「コタンの口笛」・・・主に音楽面とキリスト教的視点 [読書]
アイヌであるがゆえの苦悩を背負った姉と弟が健気に生きていく姿に感動するということはもちろんなのですが、石森延男の音楽の趣味とかキリスト教への傾倒みたいなものが垣間見られるというのが私が興味を持って読んでいる部分です。
実は先ほどこの作品に登場する音楽を書き出していてかなり進んだところで台無しにしてしまったのですが、かなりたくさんの曲名が登場します。それは主に西洋音楽ですがアイヌの歌や楽器も登場します。また音楽だけでなく美術や文学に関する記述も多く、全体を通して石森延男の芸術論・宗教観がかなり出ていると感じます。
この作品の中の中学生(昭和20年代後半から30年代前半くらい)は現代の中学生と違い大変大人のように思えます。はっきり言って大学生レベルで、しかもかなり知的な感じです。当時の中学生は現代の中学生よりも大人だったとは思いますが、ショパンのピアノ奏鳴曲(ソナタ)に関して薀蓄を語る中学生はいなかったと思います。(笑)しかもこれ、地方の公立中学です。
音楽の先生の授業もすごいです。必ず自分のピアノ演奏を生徒たちに聴かせ、音楽の形式について詳しく解説しています。
マサにとって(美術もそうなのですが)音楽は心の糧であって、合唱によって仲間と心を通わせる部分は大変楽しそうに美しい場面として描かれています。
父親が亡くなりマサが引き取られた家はクリスチャンの一家なのですがクリスマスの日に小学生の女の子(ユリ子)が歌っている歌からも作者がかなり讃美歌に詳しいということがよくわかります。
ユリ子は「まぶねのかたえに」を歌っています。原曲はこの曲です。
ユリ子はおばあさんからオルガンを習っていてバッハの前奏曲(どの曲かまではわかりません。)を弾きます。
また私が以前このブログで取り上げた「四葉のクローバー」という歌が取り上げられているというのも興味深い点ですね。この曲も宗教曲ではないですが「信仰・希望・愛」が入っていてキリスト教的な歌詞であると思っています。
子供の頃私はこの作品をほとんど読んでいませんでした。(今手元にあるのは実家にあった本なのです。)最初のあたりでいかにも優等生的な姉のマサにあまり感情移入できなかったというのもあるかもしれません。
でも今読んでみると優等生マサが尊敬していた美術教師谷口と音楽教師三井の結婚を知ったあとの描写が人間臭さが感じられて共感できますね。マサはこの二人の教師から芸術面でたくさん影響を受けていて、二人を尊敬しています。特に谷口に対しては恋愛感情にも近い思慕を抱いています。(まあ恋愛感情と言って良いでしょう。)二人はそれぞれ別の時期に退職したのですが、同じ封筒にそれぞれの手紙を入れ結婚の報告をします。マサは言いようのない思いにとらわれ、上で書いたユリ子(育ちが良いため気立てが良い。可愛らしい。)に対しても妬ましさを感じ意地悪な行為をしようかとさえ思うのです。そのあと吹雪の中に飛び出したために大変なことになるのですが、この部分は三浦綾子の「氷点」を彷彿させる感じがします。
つまり何の罪もなく健気に生きているように見える人であっても「誰でも心の中には闇が存在する。」ということへの気づきがあるという点です。マサもこの事件で自分の心の闇に気づきますが、このあと自分を苦しめてきたクラスメイトとの和解があったりします。
このような話の展開からもこの作品は非常にキリスト教的であると感じられます。
登場人物にクリスチャンが多いとか讃美歌が多く登場するということからもわかるのですが。
マサもユタカ(弟)もクリスチャンになるわけではないのですが、石森延男がそうであるようにキリスト教に傾倒しているところが見られますね。
コタンの口笛 第1部 上 あらしの歌 (偕成社文庫 4017)
- 作者: 石森 延男
- 出版社/メーカー: 偕成社
- 発売日: 1976/09
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
コタンの口笛 第2部上 (3)―光の歌 (偕成社文庫 4019)
- 作者: 石森 延男
- 出版社/メーカー: 偕成社
- 発売日: 1976/12
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
コタンの口笛 第2部下 (4)―光の歌 (偕成社文庫 4020)
- 作者: 石森 延男
- 出版社/メーカー: 偕成社
- 発売日: 1976/12
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
また「別冊・花とゆめ」を購入してしまいました・・・ [読書]
さて現実逃避ではないのですが、以前も書いた「ガラスの仮面」の展開がますます気になる今日この頃。以前は単行本しか購入しなかったのに待ちきれなくて「別冊・花とゆめ」を購入しています。毎月26日が発売日で、早速11月号を購入してしまいましたよ。(苦笑)
先月号では真澄様が鷹宮翁(婚約者紫織の祖父)に土下座までされてどうなるか心配でしたが、今月はとても胸がすかっとしますね~。この颯爽とした真澄様の姿に惚れ直す人(主に鷹宮家の人々)が増えるのでは・・・と逆に心配になりますが(笑)、もう真澄様に迷いはないという雰囲気です。
真澄様はもう速水英介の言いなりにはならないのでしょう。・・・とすると今後英介がどのような行動を取るのかが気になります。実はマヤを気に入っているようですし。
ああ、早く来月号を読みたいです。もう今までの単行本を覚えるほど読んでいるのに更に繰り返して読んで(主に速水真澄登場シーン)いる自分が本当に情けないのですが、待ちきれないのですもの~。もう娘たちにはあきれられています。(5月の記事→こちら)
「別冊・花とゆめ」の最新号ためし読みはこちらから・・・。(この記事を書いている時点では11月号のためし読みはまだできませんね~。)
「ガラスの仮面」以外は正直まったく興味がないのですが、この分厚い別冊をもう3ヶ月も購入してしまっています。ファンの間ではコミックになると大幅に内容が変わることもあるので購入したほうが良いという噂ですが。
「ガラスの仮面」の今後の展開が気になる! [読書]
そうこうしているうちに本番も近づいていますが、体調を整えて臨みたいですね。
ちょっと前に書いた記事で触れたいわき市歌、こちらで聴けるようになりました。生演奏でないのが残念ですが・・・。
私の世代はかなり歌えるはずですが、最近は歌われてないようですので残念です。
さて、忙しい日々での楽しみ・・・特にこの春は非常に重い気持ちにならざるを得ませんでしたが、その中でのささやかな(大きな?)楽しみの一つに、「ガラスの仮面」の連載がありました。
長いこと中断されていましたが、去年の後半からの連載では大きな展開があり、目を離すことができない状況です。7月号からまた少しお休みになるようですが、このあとどうなるのか気になりますし47巻も早く出てほしいです!
一番の気がかりは「紅天女」の行方ではなく、速水真澄と北島マヤがどうなるかです。
心が通じ合っていることはもう確認できていますので、結婚できるかどうかですね。結婚の場面などは出てこないと思いますけれど、真澄が鷹宮紫織と円満に破談になれば良いのですが、どうなるでしょう。
やっと休載前の時期の話に戻ったけれど、話も大幅に変更されています。
私は真澄の義父である英介氏が一働きしてくれるのでは・・・と期待しているのですが。
マヤの師である月影千草が”魂の片割れ”である尾崎一連(「紅天女」の作者)を肉体的に結ばれた直後に自死という形で失っていますが(それでも「死んで恋が終わるとは思わぬ。」というわけですが)、真澄が同じようなことにならないよう願っています。
やはりマヤが主人公ですし、最終的には彼女が「紅天女」を勝ち取るとは思うのですが、姫川亜弓の努力や執念を見ていると、そちらも応援したくなってしまいます。マヤの演技に努力がないとは思いませんが、どちらかと言うと神がかり的な要素が強いですからね。”魂の片割れ”を現実に持っているという時点でどうしても有利ですし。やはり役をつかむための恋を描いているわけで、実際に結婚できるかどうかは話の全体の筋から言えばどうでも良いのかもしれません。
でも!でも!
私は真澄(さま)にマヤと結ばれてほしいと真剣に思ってしまいます。
それと真澄は一連のようにはならないと確信しています。
何と言っても切れ者で冷静ですし(恋に関しては不器用ですが)、有能で信頼できる部下(水城秘書と聖唐人)を持っているし、時間がかかっても成就させる方向に持っていくのではと思うのです。
どうしようもない状況に陥ったときに、愛情のない親子関係だった義父の助けが・・・。(英介氏はマヤを気に入っているし)
マヤを通して義父との和解も成立するのでは、と思います。
それからこの恋を通して英介氏と月影千草の和解もあるのでは?(英介氏は月影千草=紅天女に恋をしていたのですが、尾崎一連を死に至らしめる原因を作っている。)
亜弓さんがどうなるのか心配でもありますが・・・。
東京からきた女の子 [読書]
小学校中学年向きでしょうか。
母が買ってきた本ですが、これは映画化されていたのですね。
実家にあった本は全集ではなく単行本です。
映画でのあらすじはこちらに出ています。
東京からきた女の子(1978) - goo 映画
ほぼ原作どおりだと思いますが、映画では東京から来た女の子の父親は高速縦貫道路の作業員になっています。
原作ではダム工事の作業員だったと記憶しています。
子供の人間関係に大人の仕事の事情が反映されてしまうんだなあ、と今ならそういう視点で読んでしまいそうなのですが、子供の頃は女の子の作り話を信じて”新婚旅行”までしてしまう男の子の立場になって読んでいました。
女の子の作り話の中に「お母さんは中野でピアノの先生をしている。」というのがありました。
(お母さんとお父さんは離婚しているのか別居しているのかわからないです。そこらへん詳しく書いてあったでしょうか?)
