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アドオンについて&先週の「スーパーオペラレッスン」 [声楽]

なかなか毎日更新はできませんが、緩やかにまったりいきたいと思います。これでも去年と比較したらたくさん更新していますものね。
ここ数日間はInternet Explorerの調子が悪くて悩んでいました。ブログ閲覧中にアドオンが無効になり、動画を視聴したり音源を聴いたりができなくなりました。Google Chromeを使ってインターネットを見たりしていましたが、これイマイチ好きではありません。自分ひとりで使うパソコンならとても使い勝手が良いと思うのですが、共用パソコンだといろいろ不都合があるのです。一番困るのは”履歴”ですね。家族みんながまずいサイトを見ているわけでなくても、お互いに気恥ずかしいところがありますからね。それぞれアカウントを持っていますが、いちいち切り替えるのが面倒なので皆でメインアカウント(私の)から見るわけです。結局Firefoxを使用することにしました。IEの情報(お気に入りなど)をそのまま移行できるということを今日初めて知りました。一件落着です。でもIEのアドオンはいったいどうすればよいのでしょう?アドオンについての知識があまりないのですが、ActiveXが危険だとかなんだとか出てきました。今まで危険なものを使っていたのでしょうか?

書くのが遅くなりましたが先週の「スーパーオペラレッスン」では巻き舌でアリア一曲を歌っていましたね。つまり顎の力を抜いて歌うという発声を捉えるためにずっと巻き舌状態で歌うというレッスン。これ、ちょっと前の声楽講座でも先生がやっていました。すごく上手にできる受講生も何人かいました。私は一瞬の巻き舌さえ危ないです。最近やっと昔よりはできるようになったかなと言う状態です。それも毎回できるわけではありません。巻き舌でずっと歌うなんて無理~。受講生の方、レッスンを受けて声が柔らかくなっていると思いました。やっぱりこの練習方法は有効なのですね。あと有酸素運動が必須と言っていましたね。もう一度やってみましょうか、エアロビクス。(笑)私がやっていたと言うと皆びっくりします。この受講生の方はもっと太るように言われていましたがうらやましい話です。
「ラ・ボエーム」の「古い外套よ」というアリアの歌詞から、このオペラはヴェリズモオペラなんだなあとあらためて感じました。素敵なアリアがたくさんあって大好きなオペラなのですが、最後はまったく救いのない惨めな状況ですものね。愛だけでは生きていけないという。もちろんその状況にあって、ミミをどうにかして助けたいという仲間たちの愛が輝く場面でもあるのですが。




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軽い風邪でもナーバスになる [声楽]

軽いですけれど風邪をひいています。数日前に雪の結晶を見た直後から危ない感じでしたけれど、次の日の朝起きたら口が乾燥していました。あのバリバリ感、本当に嫌ですね。その時は喉が痛くて痰が出ました。必ずマスクをして寝れば良いのですがうっかり忘れることもあります。マスクの効果はテキメンで、一昨日の夜につけて寝た後はかなり快調でした。でも昨日は忘れましたが。今の症状はちょっとだけ鼻がつまった感じと、喉がゼロゼロする感じ。咳き込むほどではないですが時々咳が出ます。普通に歌えますが、今は歌いたくないです。

声がものすごく調子が良い時には用心しなければならないとよく言われますが、本当にそうですね。風邪ひく前もかなり調子が良くて長時間歌ってしまいました。そのせいかどうかわかりませんが、喉に菌が付きやすくなったのでしょうか。
普段はちょっとの埃なんか気にならない私なのですが、ファンヒーターやエアコンの風で舞い上がる埃に敏感になってナーバスになります。
じっとしてないで掃除に励むべきなのでしょうね。(苦笑)

ああ、新曲を歌わなければならないので歌詞とメロディーも覚えなくては~。この前調子が良かった時は別の曲のことを考えなくてはならなかったのです。なかなか同時進行はできませんね。慣れた曲にしておけばよかったと後悔する私・・・。

とにかく風邪さえ治れば晴れ晴れとした気分でいろいろなことをこなすことができます。さっさと”完全に”治したいです。
日常のいろいろをしないわけにもいかないですしね~。プロの人は歌中心の毎日なのだと思いますが、それでもよほどの人でなければ日常生活の雑事から逃れるわけにはいきませんよね。




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スーパーオペラレッスンを見ました! [声楽]

すとんさんのブログでNHKスーパーオペラレッスンがあることをぎりぎりのタイミングで知り、昨日は久しぶりにテレビを見ました。年末年始の特別番組も一切見ていなかった私です。
今のテレビになってから(まだ地デジにしてない!)、自分で録画をしてない私です。(今のテレビになってもう6年以上になるのに・・・。)ぎりぎりのタイミングで知ったためビデオテープの買い置きがなく適当に前のものをつぶしました。何年か前のニューイヤーオペラコンサートだったようですが。

講師はバーバラ・ボニーで、私の好きなソプラノ歌手の一人です。


スーパーオペラレッスン  バーバラ・ボニーに学ぶ歌の心 (NHKシリーズ)

スーパーオペラレッスン バーバラ・ボニーに学ぶ歌の心 (NHKシリーズ)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2010/12/25
  • メディア: ムック



テキストはこれから購入しますが、内容はプッチーニの「ラ・ボエーム」です。受講生に日本人はいませんね。男性も女性もいますが、当然男性のアリアもあるのですべての曲を自分が歌ってみることはないです。歌えないことはないですが。一時期プッチーニが好きでいくつかのオペラのアリアは本番で歌ったことがあるのですが、「ラ・ボエーム」はフルスコアまで持っているくらい好きなのに本番で歌ったことがないですね~。昨晩はショナール(バリトン)のアリアでしたね。
バーバラ・ボニーが喋っているところを見るのは初めてでしたが、テンポ良い話し方がリズミカルに心地よく聴こえました。字幕で「巨匠の声を真似するのではなく自分の声で歌わなければならない。」というような内容のところでは”巨匠”に当たる部分をパヴァロッティやフレーニを例にして言っていましたね。ここであらためて自分に与えられた声を大切に育むことの大切さを感じました。スーパー○○レッスンではたいていある程度の実力の生徒さんしか出てきませんが、昨晩のバリトンの生徒さんは良い声でしたし、雰囲気が好みでした。貧乏でも楽しくやっている音楽家ショナールに合った雰囲気だったと思います。
ボニーからは不要な動きを注意され、"i"がこもり気味だと指摘されていましたね。もう一度見直さないと正確に書けませんが、いきいきとした”人間”を歌うようにというレッスンだったと思います。それに応えていた生徒さんだったと思いますが、このレッスンでボニーの人間性も見えたような気がします。見ていてとても楽しかったです。アリアもうきうきしてくるような曲なのですが歌っている生徒さんの表情も楽しそうでうれしくなってくるし、ボニーの語り方も素敵でしたし。
そうそう!「他人の評価は気にしないで楽しく歌いましょう。」と言っていました。アマチュアに対してでなくプロの世界に入り込んでいる人への言葉だというのが重要だと思います。
気がついて良かったです。すとんさん、情報をありがとうございます。
次回は1月14日(金)の夜10:25から10:50。第一回目の再放送は同じ1月14日の朝5:35から6:00です。いつまであるのでしょうか?「ラ・ボエーム」だけでなく「カルメン」もあるようですが・・・。
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声楽の先生はリラックスできる人が良い [声楽]

実はある声楽講座に行っています。
期間限定の講座でグループレッスン。人数は50人はいないと思いますが30人よりは多いでしょうか。
合唱をしている人が主なメンバーでレベルはいろいろです。
声楽の個人レッスンを受けている人がもしかしたらいるかもしれませんがそうだとしても初心者が多いと思います。
まだ始まったばかりとは言え、期間限定なのでもう中盤に入るのですが、この前はかなりストレッチが多かったです。
実は私、歌う前のストレッチはしたことがないと言って良いでしょう。
合唱団によっては歌う前にストレッチとか筋トレとかすると思いますが、私はそういう合唱団に入ったことがないですし、歌のレッスンでしたこともないです。
ストレッチや筋トレが歌に良いと言われてももともと運動嫌いなのでふ~んという感じでした。
今回もストレッチなんて嫌だなあ、面倒だなあ~という感じで取り組みましたが、した後で歌うとやはり声が出やすかったです。
人前でやるのは恥ずかしい顔の動きというのもありましたが。(眼球を360度回転させたり、顎を動かしたり・・・)
あれだけ時間を割くのは前回限りで今後は自分でやってねということでしたが、顔の動きは会場に行くまで車の中でもできることなので、今後は積極的にやってみたいですね~。
講師は若い女性の先生(A先生)なのですが、変に緊張しなくて良い雰囲気の先生だというのが良いです。
あまり若くてお洒落な先生だと、不必要に緊張しそうですが、自分の欠点をさらけ出してもいいやという気分になれるのですね。(でもこの先生も若くてお洒落ですが。)
ソプラノの先生ですが話し声は太くて低いです。
とてもさばさばした感じは以前ついたことのあるソプラノのある先生にそっくりだと思いました。(その先生も話し声は太くて低かったです。)
今後の講座が楽しみなのと共に、一緒に受講している友人と共にグループレッスンをお願いしたいくらいです。(友人はどう思っているかわからないのであくまでも私の思い)

地元ではあまり声楽レッスンがなく、習っている人が通っている教室も限られているのですが、検索である若いソプラノ歌手(結構活躍しているらしい。B先生としましょう。)が地元のどこかでレッスンしているらしいことを突き止めました。
上で書いた声楽講座のA先生はHPとかなくてレッスンの情報もわからないですが、こちらのB先生はとてもお洒落なHPを作っていてブログも書いているので情報はばっちりわかります。
でも地元でレッスンしているかどうかまではわかりにくいです。(ブログの文面でそうらしいと思ったのでした。)
でもあまり若くてお洒落だと緊張しそうだなあ・・・と思いつつ、実際はどうなのかわからないし・・・とも思っていました。
まあ私がB先生のレッスンを受けることもないだろうし・・・と思っていました。

ところが先日地元で私が休会中の女声合唱団に所属するある方にばったり遭遇した時のこと。
その方は地元で声楽をやっている人が行く教室でレッスンを受けているはずでした。
話をお聞きしたら自宅にある先生をお呼びしてレッスンを受けているということでした。
グループではないけれど同じ合唱団の二名と共に個人レッスンを受けているとのことで、発声のいろいろなことがとてもよくわかって充実している話、合唱でもいろいろ頑張っている話を聞かせていただきました。
自宅にお呼びしている先生というのがB先生だったというのがあまりの偶然で驚きでした。
一緒にレッスンを受けているメンバーの一人が地元の結婚式場で聖歌隊をやっているというのも驚きでしたが。(一緒にカラオケをしたことがあり、歌唱力が抜群なのは知っていますが、合唱ではあまり発揮できていませんでした。私が休会している間にとても成長したのだと思いますが、どうやって結婚式場の聖歌隊をやるようになったのかが気になります。←音大出身者などが聖歌隊派遣業者などを通じてやるようになるものだと思っていたので。)

私が今後レッスンを受けようと思う場合、家の近くで親しい方の自宅でレッスンをされているB先生のレッスンは非常に魅力的です。
ほかに地元の人が通っているある教室の声楽レッスンもかなりの実力の先生がいらしているので魅力的ではあるのですが。(ソプラノとテノール)
でもそのB先生、お会いしたことはないし声も知らないのでわからないのですが、とても華やかそうなところが、ちょっと不安。
実際は話しやすい方だったりして・・・。

そこいくと、今受けている声楽講座のA先生は、まったくリラックスできるタイプの方で良いです。
けして地味でもないし、華やかでもあるのですが。
それと私が歌いたい作曲家の曲をレパートリーにしているというのがポイントが高いのですね。
少々遠くてもいいかなあという気分になります。

今思うとずっとついていたソプラノの先生はとても華やかでしたが、家庭的な雰囲気があるので緊張しなかったのかもしれません。
ほかの先生にも不必要に緊張しなかったですね。

皆レッスンを受けるにあたってこんなことまで考えますかね~?
華やかな先生のほうが良いという人も多いと思うのですが、声楽ってもろに体を使うし、不必要に緊張したくないですよね。

実際に継続的なレッスンを受けるかどうかは別としてついついこんなことを考えてしまいます。
ハープのワンポイントレッスンをもしかしたら受けるかもしれませんが、そちらにはこういうことを考えません。(笑)





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グノーの「アヴェ・マリア」・・・フランス語の歌詞 [声楽]

