進むべきではないかと、素人考えではそんなふうに思われます。
というよりも、聴く側の方からすれば、その方が安心して歌を聴くことに没頭できるのではないかな、と。

そうですね。私もそう思います。でもAさんと練習していて、何だか自分が大雑把な音楽作りしかしていないのでは、と言う気持ちになりました。今夏にあった音楽合宿のことを思い出しているところですが、楽器の方から受けた指導に”器楽的アプローチ”がありました。歌の先生からは得ることができない指導を受けることが出来てラッキーでした。

>音楽の世界では、全く同じ志向や音楽性を求めることはかなり困難なことではないかと考えます。
そこが出発点だと思えば、そこからさらに深いアンサンブルを作り上げることもまた可能となるのではないかと。

まったく同じ志向や音楽性というのは考えてみればあり得ないことですよね。他の共演者と深いアンサンブルを創り上げていくには、自分の側にも曲に対する深い理解がないと相手を説得することもできません。そのような意味でいろいろ考えさせられます。


by Cecilia (2011-11-21 08:22) 

Cecilia

Promusicaさん、niceありがとうございます!
by Cecilia (2011-11-23 05:54) 

Cecilia

九子さん、niceありがとうございます!
by Cecilia (2011-12-09 08:41) 

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