中野というのは東京の中野なのですが、この本のおかげで中野=ピアノのイメージができてしまいました。
でも中野のピアノの先生、多そうですね。(笑)
私が当時ついていたピアノの先生のレッスン室は(この本の頃は友人宅レッスンから先生の新築された自宅レッスンに変わっていた頃だと思います。)、私の実家にはない素敵なシャンデリアがグランドピアノの上に煌いていましたが、ピアノの先生の家というのはそういうものなのだと思って読んでいました。
作者のイメージでもそうだったのだろうと思います。
ピアノの先生というものにはハイソでハイカラなイメージがありますよね。
”結婚式”の場面は子供のごっこ遊びのようなものですが、神父役がいて本格的でした。
シロツメクサか何かの髪飾りとブーケがとても素敵だと思えた場面です。
しかも”新婚旅行”のトラックには空き缶付き!(あの頃、空き缶をオープンカーにつないでカラコロさせるのがはやっていましたよね?田舎でやる人はいなかったと思いますが。)
東京から来た女の子は今で言えば”濃いキャラ”なのですが、たとえ作り話ばかりで固めたような子でも魅力ある子でした。
こういう子が実際にいたらかなり問題児だと思いますが。
何と言っても遠くの知らない町まで”新婚旅行”に行ってしまうのですから。
最後のほうで村を沈めるための発破の音がする場面があったと記憶しています。
岩波の子どもの本シリーズと米良さん [読書]
2000年5月14日・・・10年前の会報です。
そこに載っていた絵本は私が娘たちと共に楽しんだものでした。
バートンの絵本は他にも何冊かあるのですが、この絵本を一番多く読みました。
実は洋書も持っています。
田舎の静かなところに建っていた”ちいさいおうち”ですが、時が経つにつれて周りがどんどん変化していきます。
ついに”ちいさなおうち”の周りは大都会になってしまい、住む人もいなくなってしまいます。
(この辺の経過に何ページも割かれています。)
季節を感じることもできなくなってしまい、”ちいさいおうち”を振り返って見る人もいなくなります。
しかしある日、この家を建てた人の孫の孫のそのまた孫にあたる人が「私のおばあさんが小さい時に住んでいた家にそっくり。」と言い、建築屋さんに頼んで”ちいさいおうち”を田舎に運びました。
”ちいさいおうち”はきれいにしてもらって再び季節を感じながら暮らすことができるようになるのです。
27冊残っている絵本は一人っ子だったこともあって保管状態が良かったとのことです。
会報から引用します。
「世界の物語がとてもかわいい絵とともに描かれたこれらの本は、ボクの教育係のように、小さかった自分にいろんな感性をプレゼントしてくれました。」
「今、手元に残っている27冊の宝物はボクに白髪が生えても、腰が曲がっても大切に読まれていることでしょう。」
この号の読者プレゼントは「ちいさいおうち」「ひとまねこざるびょういんへいく」「じてんしゃにのるひとまねこざる」「ひとまねこざる」「ろけっとこざる」になっています。
米良さんのものではなく新品でしたが、サイン入りでプレゼントされていますね。
私は暇がなかったようで応募していませんでした。
米良さんはシリーズで読まれているようなのでシリーズの他の本も読まれていると思いますが、私が長女の3歳のプレゼントに買ったのは「たこをあげるひとまねこざる」でした。
長女は当時”ひとまねこざるのじょーじ”が大好きだったので買ったのでした。
他に思い出のある絵本として「きかんしゃやえもん」が挙げられています。
米良さんは「ちいさいおうち」「ひとまねこざる(シリーズ)」「きかんしゃやえもん」「ちびくろさんぼ」を”岩波の子どもの本”シリーズの小型絵本(縦書きです。)で持っていらっしゃるようです。
(プレゼントの写真は小型絵本のほうになっています。)
なお、私がここで貼り付けているAmazonのリンクは大型絵本のほうで、それは横書きです。
もともと横書き(英語)のものを”岩波の子どもの本”シリーズは縦書きにしています。
そうなるとレイアウトが変わってしまうし、めくり方もかわりますよね。
なのでここでは大型絵本のほうでご紹介させていただきたいと思ってそうしました。
これはもともと日本語のせいか横書きの大型絵本になっていないようですね。(縦書きで大型になっているのでしょうか?)
会報を見て知ったことですが作者の 阿川 弘之さんは阿川佐和子さんのお父様だったのですね。
(すみません。ここのところの記事で演奏家などを”さん付け”にしなかったのにこの記事では米良さんに合わせてそうしてしまいました。誰も気にしてない??)
「ボクの仲良しの阿川佐和子さん」と書いてありますね。
阿川佐和子さんによれば「あれ、父の唯一のベストセラーなのよ!」とのこと。
今は瑞雲舎から出ているようですがこれも”岩波の子どもの本”シリーズでした。
黒人差別ということで絶版になっていたものですよね。
米良さんが子供の頃はまだ岩波でした。
大地(パール・バック) [読書]
昔何度も読んだ本です。
家に集英社版の緑の本があってあのシリーズは結構気に入っていました。(家にあったのは「テス」「風と共に去りぬ」「大地」・・・くらいでしたが。)
初めて読んだのはたぶん小6(小5ではなかったと思います。)。
小学校の図書室で簡単ヴァージョンを借りてきてがっかりしたことを覚えていますので小学生だったことは確かです。
後半よりも前半のほうをしっかり読んでいたと思います。
王龍(ワン・ルン)と阿藍(オー・ラン)が結婚するあたりは新鮮な喜びがあって好きでした。
纏足と言う言葉を知ったのもこの小説だったと思いますが、結婚にまつわる習慣なども「へ~?」という感じで興味深く読んでいました。
お金持ちになった王龍が茶館(要するに娼館)に入り浸るあたりはドキドキしながら読んでいたと思います。
私、この話をクラスの友達に紹介していた記憶があるのですが、第一夫人とか第二夫人、第三夫人・・・とか説明しているのはどう思われていたのでしょう??
実家にあったのはこれでしょうか?
こちらで少しだけ読めます。
これを読むだけでも色々な記憶が蘇ってきますね~。
そういえば阿藍は料理上手で、月餅を作って配ったりするのですよね。
すごく美味しそうに思えました。
でも月餅はあまり好きではないのですが・・・。
たけくらべ [読書]
調べたら悲恋らしいし、恋が結婚と言う形で成就してしまったら芸の精進ができなくなるので残念な結果になるように思うのですが、ドキドキですね~。
見ていると笑えてしまう演出も多いのですが、ここのところ気になっているのは”水揚げ”です。
このブログで話題にするのは何だか恥ずかしいネタですが・・・。
これって花魁や舞妓・・・などが一人前になる時には必ずあるもので必ずしも性的関係があるとは限りませんが、このドラマではそれを伴う話なので、愛する人がいるジニたちが苦しむのですよね。
”水揚げ”と言えば以前昼ドラではまった「真珠夫人」!
これ菊池寛の小説とテレビドラマではだいぶ違うのですが(はっきり言って別物!)、ドラマでは愛する人と結ばれないヒロインが自分の廓の若い子の”水揚げ”を恋人に頼む・・・という場面がありました。
この時も非常に気になりました。
・・・で今まで書きたかったネタなのですが・・・樋口一葉の「たけくらべ」に関して。
原作本が手元にないですが、美登里が少女の日に別れを告げた・・・という内容の件です。
これは初潮を迎えたという意味なのか、”水揚げ”のことを指すのか議論されているようですね。
私1~2月に気になって気になって必死に調べていたのです。(笑)
一葉の「たけくらべ」 ビギナーズ・クラシックス 近代文学編 (角川文庫ソフィア)
- 作者:
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2005/04/23
- メディア: 文庫
↑
これ、立ち読みしてなかなか解説が充実していてわかりやすくていいなあ・・・と思いました。
以前交流があったブログで「たけくらべ」の話題になりましたが、樋口一葉は有名でも案外皆きちんと読んでないのですよね。
「たけくらべ」は私もでしたが「ガラスの仮面」で内容を知っている人が非常に多いということもその時判明しました。(笑)
結構読みにくいですしね。
教科書で読んだ人でも全文は読んでいないのでは?
「たけくらべ」のあらすじを知っていても原作を読まない限り美登里が少女の日に別れを告げた件について深く考えることもないと思います。
舞台が吉原ですし、ナンバーワンの花魁の妹ですし・・・。
いずれは花魁になる運命の少女と僧侶になる運命の少年の儚い恋・・・ちょっとお子様にはわかりにくい世界ですね~。
たけくらべ・・・このリンクの中に青空文庫へのリンクがありそこで読めます。
「ビーチャと学校生活」 [読書]
子供の頃の愛読書のひとつですが入手困難ということだったので、(最近も見かけたけれどなあ・・・)と思ったのでちょっと探してみました。
これ、本によって題名が微妙に違うのでいろいろな形で検索したほうがいいのですよね。
ビーチャと学校友だち (1976年) (学研小学生文庫〈5〉)
- 作者: 小林 与志
- 出版社/メーカー: 学習研究社
- 発売日: 1976/03
- メディア: 文庫
最近見かけたのは岩波少年文庫だったのでしょう。
こちらはヴィーチャになっていますね!
岩波のところをクリックすると馬の着ぐるみと少年たちの絵が出てきますが、これは「ルスランとリュドミラ」の劇を演じるシーンだと思います。
確か友達との喧嘩が絡んだ話だったと記憶しているのですが・・・もう一度読んでみたい!
「ルスランとリュドミラ」がオペラになっていることを知った時には驚きましたね。
(バレエシーンが美しかった!)
あと確かバイクが遠心力で球になった籠をのぼっていく場面があったと思います。
ビーチャは算数が苦手なのですが、妹に教えてと頼まれて必死に考えます。
(面子に関わるので「わからない。」とは言えない。)
そこで算数の楽しさを知り、自信を持つようになるのですが、そこがとても印象に残っています。
又、旧ソ連の話なので”ピオネール少年団”が出てくるのですが、これとても興味があります!
社会主義の国ってこういう組織がありますよね!
私が子供の頃はボーイスカウトも身近になくてどんなものなのかはさっぱりわからなかったのですが、似たようなものかな・・・と思って読んでいました。
(昔社会の授業か何かで教会に行かせないようにするために日曜日に活動するこのような団体があったと聞きましたが本当でしょうか??)
でもこの作品は旧ソ連だからといって政治色があるものではなく、どこの国の子供にも共通するような子供の姿を生き生きと描いていて、とても楽しめるものだと思います。
いわゆる優等生が主人公ではなく、かなり劣等生の問題児が主人公というのがいいです。
それも今では珍しくもないかもしれませんが、旧ソ連の勢いがあった時期の作品ですからね!
今はあまり読まれてないのでしょうか??