やっと通常モードに戻れましたが、なんだかんだ忙しいです。
メールも無事元通りになりました。
何通も削除せずに残していたものはすっかり消えてしまい、「もしかして0からスタート?」と思って期待していました。
しかし、受信していなかったものが2000通以上あって削除に時間がかかりました。
大切なものがあったら困るので気をつけながらの作業でしたが、大切なものはほとんどと言ってよいほどありませんでした。

さて、このブログにはブログパーツをつけていましたが、ヴァイオリンのブログパーツが長いこと黒いままなのはパソコンのせいだと思っていました。
もうひとつフラッシュピアノもまったく表示されていませんがそれも同じ理由だと思っていました。
パソコンの空き容量問題が解消されてもやはりそうですね。
どなたもご指摘くださらなかったので、(ほかの方のところではもしかしたら見ることができているかも?)と思っていました。
そういえばネットカフェから見たときもそうでしたね。
まったく無意味なので削除することにします。
何か面白いパーツを見つけたらまたつけるかもしれませんが・・・。

明日は某所でグノーのアヴェ・マリアを歌います。
伴奏に使われているバッハのプレリュードはC-durですが、私はF-durで歌います。
楽譜がたくさんあるようで自分に合う調の楽譜がないと思っていたら、ありました。
意外なことにフランス愛唱歌曲選という楽譜に。


フランス愛唱歌曲選

フランス愛唱歌曲選

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ドレミ楽譜出版社
  • 発売日: 1998/12/10
  • メディア: 楽譜



グノーはフランス人なので当然ですね。(笑)
この楽譜で人の伴奏を弾いたことを思い出しましたが、フランス語の歌詞が載っています。
ラテン語で歌われることが多く、今回はラテン語で歌いますが、フランス語のほうはまったく詞が違うことを発見しました。

つまりラテン語のほうはほかのアヴェ・マリアの多くと同じ「天使祝詞」を使った歌詞ですが(そうでないものも結構あります。)、フランス語の詞はラ・マルティーヌによるもので、聖母マリアの地上での苦しみを思い、自分たちの苦しみを理解してくれるマリアに御子にとりなしてくれるよう願うという内容になっています。


あらたな発見でした。


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Magnificat~Suscepit Israel(J.S.Bach) [声楽]

(注)10月14日追記

昨日のものに修正を加えました。
定位が思いっきり広がっていましたが、どうもイマイチなので少し狭くしてみました。
こちらです。
ちょっとマシになったような気がしますが変化はないかもしれません。

Enriqueさんとのコラボ、4トラック録音に成功していたファイルを整理の過程で紛失はしてないのですがただちにMP3にできる状況にないのでまたあらためて録音したものをアップする予定です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
Enriqueさんのギターをダウンロードして(音源は先日のものと同じ)4トラックで「カノン」を多重録音するのに成功したのですが、別の問題が頻発して今すぐにアップできませんが状況が良くなったらアップします。(別な音源のほうはうまくいきませんでした。)
「カノン」とセットになっている「ジーグ」(パッヘルベル)をアップしようと思いましたが、やはり練習が必要なので今度にします。

そこで今日は実は多重録音で録音したい曲ナンバーワンのバッハの「マニフィカート」の中の"Suscepit Israel"という曲をアップします。
これもちょっと練習が必要だった上(ソプラノ以外のパートの音取り)、またしても空き容量不足になったりで多難でした!

やっとの思いで録音したものです。
最初に通奏低音パートを消音ピアノのオルガンモードで録音し、オーボエパートをリコーダーで重ねたものを作り1トラック目に入れて、その後ソプラノ~アルトまでの3パートを重ねました。
オルガンがうるさいのでヴォリュームを落とし、全体をミックスダウンする前にもう一度リコーダーを重ねました。
それから空き容量不足のせいで4トラック目のアルトが途中で切れたため後から付け足しています。

こちらでお聴きください。





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Lift thine eyes [声楽]

PDFの調子がよくなったので楽譜を印刷することができました。(Mendelssohnのオラトリオ「エリヤ」の中の"Lift thine eyes"というアカペラ合唱)
今日はゆとりがある日なので一人アカペラを録音してみました。
ただしお疲れモードが治ってないため高音(と言ってもG)がいまいちなのですが、1パートだけ録り直しをするほうほうがわからず(・・・て各パートを上書きしなければできるはずなのですが)このままアップしてみます。
こうやって試行錯誤していると体が歌うモードにならなくて困ります。
それから録音は一番慣れているソプラノからしていますのが、最初なのでどうしても声のノリが悪いというのもあります。
全部録音してからソプラノだけ録り直ししたいものですね。

録音するにあたって最初に録音するパートの休みの部分のカウントの件で悩みました。
心の中でカウントしても合わなくなるんじゃないかと。
最初にメトロノームを録音して(これに合わせるのは嫌でしたが)、リコーダーでソプラノの最初のA音を入れました。
メトロノーム音は後で削除するつもりでしたがほかのパートのトラックにまで音が入ってしまい、この方法はやめることにしました。
なので最初だけ机を叩いてカウント音を入れて削除しました。(リコーダーのA音も)
ソプラノの休みの部分は何とか大体合わせることができたように思います。

RadioLine Freeで各パートにエコーを入れるほうがSoundEngine Freeでリヴァーブをかけるよりもいいように思いました(エコーとリヴァーブはどう違うのでしょうか。)
結局とりあえず何も加工はしていません。



お昼ごはんを食べてからもう一度アップするかもしれません。


(追記)

お昼ごはんを食べたのでもう一度録音しました。(笑)
前の録音の時はぺこぺこで・・・。
でもおなかが満たされれば良いというわけではないのです。
私の場合食べてすぐだと歌っている最中に唾液が溜まりやすくなります。
実際何度も唾液を飲み込んでいたりします。
午前の録音よりも高音は出ていると思いますが、ハーモニーは午前のほうが良いかもしれません。
最後もうわずって終わってしまったのが残念・・・。
今回はエコーを少しだけかけて定位も若干ずらしてみました。













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"Gia il sole dal Gange"(高声用) [声楽]

ちょっと時間ができたので録音しました。
更新できてなかった時も一度録音したのですが、カラオケとのバランスが悪かったので録音しなおしたいと思っていました。
もう一ヶ月近く前になってしまいましたが、REIKOさんが作ってくださった"Gia il sole dal Gange"の中声用カラオケでの録音をアップしていました。(記事はこちら
高声用(B-dur)の高速ヴァージョンをあらたに作ってくださっていましたが(記事はこちら)、私が忙しかったり体調を崩したり(一時的ですが39度台の熱を出したりしていました。)でなかなか録音できませんでした。
やはり歌は体調がよくないとだめですからね・・・。
この間ばっちり練習できていたわけではありませんのであしからず・・・。



本当はREIKOさんのカラオケにRadioLine Freeで重ねたかったのですが、ちょっと難儀していますので、PCで流してICレコーダーで録音しました。
RadioLine Freeで重ねるほうがきれいに録音できそうな気がするのですが。

もっと改善したいですけれど、今回はこんなもので失礼いたします。
朝からほとんど飲まず食わずの空腹状態で録音しています。


ご参考までに前回の録音も貼り付けておきます。
こちらは中声用でゆっくりヴァージョンです。








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Gia il sole dal Gange(Alessandro Scarlatti) [声楽]

多重録音は進んでいないのですが、REIKOさんが"Gia il sole dal Gange"のカラオケをアップされたので歌いたくなってしまいました。
中声用(As-dur)なので私の楽譜(B-dur)より低いです。



Alessandro Scarlattiの曲で作詞者不明、Canzonettaということになっています。
朝8時半過ぎなので遠慮がちに歌っていますが、ご了承ください。
昨晩REIKOさんの記事を拝見し、「歌いたい~!」という思いが募りました。(笑)
この曲は一度もレッスンを受けたことがないですが、アクセントなど楽譜どおりに歌うとおかしいのではないのだろうかというところが多いです。
今回の演奏はすべてに気をつける余裕があったわけではないです。
ほぼ一発録りです。(一回目の録音は伴奏のほうがはるかに音量が多くなってしまってボツにしました。)

この曲、本当に気分が明るくなる曲で大好きです。


追記

ちょっと時間ができたのでちゃちゃっと伴奏を録音して高声用をアップしようと思いましたが、簡単そうですぐには弾けないので断念・・・。
それに自分が歌いたいテンポ(上のものよりかなり速いかも)で弾くのはかなり難しいです。
歌よりもピアノの練習のほうが大変・・・。
でも高声用近いうちに絶対にアップしてみせます。
多重録音はぼちぼちと・・・。
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Sound Engine Freeで多重録音がしたい [声楽]

一人多重録音をもっと質の高いものにしたくてフリーのソフトを試しているのですが、なかなかうまくいきません。
Sound Engine Freeを使って録音はできましたが、どうやって重ねればよいのでしょうか。
最初に録音したものをiTunesなどで聴きながら重ねることができるらしいのですが・・・。

ちなみにこのSound Engine Freeは3年前にすでにダウンロードしていたのですが、やはり挫折しています。
当時録音したリコーダー独奏が残っています。


イマイチな演奏ですがPCにマイク(IP電話に使うマイクです。)を接続してその前で必死に吹いています。
いつものICレコーダーではなくてSound Engine Freeでの録音ですが、音質はまあまあではないでしょうか。(あくまでも録音の質)
この曲はHenry Purcellの「アーサー王」の"Shepherd,leave decoying"ですが、本来二重唱なのですがなかなか使いこなせないため1stのみの演奏です。
歌で二重唱にしてみたいですね。
先ほど一度アップしましたが削除したのは後半に著作権上問題のある録音(「千と千尋の神隠し」の「いのちの名前」)があったためです。
あわてて削除し、パーセルだけにしようとしましたがそこでまた一苦労。
・・・というのはいつもICレコーダー関係のソフトで不要な部分をカットしていて、Sound Engine Freeで録音したものはどうやってカットすればよいのかわからなかったせいです。
これもICレコーダーのソフトでカットできました。

今は讃美歌に載っている短いドイツの輪唱曲を使って録音に挑戦していますが、なかなか重ねることができないでいます。(讃美歌第二編199番「ハレルヤ」をドイツ語の"Segne Vater diese Gaben"という歌詞で歌っています。)
進展があったら追記します。


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Concone50番(1) [声楽]

一人多重唱をもっと極めたいのですが、また今度。
今日はConconeという声楽教本の1番の話題です。

私は声楽レッスンでConconeをやらなかったのでとてもコンプレックスがあります。
大事なことをしてなかったようで・・・。
独学ではやっているのですが、課題となることがちゃんとできているのか不安でいつまでたっても1番台をうろうろしています。(Concone50番)

1番、簡単そうだしそう高くないのですが、ちゃんと歌おうと思うと結構難しいと思いませんか?
昔人の練習を聴いたことがありますが階名唱でした。
それはそれで意味があると思うのですが発声面ではやっぱり"a(ア)"で歌うべきですよね??
私が"o(オ)"になりやすい"a"です。

ピアノ伴奏を先に弾いて録音し、3回ほど歌ってみました。








録音のことを考えながら歌っていますが解説にあるように声区転換(チェンジ)をうまくやっているでしょうか。
なかなか思うようには歌えないものだと感じました。
回数を重ねるごとに少しでもヴィブラートを抑えようと努力しています。
不要というわけではないと思いますが、余分なヴィブラートをつけずに歌いたいのです。


高声用の伴奏です。(D-dur)
前奏のメロディー部分の音がちゃんと出せていないですね。



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一人輪唱~Dona nobis pacem [声楽]

朝っぱらから録音してみました。

家族が早く出かけたためちょっと空白時間ができてしまいました。
本当はバッハの"Magnificat"の3重唱にしたかったのですが、ちょっとだけ長いのでやめました。
歌の多重録音は初めてなので手っ取り早く"Dona nobis pacem(ドナ・ノビス・パーチェム)"にしました。
これ、一応讃美歌にも載っているし、小学校で音楽の時間に使う歌集にも載っていますが、”輪唱の曲”としてしか認識されていないような気がする・・・。
讃美歌(讃美歌第二編203番)には詞は”ローマ教会ミサ通常文から”とありますね。
日本語では「神よ平和を給え」という内容です。



録音はいつものICレコーダーです。
多重録音をするにはそれなりの機材が必要なのだと思いますし、少々加工しないと良い感じに聴こえないのだと思いますが、まったく加工なしですしバランスも悪いです。

この曲が特に好きだから録音したわけではないのですが、手っ取り早かったからですね。
遊びと言うか実験です。
聴いてみての反省は"a(ア)"の母音が"o(オ)"に近くなること。
”ドナ”が”ドノ”に、”パーチェム”が”ポーチェム”に近く聴こえるところがあります。
"a"はもっと明るめに発音しないとだめですね~。
各パート若干ずれているのはご愛嬌です。
自分にはこの音域は低すぎて歌いにくいということもないのですが、低い音から始まっているため全体にメゾっぽい声ですね。
悪くはないのかもしれませんが、自分としてはこの音域でもソプラノらしい声で歌うのが目標です。
(もっとメタリックな声にしたい!)

