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大切なのは何を信じるかだ・・・「ダビンチ・コード」を観て [映画]

話題の「ダビンチ・コード」を観ました。

西洋絵画に関心はあるものの、話題のあるものにはすぐ飛びつかない私も、キリスト教の根幹を揺るがす・・・という話をブログ上で知って以来、どんなにすごいものかと思って、気になって観に行ってしまいました。

スリル満点、アクション満点のドラマが展開され、マグダラのマリアは実はイエスの妻だった、というスキャンダラスな(?)話題もあり、道具仕立ては派手でした。
前日に原作を買ったものの、暇がなくて結局ほとんど読まずに観に行きました。
主人公の味方のような人たちが次々と敵役に変わっていくので、先が読めずはらはらしました。

私としては、絵画の謎に迫ることがテーマのお話かと思っていたのですが、違いましたね。

これから又原作を読んでみます。
詳しい分析はこれからということにして、まずは初めて映画を観た感想。

おもしろかった!

映画の出来としてはどうかわかりませんが、それは映画評論家の方々にお任せしましょう。

クリスチャンだからといって、話の内容が教義を揺るがすものだとは思いませんでしたし、信仰が揺らぐような内容でもありませんでした。(そうなるかもしれないことまで予測して行ったのですが・・・)

最後のところで、「大切なのは何を信じるか、ということだ。」というようなことをラングドンがソフィーに言います。

意外なほど古典的な結末でした。

イエスが神の子でなく、人間の子であったとしても、大いなるものに「祈る」気持ちには変わりがない・・・というようなことを言っています。

しかし・・・今ざっと原作の最後の部分を読みましたが、どうもこのような箇所はないようですね。

・・・ということで小説のほうは又言わんとするところが違うのかもしれませんが、「何を信じるかだ。」ということに私は心を惹かれました。(・・・というか引っかかりました。)

昔、宗教について考えていた時期、キリスト教と他宗教を比較したり、正統と異端について考察をめぐらせていました。

何が正しいのか、正直結論らしきものは出なかったように思います。

結局正統派らしき道を選び取りましたが、その過程においても、又教義を理解する中でも、たびたびこの言葉・・・何を信じるかだ・・・が登場したように思います。

「イエスの奇跡はあったかなかったか。」「復活はあったのかなかったのか。」などの疑問を持つ中で

見ないで信じるのが「信仰」だ。

「信仰」とは「結婚」と同じで「賭け」である。

・・・という言葉はさまざまな立場の人や、書物が言っていたように思います。

そのたびにだまされたような気持ちになった記憶も蘇ってきますが・・・

この映画の結末でもこのようなことを言われていたのには、正直驚きましたね。

うちに「キリスト最後の誘惑」のビデオがあり(夫のものです。)、観たことがなかったのですが、こちらではマグダラのマリアの描き方がどうだったか気になります。
・・・ということで観てみます。

私は実は昔、キリスト教といってもいろいろなものに触れてきました。

これだけでブログを作れるくらいなのですが、私の「精神史」になりますね。

今では、そんなに深く考えることもなくなり、のほほんとしているのですが、異端的キリスト教やカルト教団(友達が入っていた某教団)に触れる中で、異端的教義に触れることも多かったですし、大学がキリスト教主義でしたので、「キリスト教学」なる科目が一年次、三年次に必修でした。興味があったので、哲学科の授業にも顔を出し、学問としての「キリスト教学」の授業も取りました。(先生の立場によって、内容が異なりました。あくまでも牧師先生として語る先生もいらっしゃったし、学問として極めている先生もいらっしゃったし。)
その中で外典と言われているトマス福音書にも触れましたが、記憶がおぼろげになっているので、もう一度読んでみたいと思っています。

何が言いたいかというと、護教的な話にばかり触れているわけではないので、マグダラのマリアが妻だったなどという話には、今更驚かない・・・ということです。





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降龍十八章

中国では放映禁止になりました。まじめな人が多いんですね?
確かに、最後にそんなセリフはないですね。
ソフィーの祖母がラングドンに、One day it will dawn on you
といい、二日後にラングドンはルーブルの逆さピラミッドで最後の真実?をつかむ(悟る?)というものでしたね。
by 降龍十八章 (2006-06-11 13:38) 

Cecilia

降龍十八掌さん、コメントありがとうございます!
放映禁止ですか!
私も家族で観に行き、ダビデの星の△と▽の示す意味のところで、娘が気になりどきどきしてしまいました。
原作はこれからじっくり読むつもりです。
又発見があれば記事を書きたいです。
by Cecilia (2006-06-11 21:50) 

Cecilia

みどさん、niceありがとうございます!
私もみどさんみたいにオペラ観に行きた~い!!
by Cecilia (2006-06-11 21:51) 

una

私も今日映画を観てきました
この作品はカトリックの私には衝撃がキツイかも!?と
躊躇してましたが私にとっては何のことはない
「ようは何を信じるか」でした
教えられたことだけを信じて来てたら私も躓いていたかも・・・
信じたふりをして疑ってきたことも多し・・・です
アタシって異端だね あははっ
by una (2006-06-16 15:28) 

Cecilia

unaさん、コメントありがとうございました!
待ってました!!
信じたふりをして疑ってきた・・・unaさん、あなたは大物ですね。
ただ、映画のその結末は、上で書いたように小説と少し違うので、そこのところが気になりますね。
道具仕立てが派手なので、皆そういうところに目が行くようですが、それほど衝撃的な作品ではないですよね。
by Cecilia (2006-06-16 16:09) 

のの

昨日、ようやく観ました。

私は原作を読んでから観たのですが、原作の方が面白いと思いました。
特にシラスが死ぬ場面は、原作では感動したのに…
警部の「シラスは死んだ」の一言で終わっちゃうなんて。

イエスさまとマグダラのマリアが結婚していた説は、ずっと昔に
耳にしたこともありますので、別に驚きもしなかった。
子どもがいたら神じゃないなんてことも思いません。
イエスさまが「神」でありながら「人」であることも納得していますからねー。
(単にあれこれ考えるのが面倒なだけかも)
その程度のことで自分が救われないなんて、少しも思いませんでした。
「なんだ、私って意外とゆるぎない信仰を持ってるんじゃん」なんて
ノーテンキなことまで思っちゃいましたよ。
by のの (2006-07-19 16:06) 

Cecilia

ののさん、nice&コメントありがとうございます!
上のunaさんのブログでも原作のシラスが死ぬ場面で感動した、とあったと思います。
私はあれから忙しすぎて読めていません。(ブログ書く暇があったら読めるのですが・・・。)斜め読みはしています。
イエス様が人となられて、十字架上の死に際しても徹底的に「弱い」人であられた・・・という理解をしていますので、私も子供がいても驚かないと思います。(でも気になります!)
うちに「キリスト最後の誘惑」のビデオ(夫のやつ)があるので見たいのですが、子供にまずくないかな~?「パッション」ももう一度観たいのですが・・・。(でも長女はホラーとか結構読んでいるし、あれくらいびっくりしないかもしれません。)
「ジーザス・クライスト・スーパースター」の受難の場面は夫が繰り返し繰り返し観るので頭にこびりついています。CDも繰り返し繰り返し聴くのです!(吐き気がしそうなほど繰り返すんですよ~!)

私も「信仰が揺らぐかもしれない」ことを少し期待(?)して行ったのですが、あの映画を観て揺らぐということは特にありませんでした。単に鈍いだけかもしれません。
by Cecilia (2006-07-20 08:28) 

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