「石の花」は優曇華? [読書]
実はすでに一眠りしていますが・・・。(横になるとすぐに眠れます。)
たわいもない話ですが、娘達が”ウドンゲ”の話(けして花の名前として話していたわけではないです。)をしていたので思い出しました。
バレエになっている「石の花」(曲はプロコフィエフ)の話を昔読んだことがあるのですが、記憶も朧ですが、私が読んだ訳では主人公の石工(?)は石(孔雀石らしいです。)でウドンゲを作っていた・・・という記憶があるのです。
その時の挿絵では確か牡丹がもっと大きくなったような石の花が美しく描かれていた・・・と思います。
銅版画みたいな挿絵で美しかったので、そのイメージのまま記憶しています。
気になって”優曇華”&”うどんげ”&”ウドンゲ”で検索しましたが、どうも仏教上の伝説の花ということで、「これが優曇華だ・・・」という写真はすべて記憶の中の挿絵とは違っていました。
おそらく適切な訳がないので”優曇華”にしていたのでしょうけれど、本当はどういう花なのでしょうね?(←お話の中では・・・です。)
しかも孔雀石って、あの挿絵のイメージと違うじゃない!!
あまり色がついてない(大理石みたいな)イメージだったのに~!
バレエではどう表現されているのでしょうか?
これを読んだわけではないです。
↓
↑
まだバレエを観たことはないです。
近いうちCDで聴いてみたいです。
追記
この記事になぜかアクセス数が多いのは花とかバレエ、原作とは関係がないのでしょうね。(笑)
ハイネ詩集 [読書]
・・・と書くととてもすごい感じがしますけれど、今のように暇つぶしができるものがなかったせいです。
叔父や叔母が読んでいたのでしっかりした装丁の「ジャン・クリストフ」などの長編小説もありましたし。
今思えばその頃の読書の経験などによって声楽に駆り立てられていったような気もします。
まあ最初からハイネの詩による歌曲を歌っていたわけではないのですが。
今いろいろ見ているとロマン派の歌曲にはハイネの詩がとても多いですからね。(最も多いのはやはりシューマンでしょうか?)
子供の頃はやはり美しい感じがする詩にしか興味がありませんでした。
ちょっと荒っぽい感じの詩は飛ばしていました。
詩と共に味わったのはそれぞれの詩のページにあった銅版画のような挿絵です。(あれは版画でしょうか?白黒で細密に描かれた”泰西名画調”と言ったらよいのでしょうか?)
それとそれを読んでいたその頃に「四季の歌」が流行って♪秋を愛する人は・・・愛を語るハイネのような・・・♪という歌詞もあって、余計ハイネにのめりこんだような気もします。
中学に入って学校の図書室で借りたハイネ詩集(家にもあるのに借りたのですね!)の挿絵はかなり性的表現がきつかったような・・・。(ドキドキしながら読んだ記憶があります!)
家で読んでいたようなハイネ詩集が欲しい・・・と思うのですがどこの出版社だったのかも覚えていません。
そうそう・・・題名を忘れましたが、アグネスという女性が出てくるのですが・・・大木をエトナの山(火山?)の噴火口に浸して「アグネス、君を愛す」と書きたい・・・という詩が好きでした。
壮大な愛の歌という感じで・・・。(こんな風に言われてみたい・・・と思ったものです。)
追記
何と言う詩だったか思い出すために検索したら「宣言」という詩のようでした。
(私が読んだのも「宣言」という訳だったかはっきりしません。)
エトナの噴火口に浸すのはノルウェーの大木で、浜辺の砂に「アグネス、君を愛す」と書いてもすぐに意地悪な波に消されてしまうので、大木で書く・・・という内容でした。
エトナってイタリアの有名な火山だったのですね。(知りませんでした・・・。)
何となくそんなイメージはありましたけれどね。(エトナ山が噴火している写真付だったと思います。)
ああ、この詩の歌曲ってないのでしょうかね?
愛の妖精 [読書]
今までも機会があれば取り上げたかったのですが、ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」です。
ジョルジュ・サンドはショパンの恋人(しっくりこないですね~。愛人?)で、「愛の妖精」はショパンがお好きな方は当然ご存知ですよね?
ショパン好きでなくてもある程度古典文学やクラシック音楽に親しんでおられる方々なら名前くらいはご存知かもしれません。
私は小学生の頃から(もちろん易しくなったもので)親しんでいました。(ほぼ完訳版だったと思いますが。)
それ以降も文庫本などで時々読んでいましたが、手元にない時期が続き、再び手に入れたのは3年ほど前夫の実家ででした。(夫が大学時代に読んだものだそうですが。)
今はない旺文社文庫で、訳・解説はあの篠沢秀夫教授です!
この中公文庫のほうは篠沢秀夫訳なので旺文社文庫と同じ訳だと思います。
繰り返し何度も読んだ作品ですが、いまだにサンドがこれで何を言いたかったのかよくわかりません。
確かに愛読していましたが、テーマを考えながら読んでいたわけではなく、”こおろぎ”ことファデットに自分を重ね(いじめられていたので共感できた!)、爽やかな青年ランドリとの恋愛、女性としての成長の過程に心躍らせていた・・・というところです。
大人になってからはファデットがあまりにもできすぎているのが気になっていました。
そもそもサンドってとても”飛んだ”女性だったのに、ファデットの信仰深さ、慎み深さを描いている件はこの作家が描きたかったことなのだろうか・・・と気になってしまったわけです。
幼い頃は単純に「ファデットは内面が素晴らしかったんだなあ。」くらいにしか思っていませんでした。
思えば愛を告白される前後くらいが一番面白い感じがします。(もちろん最後まで魅力的な人物ですが。)
それからランドリ。
全く影がなくておもしろくない!!
昔、私は「大草原の小さな家」シリーズの「農場の少年」アルマンゾのファンでした。(その頃は小説を読んでなかったのでテレビドラマのアルマンゾです。)
爽やかな好青年が好きだったのですね。
今読んでみると欠点のない快活な少年(青年)ということで小説の題材としては書くところがないのでは・・・という人物です。
この小説の真の主人公は双子の弟ランドリに異常なほどの愛情を持つシルヴィネなのでは・・・という気がしています。
そしてこの小説の核心は田園を舞台とした爽やかな恋愛(確かに最初はファデットは爽やかではありませんでしたが。)などではなく、この双子兄弟の異常なまでの繫がり、愛情なのでは・・・と最近思っています。
こういうことを書くとすぐに”同性愛”に結び付けられそうですが、そういう部分もあるとは思いますが、こういう感情は双子だけでなく年の近い兄弟(姉妹)にはよくあることではないでしょうか?
幼い頃から双子同然に育ったわが娘達を見ていると、この小説でのいろいろがす~っと理解できるような気がします。
昔はシルヴィネの嫉妬心ってまったく理解できませんでした。
私にも姉や弟がいましたが密着度がなかったので、それぞれが他の友達と親しくしていても何も感じませんでした。
(姉は3つ年上、弟は5つ年下。)
うちの娘達は本当に仲良く育ち、親にとっては好都合なことが多かったです。
ただ、ここにきてやはり仲は良いのですが、お互いに嫉妬心とかすごいです。
それぞれに恋人ができたら本当にどうしよう~と言う感じですね。
今それぞれがいろいろと抱えているというのもあるのですが、このことを良い関係に発展させていくにはどうしたらよいのでしょうか?
とにかくどちらかが他の友達などと長いことメールなどをしているとお互いに落ち着かないのですね。
二人とも親離れはしていると思うのですが、姉妹離れできるかどうかが重要です。
まあ、これは置いておいて、この双子の出産の時、産婆のおばあさんが「赤ちゃんの時からそれぞれ別々なことをさせるように」という忠告をするのですが、時が経つにつれ、皆そんなことを気にしなくなっていった・・・ということが書かれてありました。
この産婆の言葉は格言のように思えたりしますね。
それからこの小説には”鬼火”の場面があります。
”鬼火”というピアノ曲(リストでしたね?)もありますが、この鬼火は「ジゼル」にも出てくるもので、そのためにロマン派のキーワードではないかと思ったわけです。
そうそう・・・この作品は「ジゼル」の約10年後の作品ですね。
音楽との関連で言えば、以前も書きましたがブーレ(ブレ)が出てくるので昔からどんな音楽・踊りなのだろう・・・ととても気になっていました。
ファデットは大変な名手なのですね。
それから少女趣味な私は題名に惹かれて読んでいたところがあるのですが、原題は「ラ・プチット・ファデット」(小さなファデット)だそうです。
要するに妖精じゃないのですが(「愛の妖精」だと親切な妖精のお話みたいですよね。)
ファデットというのは作品のなかでも説明されているようにいたずらな小鬼、鬼火というニュアンスがあります。
ゴブリン?スカルボ?
・・・ウィリーとかシルフィードと似てなくもないですが、”妖精”から想像する美しいものとはちょっと違うかな?
(私は妖精には良いイメージしかありませんでしたが。)
結局、シルヴィネは
身を引くために軍隊に入るのですが。
シルヴィネに対して施している心理療法みたいなものも、あの時代にこういうことを書いたというのも画期的な気がしますが・・・・結局ファデットも療法中にランドリに対するのと同じくらいの愛をシルヴィネに感じてしまったのかもしれません。
その辺の二人の心の動き・・・文章が簡潔なだけに気になるところです。
それからこの小説に対する批判もいろいろあるのでしょうけれど、麻打ち男から聴いた話を小説化した・・・ということのようですね。(序文にある。)
コドモであり続けるためのスキル(貴戸理恵) [読書]
同じ理論社のよりみちパン!セのシリーズの本です。
この著者には冬くらいから関心がありました。
”不登校”に関するいろいろな考え方について検索していた時、私は”東京シューレ”に興味を持ちました。
東京シューレは不登校に対して肯定的です。
かなり有名なフリースクールだと思いますが、シューレ大学というのもあるし、今では中学まであります。
著者の貴戸さんは東京シューレの主催者と対立する意見を持っている元不登校者ということで気になっていました。(不登校に対して否定的というわけではありません。)
例によって面白い内容でした。(ただ鈴木邦男さんのほうがすらすら読めたかな?)