そうそう・・・最初の音取りをしているわけではないので、正しい音ではないと思います。(ピアノのところまで行くのが面倒だったため。ピアノもどうせ調律できてないですし・・・。)
ちなみにF-dur(ヘ長調)でF(ファ)から始まっています。




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自然な歌声は参考にならない? [声楽]

Handelの"Semele"とか"Giulio Cesare"(ジュリアス・シーザー)を最初に知ったのはKathleen Battleのテープだったと思います。
これを買ったときは大学を卒業して仕事を始めて一人暮らしを始めたばかりの頃です。
CDプレイヤーがなかったのでテープを買うしかなかった頃ですね。
別にKathleen Battleが一番と思っていたわけではないと思いますが(当時はMirella Freniが好きでした。)、その名前だけで買う気になる歌手でした。
Kathleen Battleと言えば"Ombra mai fu"。
このCDは今もよく売られていますが、"Semele"や"Giulio Cesare"のアリアが入ったCDは今は売られてないのでしょうか。
Amazonで検索したけれど出てきませんでした。
収録曲は

"O sleep,why dost thou leave me"(Semele)
"Where'er you walk"(Semele)
"Care selve"(Atalanta)
"Piangero la sorta mia"(Giulio Cesare)

の4曲だったと記憶しています。(・・・というのは人に貸したまま戻ってこないので。でもその4曲のはずです。)
"Oh,had I Jubal's lyre"(Joshua)も印象深いですがこれは別のCDで聴いたのだと思います。
これらの曲を歌いたくなって輸入楽譜を初めて購入した私です。
そう考えるとKathleen Battleの功績は大きいです。
他にもいくつかCDを持っていますし、何度も聴いているのですが、最近はご無沙汰でしょうか。
Handelの素晴らしいアリア集はいまや非常に多いので、わざわざBattleを聴かなくても・・・というところがあります。
CDを買う余裕はあまりないのですが、ありがたいことにNMLがありますので・・・。

Battleも最近は以前ほど活動していないのかもしれませんが、軽やかで清楚な歌声はたぶん健在なのだと思います。
いつも彼女の歌について思いますが、たぶん生まれ持った声がとても恵まれていて声楽レッスンで努力する必要がなかったのではないのだろうか・・・という気がします。
私たちが必死にやっていることが(あちこち引っ張ったりとか・・・)まったく見えない歌声です。
いや、見えないからすごいのかもしれませんが、実はたゆまぬ努力をして得られた声・・・というわけではなくて、もともとの声で歌えているのではないのだろうかと想像します。
それが悪いというわけでもありません。
うらやましい話です。
それからもちろんこれは”声”限定の話で、それ以外の部分ではきっととても研究しているのだと思います。

それからBattleの歌声というのはちょっと聴いただけで彼女の声とわかるほど個性的ですよね。
海外の歌手には個性的な声の人が多いような気がします。
日本人歌手(演歌とかポップスではなくいわゆる”声楽家”)は昔に比べたら技術的にとても進歩していると思うのですが、皆同じように聴こえます。
ソプラノで言うと軽いとか重いとかの違いはもちろんあるのですが、重い人はそう多くなくてほとんどが軽いソプラノなのですが、誰が歌っても同じように聴こえる気がします。
極端な言い方かもしれませんが。
もちろん日本人らしい声のソプラノと言う点は良いと思うのですが・・・。

まあこれが正しい見方なのかどうかは置いておいて、私は常日頃そういう風に感じてしまうという話です。
だからと言って”個性的な声”を出すための努力をしなければならないという話ではありません。
”個性”というのはおのずから出てくるものだと思うし、声に限らず世の中「個性、個性・・・」ってうるさいですよね!
”自分らしさ”を出すのも大切ですが、あまりにもそれを前面に出されると疲れてしまうと言うか何と言うか・・・。

Battleの話に戻りますが、音源をあまり持っていなかった頃、Battleの歌声を参考に歌っていた時期があります。
でも真似もできないし、参考にならないのです!
歌い方はともかく、声の出し方はまったく参考になりませんよね!?
そこいくとあの頃大好きだったFreniの声のほうが真似しやすいし(自分の中では)参考になりました。

自然な発声で素直に歌っている歌手の声は聴いていて素敵なのですが、”声を作って”いる私たちにはあまり参考にならないかも??
(Freniの声も自然だし、きっと本人はそんなに努力して声作りしていなかったと思うのですが。)



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声楽曲の移調 [声楽]

二つ前の記事で編曲モノを否定するような発言をしてしまいましたが、すべて否定しているわけではありません。
”原理主義者”ですが極端な原理主義者ではありません。(笑)
原調主義と書きましたが、このことで追加です。

よほどのことがない限り、作曲された調のまま歌いたいものです。
昨日このことで少し調べようとしたら声楽コンクールのサイトを発見しました。
そこにもありましたが、オペラアリアは通常原調で歌います。
しかし慣習的に移調して歌われる曲もあります。
例えばメゾが歌う「セヴィリアの理髪師」の「今の歌声は」をソプラノが歌うことが多く、その場合は少し高く歌うのです。(私は両方楽譜を持っています。)
それから歌曲は移調して歌うのですがメジャーな歌曲集だと”高声用””中声用””低声用”の楽譜が揃っています。(このような場合は私も原調ではないかもしれませんが”高声用”の楽譜で歌います。)
しかし揃ってないものも実に多く、自分で移調楽譜を作成したことが何度もあります。(手書きの時代に。)
歌だけでも一苦労ですが伴奏者用まで書かなければならないのは実に大変です。
ソプラノの人は何調・・・と言うように指定されていれば迷わずそれにできますが、自由に移調する場合はどうやってしていますか?(声楽の皆様、教えてください~。)
音感に乏しい私は”調性”が今ひとつわかりません。
原調主義と書きましたが、”調性”がよくわかってそうしていると言うよりも、よくわからないのでとにかく作曲者が作曲した調で歌うのが良かろう・・・というわけです。
当然自分には低すぎたり高すぎたり(歌曲で高すぎるのはあまりないでしょうか。)なので自分の声に合わせたいと思うことはしょっちゅうです。
練習のためにYouTubeを見ていると皆思いっきり移調しています。(歌曲ですね。)
思いっきり高くしている人はやはり声をひけらかす傾向があるかな・・・なんて思ったり・・・。
ひけらかすのが悪いというわけではなく、声楽では当然の行為なわけですが、曲によってはひけらかしは良くないと思われるものも多いです。
人様の動画は本当に勉強になりますね。
まあひけらかすわけではなく原調主義を貫きつつ、やはり移調したほうが良い場合というのもあり、そういう場合はできる限り原調の雰囲気に近い調に移調すべきだと思っているのですが、勉強不足なのでその辺がよくわかりません。
一音の違いは”2度”ですが、2度上げたり下げたりするだけで相当違いますよね。
本当にちょっとのことなのですが、喉の使い方が変わります。
歌っている人はわかりますよね。
その2度の違い・・・鈍感な私でも曲の明るさが違う程度のことは感じます。
例えばC-durでは高いのでB-durにした場合、C-durでは低いのでD-durにした場合、やっぱり明るさが違います。(今確認のため音階を弾いてきました。)
この程度のことは当然の行為でしょっちゅう行われていますよね。
厳格な”原調主義”の方にはとても許せない行為だと思います。
私は今歌曲でコンクールやオーディションをうけるわけではないので、たとえ自分にとって良い高さで声が出せなくても原調で我慢・・・というか原曲に合わせる努力をしています。
移調譜を作るのが面倒というのもありますが・・・。(苦笑)
伴奏者が移調がある程度得意だったとしても原調で歌うと思います。

やむを得ず移調する場合、できる限り原曲に近い色彩(?)の調にしたいと思うのですが、そうした場合音が大幅に高かったり低かったりするのでは・・・と思ってしまいます。
詳しい方に教えていただきたいです。

まあ普通は歌いやすさしか考慮していないのではないのでしょうか。
私を含め声楽畑の人には音感とか調性感に鈍い人が多く(鈍くない人もいますが)、ピアノやヴァイオリンなどのように子供の頃から音感を鍛えてきた人たちと比較してどうもその辺がいい加減なところがあるように思います。
だから良いのですけれど。(笑)
だから調性の話をされると困ってしまうのです。
やむを得ない移調でもっとも無難な調は何か、その次に無難な調は・・・とか考えるのですが考えすぎですか?
・・・っていろいろな調で検討したことがあるわけではありません。
ただ、”調性”を重んじるのならそういうことになるという話です。










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複数の先生に師事する [声楽]

雷雨の音で目が覚めました。
早く寝ていたので睡眠時間は充分なのですが、お弁当作りがあるのでもう眠れません。
(もっと寝たいのですが。)

音楽レッスンはできる限り受けたほうが良いと思います。
独学にはいろいろと事情もありますし、独学でもかなりのことができますが、やはり指導者がいるほうが何かとよいと思います。

昔ピアノレッスンは親が行かしてくれたので始めましたので意思も何もありませんでした。
しかし中2でやめた時というのは自分の意思でした。
親が「経済的に大変だからやめてくれ。」と言ったこともないし、「もうこの程度弾ければ良い。」と言ったわけではありません。
レッスンが嫌になったというのが大きな原因でしたが、その原因のもとというのが、家での練習の不十分さでした。
今までもよく書いたことですが、今思うとそれほど弾く時間がなかったわけでもないと思います。
だらだら弾きはよくしていました。
そしてそこから得たことも多かったのです。
これがレッスン曲しか弾かないような状況だったら・・・と思います。
しかしレッスンのためにはレッスン曲だけ弾いて、先生に言われたことをしっかり練習すべきだったのでしょう。
とにかく効率の良い練習はできたはずなのですが、先生も練習ができてないと厳しくするだけでしたのでやる気がなくなっていく一方でした。
「吹奏楽が忙しいので・・・」というのを口実にやめました。
確かに部長になったりして忙しかったけれど、ばりばりの吹奏楽部ではなかったし、受験勉強もそれほど必死にやっていたわけではなかったです。
ここでせめて高2くらいまで続けていればその後のピアノライフが変わっていたかもしれません。
でもあの先生についていてもバッハは弾けるようにはなっていなかったと思うし、あのレヴェル(ソナチネアルバム)が良い潮時だったかもしれません。
親にも私にも先生を変えるという発想はなかったですね~。

ピアノをやめた後は高校のオケ、大学の合唱・・・と部活中心の音楽生活でしたが、声楽レッスンは自分の意思で始めました。
しばらくは一人の先生でしたが、ある時から二人の先生のレッスンを受けました。
これは専門学校に入る前のことで、この二人の先生にはまったくと言ってよいほど接点はありませんでした。
たぶん間接的にはお名前をご存知の関係だと思いますが。
最初についたソプラノの先生はこの前も書いたように楽器店に薦められた先生で、次についた先生はお声を聴いてレッスンをお願いした先生です。
最初の先生(ソプラノ先生)のレッスンをやめたわけでなく週1の楽器店レッスンを続けながら、次の先生(テノール先生)のレッスン(こちらはお互いの都合で決める不定期レッスンでしたが月に2~3回はあったと思います。)に行っていました。
もちろんソプラノ先生にはテノール先生のレッスンに行っていることは秘密でした。(秘密にしなければいけないと思っていたので。)
逆にテノール先生には最初からソプラノ先生のレッスンの話はしていました。
二人の先生の指導法は共通しているところもありましたが、違うことも多かったです。
でも根本は同じだと理解してレッスンを受けていました。
ソプラノ先生ではできなかったこともテノール先生のもとでできるようになったり収穫は多かったです。
ついでに言うとその頃、私はソプラノ先生のレッスン時間を倍にして(つまり二枠)ピアノとかソルフェージュもしていただいていました。
それだけでなく楽器店には内緒で自宅レッスンも受けていました。
専門学校に入ってからもこの二人の先生のレッスンには引き続き行っていました。
今思うとよくそこまでできたものだと思いますが・・・。
専門学校でも複数の先生のレッスンを受けたので合計数名の先生のレッスンを受けています。(その先生方にはソプラノ先生のこともテノール先生のことも言っています。)

音大生などで複数の先生につくのは普通なのだと思いますが、私のようにほかの先生には内緒で別な先生にもつくというのはよくあることなのでしょうか?
普通はメインでついている先生のご紹介などでもっと偉い先生(その先生の先生など)につくものなのでしょう。
専門学校でついた先生方もソプラノ先生やテノール先生とは直接的に関わらない先生方でした。
でもやはり間接的にご存知の間柄でしたが。
よく思ってない間柄とかではなかったようなので良かったです。


そういえばソプラノ先生からもテノール先生からもご自分がつかれたいろいろな先生の話を聞かされました。
楽器でもそうかもしれませんが声楽ではより良い発声を求めていろいろな先生につくのは普通かもしれないと思います。(内緒で別な先生につくのが良いかどうかはわかりませんが。)
まあコンサートのプログラムなどでプロフィールに「○○に師事」みたいに書く場合はいずれ明るみになることですが・・・。(誰に師事したか、こういうのは許可を得て書くものなのでしょうか。「弟子として認めない!」と先生が思っているのに勝手に書く人もいるのかな、と思ったりするのですが・・・。)


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ブログ6年目(5周年) [声楽]

今日でこのブログは6年目に突入です。
この一年はなかなか一日一記事の更新はできませんでした。
最初から一日一記事ではなかったし、まあいいかと言う感じです。
それに最初から”日記”というよりは音楽ネタ中心に雑感を書いているようなブログだったので一日一記事にこだわる必要もありません。
さすがにこれだけ続けているとアクセス数もそれなりに多いし、交流させていただいている方も多いのですが、毎日のように記事を書きながら交流あるすべての方のブログの新着記事にコメントするのは不可能なこと。
毎回niceやコメントを下さる方には申し訳ないと思いつつ、できる範囲でしか書けないので今後もそのことをご理解ください。
niceだけでも、とも思うのですが、やはりコメント重視の方針を貫きたいと思います。
そのようなわけで私のブログにお忙しい中コメント下さる皆様、本当にお互い様ですので、余裕がある時にいただければうれしいです。


さて、もう少ししてから公開しようと思いましたが、ちょっと前にあった歌の本番の音源です。



ヘンデルのオペラ"Rinald"から"Lascia ch'io pianga"(私を泣かせてください)です。
この曲を本番で歌う機会がなかったというのと、伴奏が簡単なもの(現在ピアノレッスンに通っていない次女が伴奏するため)、自分自身がある程度歌っている曲から・・・ということでこの曲になりました。
長さもちょうどよかったし。
有名なアリアだけでなくその前のレチタティーヴォも歌いましたが、楽譜は全音のパリゾッティ版を使用。
オペラの通りではありません。
このアリアはダ・カーポで最初に戻る(ABA')形式のダ・カーポアリアで、昔受けたレッスンで歌ったとおり楽譜のまま歌ってもよかったのですがあまりにも芸がないし、最近は特に古楽系歌手でなくてもダ・カーポアリアらしくA'に装飾を付けて歌う人が多いようなので私もつけてみました。
ただし伴奏者が伴奏者で融通をきかせることができるほど余裕がなかったので、伴奏は楽譜どおり、私はその中で動いています。(なので余裕がなくてちょっとずっこけています。)
おまけにダ・カーポアリアについてきちんと勉強しているわけではなくて”適当”です。
”適当”と言うより”テキトー”と書いたほうがふさわしいですね。
本当は決まりごとがあるようなのですが、教えてくださる方は近くにいません。
いろいろな古楽系歌手の演奏を聴いて耳に残っているものの切り貼り状態です。
まあそれっぽくは聴こえると思うのですが、良いのかどうかはまったく自信がありません。
それと声楽のテクニックですが、相変わらずピッチが不安定です。
敢えてリハの音源はアップしませんが、そちらはもう少し安定していました。
ただしダ・カーポアリアらしく歌おうとして中途半端状態になっています。
パリゾッティ版の楽譜では♪Lascia ch'io pianga,la dura sorte~♪になっていますが、多くの演奏を聴いていて♪Lascia ch'io pianga,mia cruda sorte~♪で歌っている人がほとんどです。
同じ全音から出ているヘンデルアリア集ではレチタティーヴォはオペラの通りになっていてもっと短く、mia cruda sorteになっていたと思います。(立ち読みしかしてないので・・・)
私も♪la dura sorte♪ではなく♪mia cruda sorte♪で歌いました。
練習では次女が混乱しないようにずっと♪la dura sorte♪で歌っていたので本番間際にもうっかりそう歌ってしまうことが多かったです。
また、A'の装飾ですが敢えて楽譜を書かなかったので歌うたびに違う歌い方になっていました。(いろいろなヴァージョンが頭に入っていたため。)
こういうのはたいてい敢えて楽譜を書かずに即興で歌うのだと思いますが、まさにその即興状態でした。
本当は3点Cまで出るヴァージョンで歌いたかったのですが、自信がないので2点A止まりです。
楽譜の通りだとせいぜい2点Gで終わってしまうのでどうしても華やかさに欠けてしまいますのでやはり装飾を付けてよかったのだと思います。
今回は歌の人が少なかったのですが、前にも書いたように1曲だけということだと皆派手なアリアを持ってくるのですね。
やはりある程度高音があって動きのある曲じゃないと栄えないのですね。
自分が歌った後に更にいろいろな人の演奏をCDなどで聴くと派手に歌えば歌うほど良いとは限らず、地味に抑えているほうが内容には合っているかなと思いました。
自分で歌う際にはもともとのメロディーのイメージからかけ離れないように、華やかにすることだけに気をとられないように意識しました。

あと伴奏ですが、次女も進学したばかりで忙しくなかなか練習できませんでした。
本番はばっちりでしたが、欲を言えばもっとサラバンドっぽく弾いてもらえるとよかったと思います。





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声楽を習おうと思った時 [声楽]

自分から音楽系のレッスンを受けようとしたのは声楽だけだったと思います。
(お金さえあれば何でもやってみたいけれどそうもいかないので声楽だけになりましたが。もちろん親に習わせてもらったピアノはこの話題からははずします。)

習おうと思ったきっかけは何だったでしょうか。
大学時代に合唱をやっていて、それも楽しかったけれどやっているうちに結構歌えているんじゃないかなあという気持ちが芽生えて(自画自賛でしかないです。)、もっとうまくなりたいと思ったからでしょうね。

あと大学構内でよくピアノを弾かせてもらったある場所で、イタリア古典歌曲を歌っていた先輩がいて(Caldaraの"Sebben Crudele"でした。)、うらやましかったというのもありました。
後にこの曲を歌った時に(そうそう!これだよ~!)と思ったのでした。

その頃よく行っていた街の商店街をぶらぶらしていて楽器店の窓にあるレッスン科目に”声楽”という文字を発見し、すぐに問い合わせたと思います。
その時受付のおばさん(楽器店の社長夫人)からは先生が複数いること、その先生たちの出身音大を教えていただいたと思います。(こちらから聞いたわけではない。それに聞いてもどの先生も有名な音大なんだなあということくらいしかわかりませんでした。)
・・・である先生がとても素敵なソプラノの先生で、その先生がいいですよ~というようなことを言われ、もしかしたら一晩考えてお返事をしたかもしれませんがそれですぐに決めたと思います。
言われたとおり、とても素敵な先生だったし、当たりだったと思いました。
後についた先生方からもきっと最初についた先生が良かったのだと言われたし、楽器店の人に薦められるがままでしたが、”当たり”だったのは幸運でした。
後々”声楽界の人脈”という点でもそれは当たりだったのだということがわかりましたが、もちろんそのようなことを知って選んだわけではありません。
そのおばさんが声楽界のことや指導法を熟知していたとはとても思えませんが、実は”ばよりん”もそのお店で買ったし、本来なら分割して買うようなお値段でもなかったのに「お勉強しますよ。」と言ってくれて利子なしの分割にしてくれましたし(学生だったし、レッスンでのお得意様だったし・・・まあ当然?)お世話になりましたね~。
でも私の紹介で同じ寮の友達複数がそこの教室でばよりんを習ったりフルートを習ったりしましたので、私も結構貢献していたかも?
そうそう、皆そこで楽器を買っていたし!
私も何度もレッスン室を使ったしね~。

とにかく先生選びには慎重にならないといけない声楽レッスン・・・偶然でしたが当たりでよかったのですね。
今ならこういう決め方はしないと思いますが・・・。


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「城ヶ島の雨」 [声楽]

よく知っている歌をいろいろなヴァージョンの伴奏で歌うのはそんなに難しくないと思っていましたが、ちょっと苦労しています。

北原白秋作詞梁田貞作曲の「城ヶ島の雨」(今楽譜を見たら”ヶ”は小さい”ガ”になっていましたが・・・)、ちょっと歌うことになって譜読みを始めたら、耳慣れた伴奏と違うことに気がつき慌てふためいています。
耳慣れたほうの伴奏だとしてもこの曲歌いにくいです。
8分の9拍子ですが3拍子的になるべくかっちり伴奏を弾いてもらうしかなさそうです。

耳慣れた伴奏は米良美一の「母の唄」に収録されたものですが、一体誰の編曲でしょうか。(やっぱり”さん”がつかないと落ち着きません。でも最近他の人に”さん”を付けてないのでやっぱり”さん”なしでしょうか。)
私の楽譜は岡本敏明編曲になっていますが前奏・間奏が16分音符が連続したものでちょっと派手です。
舟が揺れる感じはCDと共通しますが(8分の9拍子なので当然でしょうか。)、全体的に音がたくさん鳴っているという感じの伴奏です。
耳慣れているせいかもしれませんがCDのほうがゆったりした感じで好みです。
解説を見ると大正2年に発表されたあと、あらゆる階層の人に愛唱されたけれど伴奏譜がなかったとのことで、昭和24年の歌碑除幕式に際し、作曲者(梁田貞)の推薦で岡本敏明が伴奏曲を作曲したようです。
だからこの伴奏のほうがより良いのだと思いますが、米良美一の歌の伴奏は誰の作曲でしょうか。



母の唄~日本歌曲集

母の唄~日本歌曲集

  • アーティスト: 内山夏子
  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • 発売日: 2002/11/22
  • メディア: DVD Audio



曲順は違いますがこちらで全曲試聴できます。(BIS盤ですが中身は同じです。)

「城ヶ島の雨」は14曲目の"Rain in Johga-Sima"です。

練習するに当たってCDをなるべく聴かないようにしないと頭の中で歌っている時にCDの伴奏が流れてしまうので困ります。
何回も歌って体に染み付いている曲なら良いのですが、私も初めてですし伴奏者も初めての曲なので。
ちなみにいつもぶっつけ本番で合わせてもらっていますが、大丈夫か不安です。
いつも一応暗譜で歌っていますが(楽譜を見ながらとそうでないのでは目線が変わってくるため。)、今度は楽譜ありが良いでしょう。
とにかくピアノに向かって練習するしかないです。(両手で弾きながらは面倒なので左手だけ弾いて歌っています。そのほうがきっちり拍子を取る事ができますし。)
ピアノに向かわない時は拍子を取りながら。


城ヶ島の雨

雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の 雨がふる

雨は真珠か 夜明けの霧か
それともわたしの 忍び泣き

舟はゆくゆく 通り矢のはなを
濡れて帆上げた ぬしの舟

ええ 舟は櫓でやる
櫓は唄でやる
唄は船頭さんの 心意気

雨はふるふる 日はうす曇る
舟はゆくゆく 帆がかすむ 




以前滝廉太郎の「花」の話題で”櫂(かい)”が話題になりましたが、今度は”櫓(ろ)”が出てきましたね。








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「またき愛」 [声楽]

結婚式の讃美歌の話題を書いていたら先日「またき愛」を歌ったことがある方からコメントをいただきました。
讃美歌428番です。
原語では"O perfect Love,all human thought transcending"ですね。(”全き愛”ですね。)
作詞はDorothy Blomfield GurneyでJoseph Barnbyの曲からの編曲のようです。
もとの曲が知りたいです。
Barnbyと言えばTennysonの"Sweet and Low"の作曲者ですが、この曲が大好きで以前も記事を書きました
「またき愛」は結婚式の讃美歌の中ではそれほど好きというわけでもなかったのですが、あらためて聴いてみるとなかなかよいなあと思えてきました。
「妹背をちぎる」の記事のコメント欄で話題になった”妹背”と言う表現が「愛の御神よ」にもこの「またき愛」にも出てきます。
「愛の御神よ」では♪愛の御神よ 御前に立つ この妹(いも)と背(せ)を 恵み祝し~♪ですし、「またき愛」では♪またき愛たまう神よ、大前に結ばれし この妹背 愛の御手に 祝しはぐくみたまえ~♪とあります。
私はこれで讃美歌っぽいと感じているわけですが、”妹背”が出てくると確かに万葉集みたいですし、讃美歌になじみのない方が見たら祝詞(のりと)っぽく思えるかもしれません。


結婚式のリハーサルのようです。

この合唱を聴いてこの曲の良さがしみじみとわかったような気がします。
他の結婚式の讃美歌が派手というわけではないのですが、この曲は私の中で地味な存在でした。
この動画で歌っている方たちの堅実な雰囲気が曲の堅実な雰囲気とマッチしていると思います。
こういう曲は崩して歌ってほしくないし、派手な編曲を加えてほしくないと思います。
基本的にポップス風に崩したりアレンジしたりは好きじゃないのです。
(なぜ崩す必要があるの?)(なぜ編曲する必要があるの?)って思ってしまうのです。
崩すと何だか神様に対していい加減な気持ちになっているような気がするし、編曲も最低限で良いと思っています。(こう思うのは私くらいかもしれませんが・・・)
あくまでもシンプルにハーモニーを楽しみたいという考えです。
ただかっこよくすれば良いとは思っていません。

原語の歌詞です。
O perfect Love, all human thought transcending,
Lowly we kneel in prayer before Thy throne,
That theirs may be the love which knows no ending,
Whom Thou forevermore dost join in one.