元不登校でも輝かしい道を歩める人もいます。
それは言ってみれば不登校経験者の”エリート”みたいなもので、多くは不登校と言う道を積極的に選んでいるわけではない・・・ということを、フェミニズムとの関わりで書いています。
私は上野千鶴子さんの著書も読んだことがありますし、フェミニズムにも興味があるので(笑)、大変興味深く読みました。
「一人ひとりの生きづらさ」というものを我慢したり納得するのではなく、同じような生きづらさを抱えた人たちと連帯していこう・・・という内容です。
そして教育や経済における、個人の力ではどうしようもない格差・不平等・・・に対してもっと怒らなくてはならない・・・ということを言っています。
興味深かったのは「浦河べてるの家」のことが出てきたことです。(以前新聞で読んだことがあり、興味がありました。)
そこに住む精神障害を持つ人々が、幻覚、幻聴、妄想・・・などの生きづらさを克服するのではなく、ユーモアを持ってそれらと付き合って、同じような生きづらさを抱えている人たちと連帯していることを例に”コドモであり続けるためのスキル”を得るにはどうしたらよいか・・・ということが書かれています。
冒頭にリンドグレーンの「長靴下のピッピ」が長く引用されていました。
この本は特に長女が大好きだった本で小2くらいからかなり長いこと愛読していました。
私も子供のころドラマ版を見て好きでしたが、大人になって再び読んでみてあまりのハチャメチャ振りに、教育上よくないのでは・・・と思うほどでした。(笑)
今再び読んでみると、学校になんか行かなくたって、ずっと子供のままだって、社会に”適応”なんかしなくたっていいや・・・と思えてくるから不思議です。
失敗の愛国心 [読書]
今の家は玄関はちょうど腰掛けるのに適当な段差があるのでよいのですが、普通のマンションだと段差があまりないですよね?
そういう場合立って話すのもどうか・・・という感じですし、どうなんでしょう?
それに立ち入った話になったら玄関先じゃ落ち着きませんよね?
生徒の家の場所を確認する程度の家庭訪問かなあ・・・という気がします。
私も次女の件ですでに学校に呼び出されて学年主任・養護の先生・担任と話をしていますので、とりあえず新たな話もないのですが、”五月雨登校”なのでまあいろいろ話すことはあります。
長女ですが朝7~8時台の電車に乗っての通学が続いています。
さすがに今までと180度違う生活なので疲れるようですが、”都会”に出る楽しみができ、毎日好きな私服で楽しく”登校”しています。(予備校なのでこうは言わないか・・・。)
近況報告はこれくらいにして・・・
最近読んで面白かった本です。
”よりみちパン!セ”というシリーズ・・・本屋さんの教育本コーナー、ヤングアダルトコーナーで見かける方も多いと思いますが、このシリーズとてもおもしろいです!
中にはAV監督の文もあったり、性に関するいろいろがあったりで、子供に直接薦めるのはためらわれるものもあるのですが、ちょっとというかかなり気になるのでこっそり立ち読みしたりして楽しんでいます。
不登校やいじめ・・・などに関しても”旬”の作家や学者、言論人がいろいろな角度から語っていてとてもおもしろいです。(詳しくは理論社のこのサイトをご覧ください。)
このシリーズを買うのは初めてなのですが、鈴木邦男さんに興味があったので・・・。
鈴木邦男さん=”右翼”という認識でいました。
でも確かソフトな人だというのは以前ゴーマニズム宣言で小林よしのりさんと対談していて知っていました。
(ゴー宣も昔は結構愛読していましたが読まなくなりました。)
この本を読んで、鈴木さんってすごく可愛い人に思えてきました。
執筆依頼があったことを素直に喜んでいらっしゃるんですね。
鈴木さんもこのシリーズを愛読していらっしゃったようです。
このシリーズは若者向けなのでこのような方が敢えて読むことはないのでは・・・という感じですが、愛読していらっしゃったのですね~。
中学生にもわかるような文章で(小学生にもわかりやすいかも。)自分が右翼団体に入るようになった経緯を綴っていらっしゃいます。
左翼とか右翼とかよくわからない人、日本の左翼運動や右翼運動に興味があるけれどよくわからない人にもお勧めです。
私も「あさま山荘事件」とか「連合赤軍」とか「安保闘争」、「三島由紀夫割腹事件」・・・の時代のことにはとても興味があるのですが、今ひとつわかりにくいところがあったのですが、この本はそういうこともわかりやすく書いてあると思います。
私が思わず「あれ?」と思ったのは鈴木さんが東北学院というミッションスクール出身である点。
そういうイメージがありませんでした。(笑)
鈴木さんはミッションスクールでの押し付けられた宗教教育に反発していたのですね。
しかも愛を説くミッションスクールなのに教師の暴力が絶えなかった・・・というところは考えさせられました。
鈴木さん自体は”自由”を求める普通のおとなしい少年だったのに、気が付いたら”右翼”になっていた・・・という内容です。
お母様の考えで生長の家の寮(道場)に入る羽目になるのですが、そこでの経験も丁寧に書かれていると思いました。
右翼のことも左翼のこともキリスト教のことも生長の家のこともけして茶化さないで書いています。
自分が右翼であることを失敗だったとは考えていないようですが、「愛国心を押し付けることは間違いである。」ということを言っています。
又、”他国人の愛国心”への視点がある・・・と言うことも見逃せない点です。
そして自分たちの失敗や過ちを認めることの大切さ、失敗した時の”受身”の方法を知ることの大切さをこの自伝的な本で若い読者に訴えているかな、と思いました。
そうそう・・・「僕たちが生きてることが、愛国心だ!」「私たちの存在そのものが愛国心だ!」・・・というのが極めつけです!
石井桃子さん [読書]
うちの娘達と楽しんだ絵本や児童書の多くは石井さんの翻訳でした。
せいめいのれきし―地球上にせいめいがうまれたときからいままでのおはなし
- 作者: バージニア・リー・バートン
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1964/12
- メディア: -
思い出のある本はこれだけではありません。
読んでみたい本もまだまだあります。
石井桃子さん、ありがとうございました!
ふたりのロッテ [読書]
私も「ふたりのロッテ」に関して名作アニメ関連でも書きたいと思っていました。
この話を知ったのは子供の頃にテレビで劇団四季の子供向けミュージカルを見たのがきっかけでした。
四季の同じミュージカルは今から7~8年ほど前にも見ています。(詳しくはこちらをどうぞ)
これで私はこの話のファンになりましたが、二回目に見た頃だったか・・・そう離れていない時期にNHKBS2での再放送でアニメを見たのでした。
このアニメ、何とDVDは出ていないそうです。
以前ビデオが出ていたようですが絶版になっているということです。(くわしくはこちらをどうぞ)
私はBS2で毎日毎日見ていましたが、なかなか良いな~と思って見ていました。
それとその時はまだ原作を読んでいなかったのですが、四季ヴァージョンとはだいぶ違うと思ったのでした。(当然ですが。)
四季の「ふたりのロッテ」はダンスシーン(というよりバレエですね!)も楽しめ、歌も楽しめる・・・という意味で音楽として楽しめますし、オペラのようなものではありますね。
しかしアニメを見たことでウィーン国立歌劇場の常任指揮者で作曲家でもある父親のパルフィー氏、そして歌劇場のシーン、ルイーゼに成り代わったロッテがパルフィー氏にピアノレッスンを受ける場面・・・などこの作品自体の音楽面で非常に興味が出てきました。
・・・ということで原作を是非とも読まなければ・・・と思っていたのですが、なかなかじっくり読む機会がありませんでした。
ここのところ児童文学づいていますが、昨日本棚(娘達用)を整理していたら、すでに購入済だった本を発見しました!
例の予備校の隣のお店で買おうかどうしようか悩みましたが、家にもあったような気がしていたのですね。
もうひとつ「おちゃめなふたご」というやはりアニメ化されている本があって、それがあるのは覚えていたのですが。
娘たちに読ませたくて買ったのですが、おそらくまだ読まれてないことでしょう。(とてもきれいだった!)
昨晩読み始めましたが、もうあっという間に読めてしまいました。
あらためて原作を読んで思ったのは、ケストナーは音楽に造詣が深いのでは・・・ということです。
この話に登場するオペラはフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」です。(あちらではポピュラーなはずですが。)
ウィーン国立歌劇場の常任指揮者の華やかな生活ぶり、作曲家としての風変わりな暮らしぶり・・・ここらへんが非常にリアルで面白いです。(そうでないと離婚の原因が語れないのですが)
しかもパルフィー氏は自宅のアトリエで楽譜を書いているだけではなく、自分に好意を持っているオペラ歌手たちに歌のレッスンをつけているのですね。(花形歌手のルーザーに「リゴレット」の稽古をつける・・・とありますね。)
ロッテの夢の中にコロラトゥーラ・ソプラノで歌う鳥が出てきたり・・・とオペラファンならうれしくなる表現があちこちに出てきます。
あと作曲シーンというのも興味深いです。
子供向けオペラの作曲シーンでは・・・
《両手をつかって、いくつか音を出してみる。首をかしげ、音に聞きいる。そのメロディをもう一度、ひいてみる。転調して、くりかえす。今書いているオペラのなかの楽しい子どもの歌の、短調への変奏だ。リズムを変えてみる。・・・(中略)・・・なにしろ、こんなにうつくしい、ハ短調の悲しい歌が書けたのだから。》
《パルフィーさんは、しばらくドアをにらんでいたが、ベーゼンドルファー社のピアノにむかい、書きかけの子供向けオペラの楽譜をぱらぱらとめくって一枚をとりだし、鍵盤の前に腰かける。しばらく、その楽譜をひく。力強く、簡素なカノン、むかしの教会旋法の一種だ。中世のドーリア旋法からハ短調へ。ハ短調から変ホ長調へ。それから、ゆっくり、ほんとうにゆっくりと、もとのメロディをすこし変えながらなぞるなかから、新しいメロディが殻を破ってうまれてくる。単純で、心うばわれるメロディーは、まるでふたりのちいさな女の子が、明るいすきとおる声で歌っているようだ。夏の草原で。青空をうつす、すずしい山の中の湖のほとりで。その空は、どんな分別よりも高い。その太陽は、ものみなすべてをあたためる。いい人も、悪い人も、どっちつかずの人も、わけへだてなく。》
・・・というような表現がされていて、この二つから見ると、単にオペラに親しんでいる以上に音楽への造詣の深さが窺い知れると思いませんか?
パルフィー氏はロッテとルイーゼの誕生日に「ふたごの誕生日行進曲」を作曲しピアノで弾いて聴かせますし、最後の場面ではグランドピアノで自作の子供向けオペラの変ホ長調二重唱を妻(離婚していたけれど再婚するのですね。)に弾いてみせるのですね。
調にこだわった表現が多いように思いますね。
ピアノもベーゼンドルファー社の・・・とあるのが興味深いです。
音楽に興味のない人や知識のない子どもが読んでも何となく読んでしまいそうなところですが、音楽好きには見過ごせない表現ですよね!
・・・ということで音楽面でこんなにいろいろ出てくるとは・・・ということで驚いています。
ただアニメではロッテがものすごくピアノが上達していたはずですが、原作ではさほどではないですね。
でも基本的にアニメは原作どおりだと思います。
ところでこのパルフィー氏に近寄ってくる女性(イレーネ・ゲルラッハさん)、私は「トラップ一家物語」(「サウンド・オブ・ミュージック」の原作のアニメ)のイヴォンヌ姫と重なってしまいます。(再婚の候補者で美人で堂々としている!ウィーン絡みというところも!)
ケストナーは第二次世界大戦中、自由な執筆活動を制限されている中で「ふたりのロッテ」を書き上げいていたそうです。(発表は戦後)
《休暇施設は、子どもたちのしあわせと楽しさがいっぱいつまった蜂の巣だ。そういう施設はたくさんあるけれど、いくらあっても足りることはない。》
こんな表現にケストナーの実感を感じてしまいますね。
訳者である池田香代子さんの後書きも興味深いです。
《ケストナーは、子どものつらさを子どもに代わって言い表してくれます。そう、子どものため息を作品にしっかりきざみつけてくれているのです。同時にケストナーは、多くはおとなのために子どもがつらい目にあうことは、子どもだから仕方のないことでもなんでもない、と言ってくれます。子どもは怒っていいのだ、とすら。そして、頭をしゃんともたげてつらいことに向き合う子どもたちを、ケストナーは心から尊敬しています。》
若草物語 [読書]
原作の「若草物語」は昔うちにあった世界名作文学集(小学館?)のアメリカ編にあって愛読していました。
幼稚園か小学校低学年の時に映画館で観た記憶もあるのですが、映画はいろいろ出ているのでどれだったのかわかりません。
うちの娘達はこの本をあまり読んでいなくて、もっぱら「ガラスの仮面」の劇中劇として馴染んでいます。(「同様に「たけくらべ」も!)
よくべスの真似をして「まあ、なんて素敵なグランドピアノ!」という台詞で演技しています。(笑)
実は実家にはルイザ・メイ・オルコットの伝記(?)もあって比較しながら読んでいました。(「オルコット物語」という題名でしたが・・・)
「黒い目の少女レベッカ」でも布地の名前に興味があったと書きましたが、「若草物語」で心惹かれたのは”モスリン”です。
それとこのメグやジョーがよくやっている髪型のネットが気になりませんか!?
お母様の服装(アニメ)は「風と共に去りぬ」のメラニーの服装だ~と思いながら見ていました。(南北戦争のときだから当たり前ですね。)
女中のハンナはアニメでは黒人になっていましたが、私は白人のイメージで読んでいました。(どこかに黒人・・・とあったでしょうか?)
それはともかく・・・このアニメ、原作の話のはじまりは一体何話になっているのでしょう?
なかなかその部分に到達しません。
南北戦争に従軍している父の言いつけで、一家はおば様を頼って引っ越すのですが、11話ではまだメグが家庭教師の口を見つけるところなのです。
原作ではクリスマス前のところで始まっていますよね。(「貧乏って嫌ね。」というのはとても印象的でした。)
ベスとエイミーは幼すぎるイメージですが、原作では何歳くらいだったでしょう?
べスはピアノのない暮らしを仕方ないとあきらめていますが、テーブルの上で思わずピアノを弾いている気になってしまうほどの音楽好き、ピアノ好き!(おまけに猫が好き!)
アニメでもグランドピアノのシーンはどうなっているのか気になりますね~。
ところでオープニングとエンディングはおニャン子の新田恵利さんが歌っていますが、お世辞にもうまくないですね~。(そう思っていたらやはりそのことは評判だったようですが・・・。)
声の感じはうちにある石川秀美さんのCDの感じに似ていると思いました。(同時代の録音ですし、アイドルの歌い方は似たような感じだったと思います。)
他の名作劇場の歌はうまい人が歌っているのに・・・。
どうも15話から違う曲に変えられ、歌手も変わったようです。(不評だった!?)
声そのものはよいとして、発声法が悪いのはアイドルだから仕方ないとは言え、耐えられないのはとんでもないところで切る・・・ということでしょう。
息継ぎが大変で切りたくないのに切るしかないことはよくあるのですが、そうでないのに切ってしまっているんですね。(歌い始めてすぐに切る!)
もしかしてポップスの人はそうするように教育されているんじゃないか、と思うこともあるくらい、そういう切り方をする人が多いですよね!
自分で歌ってもやはりそういう切り方をするとポップスらしく聞こえるような気がします。
ちなみに石川秀美さんのある曲を(曲名忘れた。)うちの夫がエンドレスでかけることがしょっちゅうで、私たち家族は迷惑しています!(やっぱりそういう切り方をしています!)
私も息が長く続かないという悩みがあり、最近表声で歌えば長く続く・・・ということを知ったのですが、裏声で長く続かせるにはどうしたらよいのでしょうね。
まあ新田さんをはじめ、ポップスの歌で切るのは全く違う次元の問題ですが。
そうそう・・・
この小説の中にバンヤンの「天路歴程」が出てきたので長いこと気になっていました。
とてもありがたい話だと思っていたのです。
何年か前に教会で絵本ヴァージョンを読みましたが、あまりついていけない内容でした。
「しろばんば」に出てくる食べ物 [読書]
ここのところ週の半分は予備校の体験に行っていますが、本当はひとりで行かせたいところですが、春休み中だけということで入り口まで一緒に行っています。
90分授業の間、私は隣の児童書のお店で立ち読みなどをして時間をつぶしています。
「家なき子」もそこで買いましたが、先日は「しろばんば」を読んでしまいました!
昔実家に日本の青少年向きの小説のシリーズ(赤い本)が何冊かあって、「しろばんば」もありました。(他は「次郎物語」「コタンの口笛」「二十四の瞳」「母のない子と子のない母と」「女中っ子」「路傍の石」「真実一路」・・・)
「しろばんば」は好きでよく読んでいました。
今思うとこの小説にはかなり”大人の事情”が書かれているのですが(未婚で妊娠とか”妾”・・・とか!)、そういうことは何となく感じつつも、読んでいて面白かったのですね。
ちなみに読んでいた時期は小4くらいからだったと思います。
面白かった原因のひとつに食べ物のことがあるのですが、”おめざ”という言葉を知ったのはこの小説です!
うちの母はおめざなどくれませんでしたから、とても憧れましたね~。
その後しばらく触れる機会もありませんでしたが、”はなまるマーケット”で久しぶりにその言葉を耳にしました。
あと主人公が豊橋の両親のところに行く場面がありますが、そこでゼリービーンズをもらったり、若松園の喫茶部で黄色いゼリーを食べる場面がありました。
ゼリービーンズはよく食べていましたが、小説ではもっと素敵な味のように思えました。
黄色いゼリーは最近若松園で復刻されたようですが・・・。
やっぱり食べたい・・・という人は多かったのでしょうね。(笑)
いや~食べたいです!
そうそう・・・湯ヶ島から豊橋に行く汽車の中で安倍川もちも出てきましたよね!(名前だけだったかも)
洪ちゃの好物に”おなめ”(金山寺みそ)もありましたね!
それかられい子という少女と買い食いする場面があり、ところてんとかみかん水・・・などが出てきて、実家でところてんは食べたことがなくて憧れていました。
他にも何かあったかも・・・!
登場人物の性格描写もおもしろかったし、洪ちゃの視点からの語りがおもしろかったです。
今度立ち読みではなくてじっくり読んでみたいです!
マルディ・グラ [読書]
大昔の訳では”ドラ焼き”にもなっているこの”パンケーキ”、クレープなのでは・・・と思っていましたがやはりそうでした。
その記事にもリンクを張った二宮フサさん訳を読んだのですが、”クレープ”になっていました。
それがそば粉のクレープ(ガレット)なのかどうかまではわかりませんでしたが、〈ごちそうの火曜日〉はマルディ・グラと呼ばれている日でクレープとベニエ(大昔の訳では”揚げりんご”になっていました。)を食べることが多いようです。
マルディ・グラは”灰の水曜日”の前日で、まあフランスのカーニバルですね。(だいたい二月の中・下旬のようです。この前の記事はまさにその時期の記事でしたね!)
日本でお彼岸におはぎを作るように、フランスの家庭ではこの日にクレープを焼いて食べるのが慣わしになっていると解説にありました。
ベニエはクレープ同様小麦粉・バター・卵・牛乳で作った練り粉をころもにして揚げたものだそうで、ハムを刻んで入れることもあるそうですが、りんごやバナナなどの果物を入れて小型の菓子にすることが多いそうですね。
そういえば昔実家の母がよくホットケーキミックスでフリッターを作ってくれましたがそんなものでしょうかね?(うちではたまねぎとチーズ入りでした。)
やはりパンケーキとドラ焼きとクレープでは大きな違いがあると思う私でした!
「母をたずねて三千里」 [読書]
「母をたずねて三千里」のオープニングの曲ですね!
大杉久美子さんの歌はどうも私に合うらしく必ず高得点が取れます。(笑)
この曲、歌だけでなくリコーダーの合奏で是非ともしたい曲でしたが楽譜もなかったし、ギターがないとカッコよくないのでできませんでした。
思えば私のフォルクローレ好きの原点はこのアニメにあったように思います。
これを見ていたのは小4の頃で、後に中学時代にはインカ帝国にはまりましたが、「コンドルは飛んでいく」「花祭り」「太陽の乙女達」などのフォルクローレの曲が大好きです。
コンサートにも何度か行って、ケーナを作る体験をしたり(うまくいかなかったので、ちゃんとできているものをいただきました。)、サンポーニャを買ったりしましたが、あの手の笛はどうもうまく吹けません。
それから上でギターと書きましたが、やはり雰囲気を出すためにはチャランゴですよね!
・・・ということでマルコに戻りますが・・・
この話の原作を読まれた方はおわかりになると思うのですが、本当に短い短編なのですよね~!
まるで聖書の”マルコによる福音書”(!)のように出来事を淡々と書いているだけ~みたいな話ですよね。
ちなみにこちらで原作が読めますが、この前書いた「家なき子」(実はマルコの話も「家なき子」なのですよね~。)と違いあっという間に終わってしまうお話です。
子供の頃にこの短編が入っている「クオーレ」を読みましたが、今ひとつおもしろくなかった記憶があります。
”愛国小説”なんですよね~。
ただ原作にかなり付け加えていて年齢設定も違うアニメ版、やっぱり好きですね~。
何といってもマルコが次女に似ているんです!