O perfect Life, be Thou their full assurance,
Of tender charity and steadfast faith,
Of patient hope and quiet, brave endurance,
With childlike trust that fears nor pain nor death.

Grant them the joy which brightens earthly sorrow;
Grant them the peace which calms all earthly strife,
And to life’s day the glorious unknown morrow
That dawns upon eternal love and life.

Hear us, O Father, gracious and forgiving,
Through Jesus Christ, Thy coeternal Word,
Who, with the Holy Ghost, by all things living
Now and to endless ages art adored.

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「愛の御神よ」と「いともとうとき」 [声楽]

結婚式の讃美歌シリーズです。(笑)

自分の結婚式の時の前奏や後奏の話題は何度もしているのですが選んだ讃美歌の話をしていませんでした。
”結婚式”カテゴリーから選んだのは讃美歌429番「愛の御神(みかみ)よ」です。
この曲を指定されたわけではなく自分で選びました。
単によく歌われる「妹背(いもせ)をちぎる」よりもメロディーが好みだったからです。
この讃美歌は讃美歌191番「いともとうとき」(”教会”カテゴリー)と同じメロディーです。
原語では「愛の御神よ」のほうは"O love divine and golden"(John Samuel Bewley Monsell・1857年)、「いともとうとき」のほうは"The Church's one Foundation"(Samuel John Stone・1866年)で始まっていて(それが曲名のようになっていますが)、"AURELIA"という曲名ですね。(Aurelia”オーレリア”という殉教者か聖人・聖女がいるのでしょうか。)
歌詞から言うと"O love divine and golden"のほうが9年ほど先に作られていています。
Samuel Sebastian Wesleyによって1864年に作曲されていますが、"O love divine and golden"という結婚式の讃美歌のほうが先だったのでしょうか。
しかしYouTube検索すると"The Church's one Foundation"(または"O Christ, the Great Foundation ")ばかり出てきます。

オルガン演奏でお聴きください。
このオルガン、音色を変える装置がストップ(手前に引っ張るもので丸くなっています。)じゃなくて、レバー(?)になっているので、電子オルガンだと思うのですが、それにしては深い音色(サンプリングされているのが良い音なのでしょうけれど)ですし、第一この動画に出てくるパイプ(パイプオルガンのパイプ)は一体・・・??
本物のパイプオルガンなのか電子(パイプ?)オルガンなのか気になります!
いろいろ聴き比べて(ベストかどうかわからないですが)選んでいます。




作曲したSamuel Sebastian Wesleyはメソジスト運動のJohn WesleyやCharles Wesley(先日の「あめなる喜び」の作詞者)と同じWesley一族で、ミドルネームのSebastianは父Samuelの尊敬するJohann Sebastian Bachから取られたようです。
父Samuelは”イギリスのモーツァルト”と呼ばれていたようです。
この一族にはSamuelさんが多くて混乱してしまいます。(苦笑)


"O love divine and golden"(John Samuel Bewley Monsell)→同じ歌詞の別な讃美歌のところからコピぺしましたがこの歌詞で良いはずです。

O Love divine and golden,
Mysterious depth and height,
To Thee the world beholden,
Looks up for life and light;
O Love divine and gentle,
The blesser and the blest,
Beneath Thy care parental
The world lies down in rest.

O Love divine and tender,
That through our homes dost move,
Veiled in the softened splendor
O holy household love,
A throne without Thy blessing
Were labor without rest,
And cottages possessing
Thy blessedness are blest.

God bless these hands united;
God bless these hearts made one!
Unsevered and unblighted
May they through life go on,
Here in earth’s home preparing
For the bright home above,
And there forever sharing
Its joy where “God is Love.”




"The Church's one Foundation"(Samuel John Stone)
→イエス・キリストと教会の関係を夫婦に喩えているからだと思いますが、SheやHeなどの代名詞に注目すると面白いです。



The Church’s one foundation
Is Jesus Christ her Lord,
She is His new creation
By water and the Word.
From heaven He came and sought her
To be His holy bride;
With His own blood He bought her
And for her life He died.

She is from every nation,
Yet one o’er all the earth;
Her charter of salvation,
One Lord, one faith, one birth;
One holy Name she blesses,
Partakes one holy food,
And to one hope she presses,
With every grace endued.

The Church shall never perish!
Her dear Lord to defend,
To guide, sustain, and cherish,
Is with her to the end:
Though there be those who hate her,
And false sons in her pale,
Against both foe or traitor
She ever shall prevail.

Though with a scornful wonder
Men see her sore oppressed,
By schisms rent asunder,
By heresies distressed:
Yet saints their watch are keeping,
Their cry goes up, “How long?”
And soon the night of weeping
Shall be the morn of song!

’Mid toil and tribulation,
And tumult of her war,
She waits the consummation
Of peace forevermore;
Till, with the vision glorious,
Her longing eyes are blest,
And the great Church victorious
Shall be the Church at rest.

Yet she on earth hath union
With God the Three in One,
And mystic sweet communion
With those whose rest is won,
With all her sons and daughters
Who, by the Master’s hand
Led through the deathly waters,
Repose in Eden land.

O happy ones and holy!
Lord, give us grace that we
Like them, the meek and lowly,
On high may dwell with Thee:
There, past the border mountains,
Where in sweet vales the Bride
With Thee by living fountains
Forever shall abide!




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「妹背をちぎる」と「天(あま)つ真清水(ましみず)」 [声楽]

前の記事にセンニンさんからいただいたコメントに結婚式の讃美歌430番のことがあったので今日はその話題です。
違う話題にしようと思っていましたが、この讃美歌のことも頭にあったのですね。

讃美歌430番も前の記事の「いつくしみ深き」と共にキリスト教式結婚式でよく歌われる讃美歌です。
たぶんこの2曲が定番ですね。



「妹背をちぎる」(1890年の新撰讃美歌の歌詞のままのようですが誰の訳かわかりません。)

妹背をちぎる 家のうち
わが主もともに いたまいて
父なるかみの みむねになれる
いわいのむしろ 祝しませ

今しみまえに 立ちならび
むすぶちぎりは かわらじな
八千代も共に 助けいそしみ
まごころつくし 主につかえん

愛のいしずえ かたく据え
平和のはしら なおく立て
かみのみめぐみ 常に覆えば
さいわい家に たえざらなん.

きよき妹背の まじわりは
なぐさめとわに 尽きせじな
重荷もさちも 共に分かちて
よろこび進め 主のみちに.


この曲は同じ讃美歌集の217番「あまつましみず」と同じメロディーです。(同じ調)



「天(あま)つ真清水(ましみず)」(永井ゑい子による1884年の訳。)
あまつましみず ながれきて
あまねく世をぞ うるおせる
ながくかわきし わがたましいも
くみていのちに かえりけり

あまつましみず 飲むままに
かわきをしらぬ 身となりぬ
つきぬめぐみは こころのうちに
いずみとなりて 湧きあふる

あまつましみず うけずして
つみに枯れたる ひとくさの
さかえの花は いかで咲くべき
そそげいのちの ましみずを



「天(あま)つ真清水(ましみず)」のほうは”伝道”カテゴリーになっていますね。
ちなみに新しい讃美歌21では「妹背をちぎる」はなくなっていて「天(あま)つ真清水(ましみず)」のほうは残っています。
讃美歌21は文語を排して口語に変えたりしていますが、この曲は永井ゑい子の作詞をそのまま使っていますね。
私は♪あまつま・しみず~♪と区切って歌ってしまっていたように思います。
本当は♪あまつ・ましみず~♪ですね。
まあ曲と歌詞(訳詞)の問題なので私のせいではないですけれど。(笑)




原曲はJohn Hugh McNaughton(1829~1901)によって1860年に作詞作曲されています。
英語では"When There's Love at Home"になっています。

メノナイトの人々でしょうか。(女性がアーミッシュのような帽子をかぶっていますがたぶんメノナイトの教会の人々でしょう。)
日本語の讃美歌と若干メロディーが(歌い回しが)違います。


こちらのアカペラ合唱、なかなか素晴らしいです。(ところどころ惜しいですが。)




There is beauty all around,
When there’s love at home;
There is joy in ev’ry sound,
When there’s love at home.
Peace and plenty here abide,
Smiling sweet on ev’ry side;
Time doth softly, sweetly glide,
When there’s love at home;
Love at home, love at home,
Time doth softly, sweetly glide,
When there’s love at home.

In the cottage there is joy,
When there’s love at home;
Hate and envy ne’er annoy,
When there’s love at home.
Roses blossom ’neath our feet,
All the earth’s a garden sweet,
Making life a bliss complete,
When there’s love at home;
Love at home, love at home,
Making life a bliss complete,
When there’s love at home.

Kindly Heaven smiles above,
When there’s love at home;
All the earth is filled with love,
When there’s love at home.
Sweeter sings the brooklet by,
Brighter beams the azure sky:
Oh, there’s One Who smiles on high,
When there’s love at home;
Love at home, love at home,
Oh, there’s One Who smiles on high,
When there’s love at home.

Jesus, show Thy mercy mine,
Then there’s love at home;
Sweetly whisper I am Thine,
Then there’s love at home.
Source of love, Thy cheering light
Far exceeds the sun so bright—
Can dispel the gloom of night;
Then there’s love at home;
Love at home, love at home,
Can dispel the gloom of night;
Then there’s love at home.


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いつくしみ深き [声楽]

またしても讃美歌ネタですが・・・

誰でも知っている讃美歌と言えば「きよしこの夜」とか「もろびとこぞりて」のようなクリスマスの讃美歌と共に「いつくしみ深き」があるのではないでしょうか。

まずはピアノ演奏でお聴きください。
このピアノ、1870年頃のスクエア・グランド・ピアノと言うのですか?
コンパクトな感じの家庭用グランドピアノという感じですね。
譜面台が凝っていますね。


キリスト教式結婚式に出席されたことがある方には”結婚式の讃美歌”として知られていると思いますが、讃美歌の歌詞をご存じない方でも「星の世界」ならご存知でしょう。

「星の世界」(川路柳虹)

かがやく夜空の 星の光よ
まばたく数多(あまた)の 遠い世界よ
ふけゆく秋の夜 すみわたる空
のぞめば不思議な 星の世界よ

きらめく光は 玉か黄金(こがね)か
宇宙の広さを しみじみ思う
やさしい光に まばたく星座
のぞめば不思議な 星の世界よ





杉谷代水という詩人による歌詞もありました。


「星の界(よ)」(杉谷代水)

月なきみ空に、きらめく光、
嗚呼(ああ)その星影、希望のすがた。
人智(じんち)は果(はて)なし、無窮(むきゅう)の遠(おち)に、
いざ其の星影、きわめも行かん。

雲なきみ空に、横とう光、
ああ洋々たる、銀河の流れ。
仰ぎて眺むる、万里(ばんり)のあなた、
いざ棹(さお)させよや、窮理(きゅうり)の船に。


私は川路柳虹の「星の世界」でなじんでいます。
学校の音楽で(確か5年生の頃)習ったのはこの歌詞でしたし、母がこの歌が好きでよく歌っていました。
ですからこの曲は「星の世界」が原曲だと思い込んでいたところがあります。
讃美歌には替え歌が多いですし、「いつくしみ深き」は「星の世界」の替え歌なんだと思っていました。

讃美歌「いつくしみ深き」の原曲の歌詞は"What A Friend We Have In Jesus"で始まります。

What a Friend we have in Jesus, all our sins and griefs to bear!
What a privilege to carry everything to God in prayer!
O what peace we often forfeit, O what needless pain we bear,
All because we do not carry everything to God in prayer.