特に三角形の太い眉毛が!
ぽっちゃり感もそっくりかも~!
あとフィオリーナ(ペッピーノ一座の女の子でマルコのガールフレンド)が小4の頃の長女に似ているのです。(長女は一時期「魔女の宅急便」のキキに似ていたことも。彼女は幼い頃から秋篠の宮眞子ちゃんに似ていると評判でしたが今は全く似てないな~!)
マルコってすぐに熱くなってつっかかってきますよね。
これは原作からは遠い性格付けという気がします。
まあ大人になってアニメを見たり、小説を読むと、なぜ父さんが貧しい人たちの治療をしなければならなかったか、なぜ母さんが幼い子(原作ではもっと年上ですが)を置いて外国に仕事に行かなければならなかったか、移民の船のひどさ・・・こういうところに興味が湧きますよね。
ああ、それにしても歌うたびに涙が出てしまいますね~。
あしながおじさん [読書]
今日は”表示を見ながら入力”のクリックがうまくいきました~♪
このところ名作劇場シリーズのアニメの話題ばかりですが、勢いでいってしまいます!
これもおそらく私のブログにコメントくださる皆様の多くはアニメではご覧になっていないのでは・・・と思いますが・・・
「私のあしながおじさん」・・・原作は読まれているかもしれませんね。
他の作品は一巻目しか載せないのに二つも載せたのは、この”あしながおじさん”ことジャーヴィス・ペンデルトンが好きだからです♪
それから私にはこのアニメへの思い入れが深いわけがあります。
主要な役柄の声を演じているある声優さん、私と同じ声楽の先生(ソプラノ)の門下だったのです!
発表会もご一緒しましたし、レッスンも自宅でなく某楽器店のレッスンのほうでしたが順番が私の前だったこともあってお会いすることも何度かありました。
それだけなら大したことないのですが、その方は私の出身大学(同じ学科)を中退されていて、私の大好きな先輩と仲良しでした。
しかも私が2年の途中から入った寮にいらっしゃったこともあったそうです(私が入寮する前に退寮したようです。)。
小柄で繊細な外見の方で繊細な可愛らしいお声でした。
このアニメの役柄とはかなり雰囲気が違うかも?
このアニメを見るまで私は「あしながおじさん」が恋愛物だということを全く知りませんでした。
もちろんNHKBSでの再放送で見たのですが、全く期待していませんでした。
ところが欠かさず見たくなるほどよくできたアニメだったのですね。
・・・ということで原作も読んでみました。(その当時です。)
私が読んだのは偕成社版だったと記憶していますが・・・岩波だったかな?
続編もありますがここでは省略します。
今では「あしながおじさん」といえば交通遺児のための活動で有名になりましたが、子供の頃は孤児であるジュディのために奨学金を出してくれる奇特な叔父さんというイメージしかありませんでした。
小学校低学年の頃も図書室で見かけたりしていましたので読む機会はあったのですが、どうも心が動かなかった・・・という記憶があります。
でもアニメを見て思いましたよ。
そもそも小学校低学年のためのお話ではありませんよね!
アニメのほうも原作より年齢を下げて幼い視聴者たちに合わせているようですが、原作では高校ではなく大学に入るのです。
年齢設定に関してはアニメにちょっと不満があるのですが(恋愛が進んでいくことを考えると不自然になるため)、ジュディを中心とした高校生達の楽しい学園生活、楽しい夏の農園の生活、ジャーヴィスとの恋愛・・・これらがいきいきと描かれていて、見ていてとてもハッピーな気分になれます!
当時のアメリカの女子学生のファッションとかも楽しめますね。
ジャーヴィスも上流階級の実業家なのに組合の味方・・・という変人として描かれていますが、やっぱり魅力的な人です♪
あ~誰か私のために素敵な学園生活をプレゼントしてくれないかしら~?
そうそう、孤児院での慈善活動がいかに偽善的かという部分もなかなか興味深いです。
孤児院の最初の場面で「見よや十字架の旗高し」という讃美歌の練習をしているのも興味深いです。(アニメ)
あまりポピュラーとは言えない讃美歌だと思うのですが(一昔前はよく歌われたのかも)、こういうことに詳しい人が選曲している可能性が・・・。(それとも原作にこの曲が出てきたのでしょうか?)
「サウンド・オブ・ミュージック」と「トラップ一家物語」 [読書]
なぜか今日は”シンプルな入力”しかできないのですが、どうしたのでしょう??
高校の時、英語の授業はリーダー(講読)とコンポ(英作文)がありましたが、2年生の時はそのリーダーも二種類ありました。(追記:グラマーもありました!)
速読を目的としたものと普通のものです。
教科書は文英堂のUnicornだったのですが、その二つのリーダーの授業でUnicornの二つの教科書を使いました。
いろいろと思い出はあるのですが、映画「サウンド・オブ・ミュージック」のシナリオ(正確には舞台用)と原作に触れることができたのがとても良かったです。
確か速読のほうで原作だったはずです。
それまでもテレビで「サウンド・オブ・ミュージック」が放送されると姉と二人で欠かさず見たものです。
(当時実家ではテレビの部屋は祖父母の寝室のそばで、深夜にテレビを見るなどもってのほか!
音を極力小さくしてこっそり見ていましたが、祖父母に気を遣う母に見つかって叱られた時の悔しさ!)
それから1度は映画館で見ています。(「大草原の小さな家」のローラ役のメリッサ・ギルバート主演の「奇跡の人」と一緒に上映されていました。当時私はテストの点が良いと母に映画に連れていってもらっていました。)
とにかく、子供の頃から映画版に親しんできた私です。
高校のリーダーで原作まで読めたのは(もちろん部分的にですが)非常にラッキーでした。
映画に関してはここで深く触れる必要がないほど有名な作品ですが、今では原作を読まれている方も相当いらっしゃるのでは・・・と思いますが、まだまだそれほど広く知られてはいないのでしょう。
でも実話に基づくお話だということは知られていると思います。
映画を見るとトラップ一家は合唱一家のように思えますが、実在のトラップ一家は歌だけでなく、ヴィオラ・ダ・ガンバやリコーダーなどの古楽もやっています。
古楽・・・といえば今でこそ盛んですが、あの当時やっていた・・・というのはかなり最先端だったのではないでしょうか?
それから原作を読むとロッテ・レーマンという往年の名歌手の名前も出てきて興味深いです。
それから私にとっては音楽だけでなくキリスト教という視点からも興味深い一家です。
映画でもそうでしたが、原作を読むといかにこの一家が信仰深かったかというのがよくわかります。
高校の英語の授業では(公立高校でしたが)、文中に聖書の引用もあったことから、一般教養として聖書を読むことを薦められた・・・というのがとても心に残っています。
"In dulci Jubilo"の歌を子供たちと合唱していたら、キャプテンが驚いた・・・という場面がありました。
私が一昨年のクリスマス前にこだわって特集していたあの曲です!
今まで気が付きませんでしたが、昨日借りてきて読んで「あっ!」と思いました。
映画ではキャプテン(大佐)は「ドレミの歌」に感動するのですが、実際には"In Dulci Jubilo"だったのですね~!
さて・・・以前関西でミュージカル「トラップ一家物語」を観る機会がありました。
これは自分から観たい・・・と思ったわけではなく、当時お世話になった声楽の先生が企画にかかわっていらっしゃったホールで上演されたためです。
次女が生まれた直後で1994年ですね。
このミュージカルはアニメ「トラップ一家物語」に基づくものでしたが、当時の私はアニメを観ていなかったので、どうせお子様向き・・・と全く期待していなかったのでした。
実際に観てみて驚きました。
高校の時にリーダーで学んだ実話が出ているではありませんか!
しかもナチスによってオーストリアが占領されている部分がかなり強く出されていると思いました。
映画より原作に近いと思いました。
アニメを見たのはそれから何年か後でした。
NHKBSで毎日欠かさず・・・に近いレベルで見たと思います。
ほぼ原作どおりに作られていると思います。
サウンド・オブ・ミュージック (Modern Classic Selection)
- 作者: マリア・フォン・トラップ, 谷口 由美子, Maria Augusta Trapp
- 出版社/メーカー: 文溪堂
- 発売日: 1997/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
サウンド・オブ・ミュージック アメリカ編 (Modern Classic Selection)
- 作者: マリア・フォン・トラップ, 谷口 由美子, Maria Augusta Trapp
- 出版社/メーカー: 文溪堂
- 発売日: 1998/12
- メディア: 単行本
サウンド・オブ・ミュージック (ベストヒット・セレクション)
- 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- 発売日: 2007/10/24
- メディア: DVD
「トラップ一家物語」のアニメに関して最近もみどさんが書かれていましたし、HINAKAさんも以前書かれていました。
今日はなぜかシンプルな入力しかできませんので、コメント欄にリンクさせていただきます。
黒い目のレベッカ [読書]
ここのところアニメの名作劇場に関連して”家庭小説”と呼ばれるジャンルの作品のことを思い出していますが、急に「黒い目のレベッカ」を思い出しました。
「少女レベッカ」とも言うそうですが、私が読んでいたシリーズには「椿姫」「バレエ物語」・・・などがあったと思います。(このシリーズです!)
↑
おそらくこれが私が読んでいたものでしょう。
このようにいろいろ出ていますね。
記憶が朧なのですが、孤児レベッカが叔母さんに引き取られたお話です。
「赤毛のアン」みたいに夢見がちで空想癖がある文学少女だったと思います。
叔母さんも「ポリアンナ」のポリーおばさんや「赤毛のアン」のマリラタイプで、レベッカには地味で”おとなしやか”であることを望んでいます。
私、この作品では布地の名前に興味を持ちました。
”ギンガム”と”寒冷紗”です。
”ギンガム”がどんなものか当時小学生だった私も知っていましたが、おばさんがギンガムで作ってくれたよそいき用のお洋服を着てしまって叱られる場面があったと思います。
それから”寒冷紗”・・・これって洋服用の布ではないのですが(間近で見たことないです!)、レベッカはこれで女神か何かの衣装を作ってお祭りで着るのですね。(これで又おばさんに叱られるのですが。)
でもこのお話のおかげで私には”寒冷紗”ってとても素敵な布のように思えるのですね。
今でも憧れています。(笑)
園芸に使う布と知って、がっくりです。
だからこそおばさんが激しく叱ったのでしょうけれど・・・。
あと私が読んだ本の挿絵ではレベッカが特別な授業(視察官みたいな人が来ていたと思う。)で、アメリカ国旗がなびいている様子をチョークで美しく描いて褒められる場面があって、それもとても印象的でした。
あと、貧しい家の子たちのために石鹸を売る話がありましたね。(これも叱られていた。)
最後におばさんの家が貧乏になったように記憶しているのですが(そこらへんも「赤毛のアン」と共通しますね。)、いい雰囲気の男性から「あなたは春の女神プロセルピナのようだ。」と言われていて、”プロセルピナ”にも憧れました。(後に”ペルセフォネー”のことだと知りました。)
厳しいおばさんもだんだんレベッカのよさがわかってきていて、最後の頃は頼りにしていたと思います。
この話には続編があるようですが、是非読んでみたいものです。
ちなみに”レベッカ”(Rebecca)は旧約聖書の”リベカ”からきた名前ですよね。(私は”リベカ”のほうが好き!)
レベッカというバンドがありましたが、どうもこのお話からつけられた名前みたいですが・・・。(結びつかない!)
シャーリー・テンプル主演で映画になっているようですが・・・。(イメージが合わない!)
(追記)
こちらにも情報がありました。
こちらを見て、叔母さんが二人だったことを思い出しました。
ポリアンナ [読書]
最近アニメの話題ばかりですが・・・
「愛少女ポリアンナ」、まだYahoo動画では見ていませんが、大学時代叔父の家で従姉弟たちと毎週リアルタイムで見ていた上、何年か前にNHKBSでの再放送で見ていました。
この前にやっていたのが「小公女セーラ」でかわいそうな話が続くので、叔母が「かわいそう過ぎる」とか言っていましたが、こちらは比較的明るい話で受けがよかったです。(「小公女」の記事です。)
二回目に見ていた頃、私は本も読みました。
こちらはポリアンナではなくパレアナになっていますが、ポリアンナのほうが正しいようです。
今知りましたが同じ偕成社版がポリアンナに改められていますね。
少女編と青春編ではだいぶ趣が違っていた・・・という記憶があります。
やはり少女編が良いと思うのですが、これもキリスト教文学として欠かせないお話ですね。
パレアナの”よかった探し”(どんな状況にも喜びを見出すゲーム)は「全てのことに喜びなさい」という聖書の言葉からくるもので、牧師である父から教えてもらったものです。
私はこの”よかった探し”には素直に感動し、自分でも実践してきたところがありますが・・・調べたところ”ポリアンナ(パレアナ)症候群”という心理学用語があるようですね。
確かに何でもかんでも良かったと思い込んでしまうところに、落とし穴がありそうです。
岩波少年文庫版もありますね~。(谷口由美子さんの訳でした!)
ポリアンナ(パレアナ)のお話にはキリスト教をよく知らない子供時代から親しんでいました。
ただ私が読んでいた本はディズニー映画からの絵本(写真)だったため、”よかった探し”という言葉は全く出てきませんでした。
従って、ポリアンナは気立ての良い少女という印象しかありませんでした。
このように映画やアニメから本になっているものは原作の良さが伝わらないので欲しくないです。(そんなものを買う余裕があるのなら映画やアニメを見るほうがよっぽどいい!)
このディズニー版、Amazonでは出てきませんね~。(検索したら出てきますが)
本は当然絶版になっているでしょうけれど、DVDとかビデオとかないのでしょうか?
私の記憶をもとに映画を1度は見てみたいのですが・・・。
とても印象に残っているのは車輪ころがし(何ていうのですか?あれ。)の遊びをしているところ、ポリーおばさんが作ってくれたお洋服(白と水色)、ペンデルトンおじさんの家のランプのプリズム(欲しかった!家にあったお土産品の水晶で同じようなことをして楽しんでいました。)、チルトン先生が二人でこぐ自転車を運転しているところ・・・などの写真です。
良くも悪しくもこのポリアンナが私の中のポリアンナ像の基本なので、そのイメージからすると「愛少女ポリアンナ」のポリアンナはとてもお子様に思えてしまいますね~。(ディズニーのポリアンナも今見たらお子様でしょうけれど、当時の私からするととてもお姉さんに思えたのです。)
それと昨日の記事にちょっと書きましたが、マスコットキャラのりすのチップマックはアニメだけのものですね。
でもやっぱりしまりすは可愛いですね~。
家なき娘 [読書]
現在手元にないのですが、子供の頃の愛読書でした。
大好きだったのは”サバイバル生活”の場面。
棒か何かを使って島に行くのでしたね。
草で編んだ(葦だったっけ?)スペイン靴、野鳥の卵、魚(スズキ・・・という訳だった気が?でも考えてみたら海ではないのですからスズキではないですよね?)・・・とても魅力的でした。
(↓)前回の「家なき子」と同じ二宮フサさん訳の偕成社版です。(図書館で読んで引き込まれました。立ち読みもしていますがほしいです。)
岩波文庫からも出ていますね。
降龍十八掌さんも「家なき娘」について書いておられますが、このお話がアニメ「ペリーヌ物語」の原作だということを知らない人が結構いらっしゃるのですね。
先日Yahoo動画で「ペリーヌ物語」を11話まで見ました。
原作ではパリに入るところから始まるのですが、アニメは父親が亡くなった後のボスニアの旅の場面から始まっています。
無料で見れるのは11話までで、そこでもまだ場面はイタリア。
パリまでが結構長いと感じました。
原作にない設定と言えば、小犬のバロンもそうですね。(笑)
「母をたずねて三千里」のアメデオ(猿)、「愛少女ポリアンナ」のチップマック(りす)・・・と原作にないマスコットキャラが出てくることが多いですね。
私は「ペリーヌ物語」をリアルタイムで見た記憶はあるのですが、昔はそれほど見ていなかったようです。
再放送で見る機会もなかったし(最後のほうはNHKBSで何年か前に見ています。)、今回初めてじっくり見たような気がします。
ペリーヌのお母さん、原作では最初にちょっと出てくるだけなので上品な婦人という印象しかありませんでしたが、アニメの浅黒い顔、サリーでインド人の血が入っていることを思い出しました。(・・・ということはペリーヌにもインドの血が・・・。)
それから写真を現像する場面が多く、詳しい描写もすごいと思いましたが、馬車に水を入れる樽がついていて、水汲みの場面、樽が壊れる場面などから水がないとどんなに困るかというのがよくわかりました。
私は原作派なので原作にない話が入るのがあまり好きではないのですが、「ペリーヌ物語」に関して言えば、延々と続く旅の場面はけして無駄でないどころか、視聴者である子供たちを物語に引き込む大切な役割を果たしているように思えました。
前回「家なき子」で書いた不自然な変更ではなく、原作から想像できる範囲での付け足し・・・という気がしました。
テーマソングは私の得意な大杉久美子さんの歌です。(大杉久美子さんが歌う曲はどうも私に合うらしく必ず高得点が取れます。)
そういえばアニメではその場面を見ていませんが、お母さんが病気になって薬屋さんで”キナ鉄ぶどう酒”を買う場面がありますが、どんなものか子供の頃から気になっていました。
アニメの後半部分についてはHINAKAさんが素晴らしい記事を書いていらっしゃいます。(こちらとこちら)
家なき子 [読書]
昔実家に当時毎月配本されていた少年少女向けの赤い本がありました。
数冊しかありませんでしたが、「家なき子」「家なき少女」などはこれで親しみました。
さて今回は「家なき子」の話題ですが、この言葉で検索すると「同情するなら金をくれ!」のあのテレビドラマばかり出てきますね。(あれも見たけれど・・・)
これを読むと無性にパンケーキが食べたくなります。
昔からパンケーキはホットケーキとどう違うのか疑問でしたが、パンケーキはホットケーキよりやわらかく薄目ですよね。
でもこれはフランスの話だからクレープみたいなものかも・・・と思ったりします。
いやもしかしたら今流行のガレットみたいなそば粉のクレープかもしれません。
でもガレットはもともとブルターニュの貧しい農家の食事だったようですし、卵や牛乳を使わないので、やはりクレープでしょうか?(フランス語ではどうなっているのでしょう?)
とにかく卵・牛乳・バターを使う・・・とありますからね。
私たちが思うパンケーキではなくクレープに近いことは事実だと思います。
きのう読んだ青空文庫(上のリンクから行けます。)の訳では何と”ドラ焼き”になっていましたよ~!(笑)
私はこの話を2つのアニメで見ています。
子供の頃みたのはこちら。(会員になればこちらで見ることができるようですが・・・)
こちらのレミは原作どおり男の子です。
そして大人になってから見たのはこちら。(さだまさしの歌が泣けます!ちなみにYahoo動画でも見れます。無料なのは1話だけだったと思います。)
この通り、レミは女の子になっています!
この作品は名作劇場シリーズの最後になっていましたが(最近また始まっていたのですね。知らなかったけれど。)、視聴率は超悪かったようですね。
上のレミだって可愛らしい(女の子のようなルックスの)男の子なのに、なぜ女の子になどしたのでしょう?
しかもこの新しいほうの「家なき子」はいろいろと原作からかけ離れた内容になっているのですね。
上のほうは記憶が朧なところがありましたが、いろいろ調べたら原作どおりだということがわかりました。
私が子供の頃に読んだ例の赤い本では、花農家のところで過ごした部分がなかったように記憶しているのですが、昨日青空文庫で読んだらヴィタリス親方が亡くなった後、レミは2年間花農家で幸せな日々を過ごしています。
ところが新しいほうのアニメではそれがなくて、マチアたちと共に悪い親方のところで悲惨な生活をしています。(原作ではヴィタリス親方が「こんなところには置いておけない。」と連れて行ってしまう。)
原作では花農家の末娘であるリーズ(後にレミと結婚)が悪い親方のもとで花売りをさせられている女の子ですし。(女の子ではリーズと結婚できません。そもそもマチアと”いい雰囲気”になっているように思えます。)
しかも原作では白鳥号のミリガン夫人(レミの実母)の息子アーサー(レミの実弟)は大人になってからマチア(その頃にはマチアは有名な音楽家になっているのです!)の妹と結婚することになるし・・・。
私が知らなかった話も多く、非常に驚きました。
ネット上の青空文庫もおもしろかったですが、目が疲れるので本で読みたいですね。(青空文庫のほうではレミがルミになっていますが、そちらのほうが発音上正しいかも・・・。スペルはRemi??)