Have we trials and temptations? Is there trouble anywhere?
We should never be discouraged; take it to the Lord in prayer.
Can we find a friend so faithful who will all our sorrows share?
Jesus knows our every weakness; take it to the Lord in prayer.

Are we weak and heavy laden, cumbered with a load of care?
Precious Savior, still our refuge, take it to the Lord in prayer.
Do your friends despise, forsake you? Take it to the Lord in prayer!
In His arms He’ll take and shield you; you will find a solace there.

Blessed Savior, Thou hast promised Thou wilt all our burdens bear
May we ever, Lord, be bringing all to Thee in earnest prayer.
Soon in glory bright unclouded there will be no need for prayer
Rapture, praise and endless worship will be our sweet portion there.

この歌詞がJoseph Scrivenによって書かれたのが1855年、Charles Crozat Converseによって作曲されたのが1868年です。
杉谷代水作詞の「星の界(よ)」が明治43年、川路柳虹作詞の「星の世界」が昭和45年に発表されているようなので讃美歌のほうが先だと思いますし、もともと星座のことを歌ったものだという情報はないので、原曲は讃美歌なのでしょう。(あくまでもネットで検索した限りでは)→追記:やはりJoseph Scrivenの詩に合わせて作曲されたようですね。
不思議なのは川路柳虹の作詞した「星の世界」です。
昭和45年に発表されたということですが、彼は昭和34年に亡くなっています
公に発表されたのが昭和45年でそれまで細々と歌われていたのか、川路柳虹の詩に手を加えて歌詞にしたのかその辺が気になるところです。(追記:母が歌っていたのはこの歌詞だったと思いますが、なじみがあるのは「星の界(よ)」のほうの歌詞のはずです。それも気になります。)
讃美歌の訳詞、誰の訳なのかわかりません。
手持ちの讃美歌(日本基督教団出版局)の凡例(歌詞について)を見ると「今回の訳者は全部わかっているし、旧版の訳者も大半知れているので、それらの訳者名は近く刊行される『讃美歌略解』に発表されるはずである。」と書かれてあります。(これ1954年の文章ですね。)
・・・ということで『讃美歌略解』を見れば「いつくしみ深き」の訳者が誰かわかるのかもしれませんが、そんなものは手元にないので同じ日本基督教団出版局の新しいほうの讃美歌21で訳者がわかるかも・・・と思ったら、案の定新しい歌詞になっていました。
結婚式でよく歌われるのは♪いつくしみ深き、友なるイエスは、罪咎(とが)愁いを、取り去りたもう。心の嘆きを包まず述べて、などかは下(おろ)さぬ、負える重荷を。・・・・♪のほうですが(讃美歌312番)、新しい歌詞では(1997年に出版されているのですでに13年近く経っています。讃美歌21の493番)♪いつくしみ深い、友なるイエスは、愁いも罪をも、ぬぐい去られる。悩み苦しみをかくさず述べて、重荷のすべてを御手(みて)にゆだねよ。・・・♪になっています。
こちらも誰の訳詞なのかわかりませんがたぶん讃美歌委員会の共同訳なのでしょう。

ちなみにこの讃美歌は結婚式のカテゴリーになくて”祈祷(祈り)”のカテゴリーに入っています。
葬儀でも歌われるようですが、私は聴いたこと(歌ったこと)がないかもしれません。
どちらでもいける歌詞だと思います。
「結婚式で歌うめでたい讃美歌なのに葬儀で歌うなんて・・・!」という発想はないですね。
結婚式であれ葬儀であれ、一般の人も歌える曲ということで良い曲ですね。

原曲の作詞者のJoseph Scrivenは婚約者を二度も亡くしている(最初の人は溺死、次の人は結核で亡くなりました。)という人のようで、その絶望の中からイエスを信頼する気持ちを綴ったのがこの歌詞だということです。

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天なる喜び [声楽]

昨日の記事の讃美歌は万人向けとは言えない曲で、たぶん”愛唱讃美歌”にしている人も少ないのではないかと思われます。
今日の曲は”愛唱讃美歌”にしている人が多いかもしれません。
教会に行ってない方でも歌詞はともかくメロディーは受け容れられると思います。

今日の曲は讃美歌352番「天(あめ)なる喜び」です。
この曲大好きでした。(今もですが)
礼拝でこの曲が選ばれているとうれしくなってしまう曲のひとつでした。
この曲はJohn Zundelによって1870年に作られていて、詞はCharles Wesleyによって1747年に書かれたものです。
Charles Wesleyと言えばあのメソジスト運動のJohn Wesley(←青山学院に銅像がある)の弟ですね。
彼のイメージがあったのでこの曲はイギリスの曲のように思っていましたが、Zundelはドイツ生まれ(ドイツ人?)でずっとアメリカで暮らしていたようです。
メソジスト教会でよく歌われているのかどうかも知りませんが、原曲の"Love Divine,all loves exelling"(タイトルは"Beecher")でYouTube検索すると別な曲のほうがたくさん出てきます。(それも聴いたことがあるのですが・・・)

Zundel作曲の"Love divine, all loves excelling"(天なる喜び)です。(歌はありません。)


こういう演奏を聴くとリードオルガンも良いなあと思えますよね。
このオルガニストはオルガンでの弾き方を工夫していると思います。
讃美歌の楽譜は普通4声で鍵盤楽器用に書かれていないので非常に弾き難いし、そのとおりにオルガンで弾くと音が途切れてしまうので変になってしまいます。
ピアノで適当にペダルを使えばおかしくないのですが。
パイプオルガンなら足鍵盤を使ってベースを鳴らせるのですが、リードオルガンではそれができないため、工夫が必要です。
リードオルガン専用の楽譜や教則本もあるし、リードオルガニストは特別な訓練をしていると思います。
讃美歌の楽譜どおりに弾いたらパタパタした感じになると思いますが、落ち着いたしっとりした演奏ですね。
(ベースはオクターブ下の鍵盤も鳴らすストップも使っていますね。)

Charles Wesleyが書いた原曲の歌詞です。

Love divine, all loves excelling,
Joy of heaven to earth come down;
Fix in us thy humble dwelling;
All thy faithful mercies crown!
Jesus, Thou art all compassion,
Pure unbounded love Thou art;
Visit us with Thy salvation;
Enter every trembling heart.

Breathe, O breathe Thy loving Spirit,
Into every troubled breast!
Let us all in Thee inherit;
Let us find that second rest.
Take away our bent to sinning;
Alpha and Omega be;
End of faith, as its Beginning,
Set our hearts at liberty

Come, Almighty to deliver,
Let us all Thy life receive;
Suddenly return and never,
Never more Thy temples leave.
Thee we would be always blessing,
Serve Thee as Thy hosts above,
Pray and praise Thee without ceasing,
Glory in Thy perfect love.

Finish, then, Thy new creation;
Pure and spotless let us be.
Let us see Thy great salvation
Perfectly restored in Thee;
Changed from glory into glory,
Till in heaven we take our place,
Till we cast our crowns before Thee,
Lost in wonder, love, and praise.








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光と闇との行き交う巷 [声楽]

讃美歌シリーズ第3弾です。(いつまで続くでしょうか。)

今日の讃美歌は激しいです。
「光と闇との行き交う巷」という讃美歌(276番)ですが教会に行ってない方にはかなり抵抗があるかもしれませんね。
信仰に燃えてないと歌えない讃美歌かなと思います。

YouTubeからヴァイオリン演奏を選んでみました。
ヴァイオリン演奏は言葉がないので激しいけれど素敵な曲にしか聴こえません。
メロディーはウェールズの讃美歌(Welsh Hymn Melody)のようですが・・・。(ウェールズのキリスト教の歴史を調べたら奥が深そうです。)



James Russel Lowellが1845年に作った詩の抄訳であるというこの讃美歌はTON-Y-BOTEL(瓶の中の曲)と言うタイトルで知られているようで、"Once to every man and nation"で始まっています。(嵐の晩に海岸に打ち上げられた瓶の中にこの曲を記した言葉が見つかったという伝説があるようです。)
3連符が多く、鼓舞されるような曲だと感じています。
原曲の歌詞は次のとおりです。

Once to every man and nation,
Comes the moment to decide,
In the strife of truth with falsehood,
For the good or evil side;
Some great cause, God's new messiah,
Offering each the bloom or blight,
And the choice goes by forever,
'Twixt that darkness and that light.

Then to side with truth is noble,
When we share her wretched crust,
Ere her cause bring fame and profit,
And 'tis prosperous to be just;
Then it is the brave man chooses,
While the coward stands aside,
Till the multitude make virtue
Of the faith they had denied.

By the light of burning martyrs,
Christ, Thy bleeding feet we track,
Toiling up new Calvaries ever
With the cross that turns not back;
New occasions teach new duties,
ancient values test our youth;
They must upward still and onward,
who would keep abreast of truth.

Though the cause of evil prosper,
Yet 'tis truth alone is strong;
Though her portion be the scaffold,
And upon the throne be wrong;
Yet that scaffold sways the future,
And behind the dim unknown,
Standeth God within the shadow,
Keeping watch above His own.


英語でも相当激しい歌詞であることがご理解いただけるでしょう。

(5月14日・追記)
どこかの教会で歌われている様子です。
途中からソプラノのオブリガードがついています。












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主の真理は荒磯の岩 [声楽]

昨日に引き続き讃美歌ネタです。

昨日の曲はイギリスの古い民謡を使った曲ということでそれも意外でしたが、意外な曲と言うのは結構多いです。
外国曲のつもりで歌ったり聴いたりしていた讃美歌が日本人の曲だった・・・とか。

今日の曲は讃美歌85番「主の真理(まこと)は荒磯(ありそ)の岩」です。
この曲を礼拝で歌ったことはないかもしれません。
歌ったかもしれませんが礼拝でなかったかもしれないし、歌ったとしてもせいぜい1~2回でしょう。
コンサートなどで聴いたこともないです。
私がなぜ親しんでいるかと言うと昨日の曲と共に讃美歌のテープ(日本基督教団から出ているテープ)に収録されていたからです。
そのテープ、探せば出てくるのですがすぐに出てきません。
1980年代にすでに大御所として活動しておられた日本人声楽家の方々がソリストで、いくつかの教会関係の合唱団が参加しています。
この讃美歌はソプラノのソロで、これもなかなか歌い応えのある曲です。
手持ちの讃美歌の楽譜では最高音が2点Es(ミ♭)。
一般の方には非常に高いですね。(私にはもっと高くてちょうど良いのですが。テープでももっと高かったかも。)

この曲が意外なのはHebrew Melody(ヘブライのメロディー)だということです。
ユダヤの音楽?
言われればそんな気もしますが、私のイメージとちょっと違うので・・・。
私の中でユダヤの音楽はとにかく”哀愁があって熱い!”のです。
この曲も哀愁があるけれど熱い感じはしません。
・・・ということでちょっと意外な讃美歌だという話題でした。

英語の歌詞は"The God of Abraham Praise"ではじまっていてそれがタイトルになっているようです。
(讃美歌は歌詞の出だしが曲名になるので。私の手持ちの讃美歌には"LEONI"としか出ていませんでしたが。)


どこかの教会(調べればわかりますが・・・)の礼拝での様子です。







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緑も深き若葉の里 [声楽]

最近歌う機会がないのですが、緑が濃くなってきた今日この頃、「みどりもふかきわかばのさと」という讃美歌を急に思い出しました。
この時期に歌いたくなる曲ですし、他の季節に歌った記憶もありません。

原曲のタイトルは"Nazareth"で"Ye fair green hills of Galilee"が最初の歌詞ですね。
作詞者はEustace Rodgers Conderでイギリスの古い民謡(?)を使っているようです。

こちらで聴けます。

この讃美歌、”歌った気”になれる曲ですね。
高いと感じる人もいるかもしれませんが2点レが最高音です。(私には低いです。)
日本語でしか聴いたことがないので是非とも原語で聴いてみたいものです。
英語で検索したら同じ歌詞の別な讃美歌が出てきてしまいます。
今のところ日本語のサイトでも英語のサイトでもMIDI演奏しか出てきません。(検索が足りないと思いますが)










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Recitativo [声楽]

声楽曲と言ってもいろいろありますが、普通はAriaと歌曲という分類をすると思います。(この中にも厳密にはいろいろあるのですが)

Ariaというのは簡単に言えばオペラやオラトリオの中の(歌らしい)歌で、日本語では”詠唱”と言われます。
Ariaってなんだか素敵な響きですよね。
女の子に”ありあ”なんていう名前をつけている人もいたりして・・・?(最近は漫画ちっくな名前が多いですね。いろいろチェックするのは趣味の一つです。)
ちなみに英語ではAir(エアー)なのですがイタリア語のAriaのほうが断然素敵だと思います。

今日の話題はAriaではなく、その前などで歌われるRecitativo(レチタティーヴォ)です。
Recitativoは日本語では叙唱(朗唱)と言われ、その中にもいろいろあるのですが、今日は主にRecitativo Seccoを念頭に置いて話したいと思います。

Recitativo Seccoとは”乾いたレチタティーヴォ”という意味で、バロックオペラやモーツァルト、ロッシーニのオペラで使われています。
こちらに解説がありますが、古い時代のものはチェンバロで薄く和声的背景が伴奏されています。

Lascia ch'io piangaで見ていきましょう。

ギター伴奏ですがパリゾッティ版のRecitativoと同じ歌い方です。



こちらも上と同じ歌い方ですね。



こちらは上の二つと違う歌い方で私が持っているInternational Music Companyの楽譜はこちらになっていますし、この曲が入っている"Rinald"というオペラの録音を聴くとたいていこちらになっています。


・・・ということでどちらのRecitativoの歌い方が良いかと言えば一番下なのではないのだろうかと思っています。(この中で一番勉強になるのは一番上の人の演奏ですが。)
Ariaの歌い方も若干違うのですが、どちらでも良いのでしょうけれどできれば古楽演奏でよく歌われているほう(つまりパリゾッティ版でないほう)で歌いたいと思う私です。

このRecitativoもオペラの中では♪・・・Signor,Ah!Per pieta.Lasciami piangere!♪の前にアルガンテのRecitativoが入っていたりします。
つまり歌い手であるアルミレーナとアルガンテの会話になっているのですが、この曲だけ取り出して演奏する場合はアルミレーナの独白みたいになっています。

このRecitativoの部分は複数の先生のレッスンで何度も見ていただいたことがあるのですが、苦労しました。
いまだに自信がありません。
・・・というのも長いこと参考にすべきCDがなかったからなのですが。(Ariaの部分だけというのはたくさんありますが)
参考にすべきCDがあったとしても、イタリア語がものになってないとさまになりませんよね。

一番上の人の演奏だとRecitativoの部分はとても芝居がかっているというか、より演技が入った歌い方になっていますよね。
場合によっては音をはずすことも必要ですね。
これが私たちにはなかなかうまくできないところなのですよね。
Ariaになってしまえば簡単なのですが(・・・というわけでもないけれど)、Recitativoははっきり言って難しいです。
とにかく歌うよりもイタリア語で何度も読む練習をすると良いらしいのですが、私はいつも拍子とか音符の長さが気になります。
実はずっと適当にやっていたのですが(オペラアリアのカデンツァも)、そういうことではいけないのではないのだろうかと言う気がしています。
かといって、楽譜どおりだとやはりおかしいので、基本はきっちりでも最終的には言葉に従って・・・というのが正しい歌い方なのでしょう。
基本はきっちりだとしてもメトロノームに合わせてRecitativoの練習をするのもおかしいですよね。(もしかしてやっている人もいるのでしょうか?)
声楽の人は皆私のように最初から拍子も音符の長さも無視してRecitativoの練習をしているのでしょうか。
プロの人は違うのではないのだろうかと思うのですが・・・。
最初から無視して良いのならどうして楽譜にはそう書いてあるのでしょう?
グレゴリオ聖歌みたいに縦線がなければよいのに・・・とか考えてしまいます。
単なる目安?



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伴奏者選びと声楽練習の苦労話 [声楽]

毎日毎日忙しいです。
でもほとんどはうれしい忙しさかも?
ここ数日は音楽関係の忙しさでした。(過去形ではなくもうしばらく続きますが)

昨日やはり声楽をやっていらっしゃる方(ソプラノ)と伴奏者や練習について語り合いました。
その方は音大声楽科出身で現在はピアノの先生です。
夜の女王のアリアなどが歌えるコロラトゥーラ・ソプラノの方なのですが、私が毎年参加している演奏会に何度か参加されています。
今年は参加されないということで「残念ですね~」と言う話から、お話が弾みました。
まずその方の場合、毎年頼りにされていた伴奏者が遠くに引っ越されたので歌うなら別な人を頼まないといけません。
音大出身なので弾けるお友達は多いけれど皆遠くなので頼むのが大変。
ぶっちゃけお礼が大変だと言う話になりました。
近場でもピアノの先生仲間がいるので私からすれば贅沢な環境なのですが、誰かに頼むとほかの先生に気を遣うことになるという話でした。
その感覚、何となくわかります。
うちで言えば長女に頼むか次女に頼むかで気を遣うようなものですね。
頼む側からすればできるだけ歌をサポートしてくれるような上手な伴奏者にお願いしたいところですが、ピアノの先生仲間というのは結構プライドが高い人が多く、そこらへん難しそうです。
それに「ソロがうまいからと言って伴奏がうまいわけじゃないよね~。」と言う話にもなりました。
この方、今まではご自分の声楽の先生の命令(?)ということで同じ伴奏者で何年かやって来れたのですが、声楽の先生の息がかかってない演奏会の場合、誰に伴奏を頼むかというのは皆共通の悩みなのですね。
それと周りのピアノの先生は結構伴奏したがるという話も出ていました。
実は私の近くでも「伴奏するよ~。」と言ってくださっていた方がいらっしゃって、今年はその方にお願いしようかと思っていたのですが都合が悪くなってできなくなりました。
去年頼んだ方も日程が合わなかったし、頼みたい人は皆遠くの人ばかりでした。

練習に関して・・・。
私同様、その方も声出しできる環境がないということでした。
「親も私の歌声を知らないと思う。」という話でした。
彼女も私のように車の中で運転しながら歌う事が多いようですね。
確かに高速道路を一人で運転している時は歌って眠気覚ましが良いのですが、でもやっぱり本気練習というわけにはいきませんよね。
普段は腹筋を鍛えるために30分V字型になったり(?)、高音はハミング程度という話をしていましたが・・・。
やっぱり皆伴奏者選び、練習に苦労しているのだなあと思いました。

伴奏の話に戻りますが、身内に頼むと言うのも手っ取り早そうで苦労が多いのです。
それぞれほかにもいろいろやることがありますしね。
ある程度ご機嫌取りが必要ですし(叱りすぎて「二度とやらない」と言われても困るし。)、かと言ってあまりにも練習してなさそうだといらいらしますし・・・。

・・・ということで私にとって理想の伴奏者は

1.ある程度の近場。でも地元じゃないほうが良いかも。
2.独身が良い。(家庭持ちはいろいろ大変。都合が悪くなる事が多いし。)
3.上手に越した事はないですが、それよりも「伴奏をしたい!」という強い意欲のある人。
4.できれば練習室があって「うちで合わせましょう。」と言っていただけるとありがたいです。もちろんそれ以外の気遣いは不要。
5.声楽をある程度やっていてよくわかっている人は心強いです。
6.簡単な曲だからと言って適当にごまかさない人。
7.同性(異性でも良いですが、私は人妻なので二人きりになると困ります。笑)←これ、音楽の個人レッスンでもそうかも?でもたいていはこんなこと言っていられませんよね。

ほかにもあるかもしれませんが・・・。

上の項目で7番絡みですが、某楽器店の練習室は入り口ドアがガラス張りで全身見えて恥ずかしいと言う話題にもなりました。
歌っているところって見られると恥ずかしいですものね。
でももしかしたらこれは個人レッスンで変な事にならないように・・・という配慮なのかもしれません。(苦笑)
もちろん変なことになる人なんて本当に限られていると思うのですけれど。
男性の先生のところに伴奏者なしでレッスンに行ったことなんて何回もありますが、まったくそんな心配はなかったですし。










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散歩唱歌 [声楽]

最近では「さんぽ」と言えば、「となりのトトロ」の「さんぽ」(中川李枝子作詞・久石譲作曲)を思い浮かべる人がほとんどだと思います。
そうではなくて唱歌の「散歩」を思い浮かべる方は「となりのトトロ」を知らない世代か子育ての経験がないかなんじゃないかなと思います。
唱歌の「散歩」、私は小2の時に歌った記憶があります。
大好きな歌でよく田んぼや川のそばで歌っていました。

私が歌っていた勝承夫作詞・多梅稚作曲の唱歌の「散歩」は2番までしかありませんが、もともとは大和田建樹の格調高い詞で春夏秋冬と歌詞があり、春と秋は15番まであり、夏はと冬は10番まであるのです。

歌詞を比較してみましょう。

【勝承夫作詞(昭和22年)の「散歩」】→こちらをどうぞ(音声が流れます。)

【大和田建樹作詞(明治34年)の「散歩唱歌」】



来(きた)れや友よ 打(うち)つれて
愉快に今日は 散歩せん
日は暖かく 雲はれて
けしき勝(すぐ)れて よき野辺(のべ)に


空気の清き 野にいでて
唱歌うたわん もろともに
急げ 花ある処(ところ)まで
急げ 草摘(つ)む処まで


見返るあとに 霞(かす)みつつ
立てるは 村の松の影(かげ)
吾(われ)行(ゆ)く先に 心地(ここち)よく
躍(おど)るは 川の水の声


踏めば 音ある板橋を
渡る袂(たもと)に 吹き来るは
もつれし土手の 糸柳(いとやなぎ)
ときしあまりの 春の風


黄なる菜のはな 青き麦
錦(にしき)と見ゆる 野のおもの
ここやかしこに おりのぼる
雲雀(ひばり)の歌の おもしろさ


長き日ぐらし 舞い狂う
ちょうちょうは 羽も疲るらん
暫(しば)しは休め ここに来て
吾等(われら)も休む 芝原(しばはら)に


やさしき花の 菫(すみれ)ぐさ
うしろに五つ 前に三(み)つ
先(さき)なる友は 残したり
あとなる友よ 踏み折るな


うす紅(くれない)に 立つ雲と
見えたる岡の さくら花
莟(つぼみ)もあらず 散りもせぬ
盛(さかり)にあえる うれしさよ


やよや 梢(こずえ)の鶯(うぐいす)も
うたえや われらに声そろえ
春の日影(ひかげ)は なお高し
われらの歌は まだ尽きず

10
手帳 鉛筆 取りいだし
ここの景色も 写しみん
向うの畑を 打つ人の
笠は 手本の中にあり

11
宮のうしろの 山高く
登れば 谷の岩蔭(いわかげ)に
蕨(わらび)取る子も 見ゆるなり
つつじ折る子も 見ゆるなり

12
あの藤ほしや いかにせん
仰げば 岸はいと高し
招くに似たる 紫の
房は 松より曲りたり

13
水を離れて 一二寸(いちにすん)
出でたる小田(おだ)の 苗代(なわしろ)は
はや青々と なりにけり
田植はいつぞ 六月か

14
名残(なごり)は あとに残れども
またこの次の 日曜を
約していざや 別れまし
さらば胡蝶(こちょう)よ 春風よ

15
愉快に 今日は遊びたり
明日は 学科を怠るな
身を健康に なす事も
国に報いん ためなるぞ




すずしき流れ 清き風
夏こそ 野辺に来りたれ
散歩の時は 今なるぞ
すごすな あだに休み日(び)を


日はあつからず 寒からず
雲なき空の ここちよや
若葉の中に 咲き残る
躑躅(つつじ)たずねん もろともに


道のかたえに 池ありて
緋鯉(ひごい)のあそぶは 誰(た)が宿ぞ
むらさき匂う 杜若(かきつばた)
花は 燕(つばめ)の飛ぶに似て


水のあなたに 曝(さら)したる
布(きぬ)の岸打つ 白波(しろきなみ)
近より見れば 卯の花の
さかりは今ぞ 面白や


雲雀の歌の 聞ゆるは
村のうしろの 麦畑
茶摘にゆきて 帰り来る
少女(おとめ)の声は 木蔭(こかげ)より


麦笛吹きて 遊ぶ子よ
いちごのあるは どの山ぞ
茂る夏草 ふみわけて
滝ある谷の しるべせよ


撫子(なでしこ)つくる 垣ねには
おるや 赤地(あかじ)の唐錦(からにしき)
牡丹(ぼたん)のあとに 咲きつづく
芥子(けし)も美し 百合(ゆり)もよし


田植近づく 田の水に
よべば答えて なく蛙(かわず)
思わぬ方(かた)に 声するは
水鶏(くいな)と 友は教えたり


むすびは 腰にたずさえつ
草鞋(わらじ)は 足にはきしめつ
千里の道も 物ならず
暮れなば暮れよ いざ歌え

10
歌声かれぬ 谷の水
遊びつかれぬ 森の鳥
皆わが友よ 夕月の
かげみるまでは いざ歌え



秋空はれて 日は高し
今こそ 吾等が散歩時
薄(すすき)は 野辺に招くなり
小鳥は 森に呼ぼうなり


呼ぼう小鳥は 何々ぞ
雀 山雀(やまがら) もず うずら
わかれし春の 雁(かり)がねは
竿(さお)になりてぞ 飛び渡る


招く薄(すすき)に 咲きまじる
花は糸萩(いとはぎ) 女郎花(おみなえし)
かしこもここも 七草の
盛り美し 見に行かん


飛び立ついなご おいかけて
稲の中ゆく 畔(あぜ)の道
ゆくさき問えど 答えぬは
笠きて立てる 案山子(かかし)なり


鳴子(なるこ)の音に 驚きて
空にむれ立つ むら雀
見る見る渡る 石橋の
上はあぶなし 心せよ


羽を広ぐる 蛍かと
見ゆるは 土手の蛍草
休みて またも飛んで行く
とんぼの羽に 風すずし


休みて行かん いざ友よ
腰懸岩(こしかけいわ)も ここにあり
帽子にかざす 花の香を
おいくる蝶(ちょう)も 二つ三つ


むこうの山に 聞ゆるは
草刈る人の 歌の声
われも歌わん 声高く
日頃習いし 唱歌をば


山にのぼれば 海広く
みえて白帆は 並びたり
霞も霧も へだてなき
今日の日和(ひより)の 晴れやかさ

10
わが故郷(ふるさと)の 城山に
父と登りて ながめたる
入江の波の 夕げしき
忘れぬ影は 今もなお

11
双眼鏡を 手に取れば
蟻(あり)かと見ゆる 人までも
物いいかわす 心地して
わが目の前に 立てるなり

12
紅葉(もみじ)はいずこ 夜ならば
鈴むし聞きに 籠(かご)さげて
来る人おおき 野辺なるを
昼は 萱(かや)ふく風ばかり

13
道の右より 左より
しげる枝葉の トンネルを
くぐる向うに 青々と
みゆるも嬉し 空の色

14
猟銃(りょうじゅう)さげて 犬つれて
山に猟せん 時は今
牧(まき)に馬あり 乗るもよし
水に舟あり 漕(こ)ぐもよし

15
川辺に 野辺に 山道に
散歩の庭は 果(はて)ぞなき
からだを 強く養いて
つとめよ 学(まなび)の教え草



小春の朝の 空はれて
散歩にいずる 楽しさよ
日はあたたかに 照しつつ
のこれる菊の 香も高し


草葉に 白く置きそめし
霜は 消えたる跡の道
秋のかたみの 紅葉(もみじ)ばも
ぬれて三つ四つ こぼれたり


折れんと思う 山茶花(さざんか)の
盛り いつしか過ぎたれど
水には浮ぶ 鴛鴦(おしどり)の
つばさ美(うるわ)し 花よりも


鈴かと見えて 遠くまで
光る梢(こずえ)の くだものは
柿か 蜜柑(みかん)か 橙(だいだい)か
霜にも枯れぬ 雄々しさよ


すみれをつみて 休みたる
岡べはここか 冬みれば
草の緑も 紫も
あとなく枯れて 風さむし


ひとりわれらを 励ますは
枯野の松の ふか緑
千辛万苦(せんしんばんく)の 後(のち)にこそ
ほまれも 世には知られけれ


うれしや ここの立石は
左へゆけと 示したり
迷わぬ道の 一筋(ひとすじ)に
急げや 友のすみかまで


遠き山々 雪見えて
冬のけしきを 添えにけり
散歩の道を 白妙に
埋むるは いつの朝なるぞ


雪ふりつまば 源平(げんぺい)に
分れて 君と戦わん
我等が腕を 習志野(ならしの)の
原とはここか 面白や

10
六日(むいか)の学科 怠らず
勉めて遊ぶ 楽しさを
知るか 小川の水までも
われをむかえて 歌うなり




あまりの長さにびっくり仰天!
明治の唱歌は長いものが多いですよね。
この歌は何年生が歌っていたのでしょうか。
歌詞から都会の散歩する余裕のある階層の子たちのための歌という感じがします。

ちなみにこの長いほうは「散歩唱歌」と呼ばれているようで短いほうの「散歩」と区別されています。


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合唱の”音取り” [声楽]

すとんさんが興味深いことを書いていらっしゃったのでコメント代わりに記事にします。(ちなみに偶然ですがすとんさんの「歌劇団」と私たちの少人数アンサンブルは一部同じ曲をやっています。)

私がやっている少人数アンサンブルには大まかに言ってピアノ専門で来た”ピアノ組”の人と歌専門で来た”歌組”の人がいます。
専門とは言ってもレヴェルはさまざまです。
最初は”歌組”が多く、クラシックの歌曲などのアンサンブル中心でいきそうでしたが、有力な人が抜けたので今は”ピアノ組”に押されていると言ったところです。
本番は慰問中心ですが、皆が皆ピアノを弾くわけにはいかないし、そもそも本物のピアノがあるところのほうが珍しいです。
本物はともかくデジタルピアノでもあればラッキーなほうで、大抵はキーボード。
ピアノの人の本領が発揮しにくいですね。
歌組の人もある程度ピアノが弾ける人ばかりなので、伴奏は交代です。
他の楽器ができる人もいますが、なかなか組み合わせにくかったり(トランペット・ギター・リコーダー・ヴァイオリン・フルート・・・)で合奏というのも難しいです。
結局は皆ができる歌・・・ということになるのですが、前にも書いたようにこれがまた悩みの種なのです。

本音を言えば私はソプラノなので主旋律かどうかにはこだわらないけれど、ソプラノパートで歌うほうが自分のためになるのでそうしたいのです。
ですが、皆大抵ソプラノを希望するのです!(爆)
理由は主旋律が多いのでわかりやすいからです。
かといって皆でユニゾン(斉唱)ばかりもおもしろくないですよね?
みんなでやるなら合唱ですよ。
前回の慰問では練習時間がなかったこともあって、私がアルトを引き受けました。
前回我慢したので今回はソプラノです。
今は新しく入ったメンバーも多いのですが、「頑張って下のパートを歌うわ~。」と言っていた人も「難しいのでソプラノを歌わせて。」と言ってきたり、まあいろいろです。(ソプラノになると今度は「高いところが難しい。」になります。)
そんなこんなで下のパートを歌っていただくのに非常に気を使っている私です。
私がずっとアルトを引き受けてしまえばある意味楽なのですが、それはしたくないです。
すとんさんと同じくストレスがたまるからです。
主旋律でないのは良いとして自分が普段歌っているところよりずっと低いところばかりですから。
声楽や合唱の経験が乏しい人たちに同じように歌ってほしいと思うのは難しいことなので、だから何も言えないのですが、正直そういう人が主旋律パートになってしまうとバランス的にまずくなったりします。
”歌組”の有力メンバーでも合唱の人だとやはり私よりはボリュームがないです。
自分だけがソプラノで歌うというのは悪いなあ・・・と思いつつ、全体を考えると心を鬼にしないといけないかなあ・・・と思う私なのでした。
これがもっと大人数の合唱団なら各パートに頼れる人が一人はいるのでこういう悩みはないのですけれどね。
もちろん、今のメンバーが声楽の訓練をある程度したらもっと出せるとは思うのですが、それをするための時間がないというのが現状です。
皆時間をやりくりして集まっていますので。

さて、そこで今日の本題です。
声楽的な訓練や譜読みに時間を割けないけれど、ある程度音楽的な能力のある人が集まっている、という状況です。
皆ピアノがある程度弾けますので自宅で音取りをすれば良いと思うのですが、仕事を持っている人も多いし主婦業もあってなかなかそれもできない人が多いです。(何を隠そう私もですが。)
でも音大ピアノ科出身者なら初見はできて当たり前・・・と思うでしょう?
ですが、初見で合唱ができるかというとそうでもないのです。
たぶん私よりずっと初見・聴音の能力がありそうな方々ですが初見では満足に歌えていないと思います。
(歌えていても声が小さくて聞こえません。自信もなさそうです。)
私は初見・聴音は自慢じゃありませんが本当に力はありません。
ですが主旋律パートでなくてもばっちり周りに聞こえるように歌えるのは私たち”歌組”です。
もちろん間違いもあるにはあるのですが一度目で失敗したら2回目3回目で直せます。
直すために特にピアノで音取りをするわけではなく他のパートの響きを聴いて調整しています。
私の場合、合唱経験年数が特に長いわけではないし、初見視唱の訓練は足りてないと思っています。
コールユーブンゲンとかコンコーネもあまりやっていないです。
合唱経験者の方も合唱大好きだけれどブランクもかなり長いですし、特に初見や聴音などの訓練を受けている人ではありません。
こんな私たちが初見&聴音の訓練をみっちり受けているはずの人たちよりも楽に主旋律でないパートの音取りができるのはなぜでしょうか。
けして自慢で書いているわけではありません。
ある程度合唱に対する感覚は鋭敏かもしれませんが。(あくまでもある程度。)

・・・で主旋律以外のパートを歌うというのはけして嫌いじゃないですし、楽しいです。
ただ、自分の声に合わない声域だときついし、脇役ばかりは嫌ですけれど。
自分が歌っている音が間違ってなくてちゃんとハモると快感!
特に”音取り”のための練習をせずにできるとなお楽しいのです。
今休んでいる地元の合唱団ではひたすら音取りに時間をかけるのでソプラノパートは退屈しきっています。

・・・でその”音取り”ですが、普通は鍵盤楽器で音を出して声を出しますよね。
自分がまとめ役になるとよくわかるのですが、この鍵盤楽器は音取りの最初には必要かもしれませんがかえって邪魔だと思うことが多いです。
できればちゃんとしたピッチで歌える人に合わせて声だけで音取りをしたいです。
なぜ鍵盤楽器が邪魔かというと、どこに欠点があるのか見えにくくなるからです。
なくしてしまうとあらが目立つので困る人も多いかもしれませんが、いずれははずさなければならないのでなるべく早く外したほうが良いと思います。
私たちの練習ではピアノ担当の人が思いっきりはっきりとした大きな音でペダルを踏みながら音取りをしてくれたのですが、そこまでしてもらうと歌がまったく聞こえなくなってしまいます。
音取りの際の鍵盤楽器は最小限で、下がりそうになったらところどころ確認のために鳴らす程度で良いと思います。

それと音取りで精一杯な人には酷な話かもしれませんが、どのパートもある程度歌えるようにしておくと自分のパートを歌う時に生きてくるのだと思います。
音楽的訓練の下地がない人ばかりなら大変かもしれませんが、私たちのアンサンブルは下地がある人ばかりなのでけして難しい話ではないのです。
それなのに・・・案外できないというのはなぜなのだろうかと思う私です。


ちょっと傲慢に受け取られかねない表現があるかもしれませんが、まとめ役の実感です。

メゾパートやアルトパートが主旋律になるような編曲をしてくれたら皆が喜んでメゾやアルトを歌ってくれるかも?
まあ主旋律を交代で歌う曲も多いですけれどね。

”音取り”と言えば練習のための音源も必需品ですよね。
最近は簡単に作れると思いますが、これを作成する人の苦労というのもありますよね。(苦労でない?)
だから譜読みができないと言う人も多少は苦労をしたほうが良いのではないのだろうかと思う私です。
譜読みができるようになればそれこそ一生モノの財産なわけですし。
一曲を仕上げる時間が大幅に減れば音楽ライフを楽しめます。









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