ヴィタリス親方、ヴァイオリンがうまい旅芸人・・・としか思っていませんでしたが、ちゃんと読むともともとはイタリアの名のあるオペラ歌手だったのですね!
自分の評判を落とすような舞台に出ることができず、かといって他の仕事もできず、結局犬たちを仕込んで旅芸人になっているのですね。
追記
今Yahoo動画で新しいほうのアニメを1話だけ見ましたが、最初の年齢が原作では8歳なのに10歳になっている上、いろいろと不自然に変えられているところがたくさんありました。(原作は男の子なのに女の子になっている・・・という決定的な違いがあるし・・・)
- レミが朝寝坊
- 話の始まる日がお祭りの日ではなくレミと養母の誕生日(プレゼントの帽子まである!)
- パンケーキではなくシチューをつくることになっている。(提供がハウスだったから?)
- お祭りの歌合戦の場面がある(優勝の賞品がシチュー用のお皿というのもいかにも・・・と言う感じ。)
- バルブラン(養父)も原作を読めば、もともと悪い人ではないのですが、必要以上に”悪人”らしさを強調している
- 養父母の家に妹がいる(原作では妹も弟もいない)
- レミはバルブランが帰ってくる前にヴィタリス一座に遭遇しているだけでなく、自分から積極的に声をかけている。(原作では親方に気安く声をかけていません。それにこのアニメでは明るく朗らか・・・が強調されていますが、原作の語り口調では内向的な感じがします。)
- 牛が連れて行かれるのが歌合戦の場になっている。
などなど、はじめからほとんど違うと言ってよいでしょう。
しかも歌合戦で歌う「わたしのおかあさん」の歌があまりにも涙をそそる内容。
この時点ではまだバルブランも帰っていなくて、レミは自分が捨て子だということを知らないはずなのに・・・。
全体のストーリー(もちろん原作の)から当然予想される内容ならよいのですが、これはあまりにも違いすぎますね~。
それから原作では牛を売り払った後に、養母がよそから牛乳をもらってきてレミにさびしい思いをさせないようにパンケーキを焼くことになっていたのが、バルブランが帰ってきて、バターとねぎがあるのならそれで何か作れ・・・とシチューのようなものを作ることになっています。(アニメではシチューが作れなくなったので歌合戦の賞品としてもらった空のお皿にパンをのせて、「いつものパンが美味しそうに見えるわ。」みたいに言っています。)
パンケーキですが(こだわりすぎ?)・・・
熱灰の上で生地を膨らませている記述があることから考えるとクレープじゃないですね~。
揚げりんごもあるし・・・りんごケーキみたいなものでしょうか??
マイガーデナー [読書]
ののさんからクリスマスカードと共にこんな本をいただきました。
作者の紡木たくさんをご存知の方は多いことでしょう。
「ホットロード」・・・ってとても流行りましたよね!
確か私が大学時代の後半から教員していた頃に流行ったという記憶があります。
教員していた頃に生徒から貸してもらって読んだのだったかな~?
自分から読もうとは思わなかったはずなので、おそらくそうでしょう。
私が「貸して~」と頼まなくても「これいいよ~」って貸してくれる生徒がいたのです。
「ホットロード」もそうですが、この「マイガーデナー」も慣れるまではなかなか入りにくいところがあります。
主人公の内面に沿って描かれるため、文章が論理的(?)じゃないところがあるのですね。
文章というのも変ですが・・・「ホットロード」はコミックで、「マイガーデナー」はコミックと小説の中間のような(絵と詩のような)作品ですね。
女子中学生や高校生の言葉・・・作品が書かれている時代の流行り言葉・・・で書かれているので、その言葉がわかりにくいと慣れるまで大変ですし、いきなり飛躍するところがあるので、いわゆる”大人”には理解不能かもしれません。
私も一回目に読んだ時、初めのほうは何度も戻りながら読みました。
慣れてしまえば詩のようなものなのであっという間に読めてしまえます。
主人公(さな)のどうしようもない寂しさ、居場所のない気持ちが痛々しいほど伝わってきます。
それとこの作品は非常にキリスト教的です。
作品の中におじいちゃんのぶどう園が出てくるのですが、”ぶどうの木の自己犠牲”はすぐにイエス・キリストの犠牲を想像させるし(ぶどう園・・・というのも聖書の中の喩えによく出てきます。)、キリスト教主義の児童養護施設での祈りのシーンやユキ(さなの中学時代クラスメイトで”施設”に住む男の子。)の「(神様は)わるい子のために来たらしい。・・・」「いなくてもいー人なんて神様にはひとりもいないんだよ」という台詞・・・これはモロにキリスト教の真髄ですね。
最初「ののさんがなぜ私にこの本を・・・?」と一瞬不思議に思ったのですが、実はある理由からでした。
読んでみて私はこれをうちの娘達に読ませたいなあ・・・と思いました。
ののさんがうちの娘達のために送ってくださったのかどうかはわかりませんが、娘達の今の状況にもぴったりくるかも・・・と思ったのでした。
私も昔よく、「私なんか生まれないほうがよかったんだ!」とか親に言ったことがあるのですが、中学生である娘達もそういうことは言わないまでも、言葉にならない孤独感とか感じることが多いようで・・・。
この「マイガーデナー」ではいろいろな事情を抱えながらもさなを愛する母親と義父が出てきて、この義父の存在感は非常に大きいです。
「ホットロード」はネット上で読むことも出来ます。
今興味のある本 [読書]
立ち読みして興味を持った本。
まだ立ち読みしかしていないので詳しく感想を書けませんが、インターネットで関連記事を調べたりしています。
今の私にとって関心のあるキーワードである”全体主義”・・・”中間集団の全体主義”をいじめの原因として論じている内藤さんの考え方は、今まで私が教育や宗教、地域活動を通して”全体主義”について感じてきたこととリンクして非常に共感できます。
こういうことから考えると、他の教室で過ごしてはいけない・・・という決まりのある娘達の中学は不登校の子やいじめられている子の居場所をどんどん狭めているし、”いじめ”を助長しているとさえ思えます。
アリスの服が着たい [読書]
Amazonで注文していた本が届きました。
ちょっと前に朝日新聞の書評欄に載っていて、非常に興味のあるテーマだったのですぐに注文してしまいました。(他に一緒に頼んでいたものがあったせいか届くのに日数がかかりました。)
この本に惹かれた理由としては、ヴィクトリア朝のファッションに興味があった・・・というのはもちろんなのですが、うちの長女が大好きな(いわゆる)”ゴスロリ服”のブランドでヴィクトリア朝ファッションをコンセプトにしているところが結構多く、しかも「不思議の国のアリス」の服装など(アリスのファッション、トランプ模様、王冠、帽子屋、白うさぎ、ティーカップ・・・など。)がデザイン化されていることが多いことに興味があった・・・というのがあります。。
長女もアリスが好きでよく読んでいるのですが、テニエルの挿絵をこよなく愛しています。
うちには今これしかないのですが、いずれ豪華愛蔵版もほしいと思っています。
私もですが長女もディズニーのアリスが好きではありません。
同じく青いワンピースに白いエプロン・・・なのですが、ディズニー映画の陰りのない明るい雰囲気はこのテニエルの挿絵の持つ雰囲気とはかなり違いますよね。
ロリータ服ブランドでアリスがデザイン化されているのもこのテニエルの挿絵の雰囲気が受けているからでしょう。
ついでに言うと「ロリータ」ではなく「ロリヰタ」とか「ロリィタ」と書くことで区別しないと、このファッションの愛好家たちに叱られます。
「ロリータ」というと男性が好むいかがわしさがつきまといますが、「ロリヰ(ィ)タ」服の真の愛好家たちは男性好みではなく、どちらかと言えば男性が引いてしまうタイプのファッションではないかと思います。
「ロリータ」と言えばメイド服、メイド服と言えば”萌え”・・・これと混同してほしくない・・・と長女は言います。
以前も書きましたが、私は以前はロリヰタ服と言えば「ゴスロリ」しか知りませんでしたが、パステルカラーを基調とした甘ロリ、ヴィクトリアンファッションを基調としたクラロリ(クラシックなファッション)・・・などいろいろあるのですね。
うちの長女は”ギャル系”ファッションが大嫌いなのですが、”ギャル系”が露出度が高いのに比べ”ロリヰタ”は露出度が極端に少ないのです。
例えば日に焼けるのを嫌ってフリフリのパラソルをさすし、頭には大きなヘッドドレス(リボンなどもありますが、ヴィクトリア朝みたいなボンネットもある!)。
フリルの多いワンピースは露出度が少ない上、”真のロリヰタ”達はパニエやドロワーズを穿くのが基本のようです。
そして靴下はロングソックスで、ワンストラップシューズや厚底靴を履いたりします。
うちの長女はアリスのような横じまのロングソックスにワンストラップシューズなどを合わせるのですが、私の感覚ではその合わせ方は不思議で仕方がありませんでした。
しかし、テニエルの絵のアリスはそういうファッションなのですね。
一番上に載せた「アリスの服が着たい」でもそれが出版された当時いかに流行っていたかということが書かれていましたが、その頃少女だったビアトリクス・ポター(「ピーターラビット」の作者ですね。)も同じようなファッションをしている写真が載っていて興味深かったです。(「ミス・ポター」の話題でビクトリア朝ファッションが楽しめると書きましたが本当にそうですね。)
この「アリスの服が着たい」では「不思議の国のアリス」などの児童文学によって子供服というジャンルが誕生し、どのように発達していったかがたくさんの資料をもとに書かれていてとてもおもしろいです。
登場するのは「不思議の国のアリス」、ケイト・グリーナウェイの絵本、ハバードおばさん、「小公子」、セーラー服・・・です。
そのどれもが興味深いのですが、特に「小公子」の”フォントルロイスーツ”ですね!
↑
この表紙のセドリックが着ているのが”フォントルロイスーツ”と言うそうなのですが、私が子供の頃に読んだ「小公子」はどこの本でもこの服になっていました。(こちらのサイトで昔の挿絵の変遷がわかります。)
フォントルロイというのはイギリスのドリンコート伯爵家に引き取られたセドリックに付けられた名前(フォントルロイ卿)ですね。
”フォントルロイスーツ”の大きなレースの襟と袖口、濃いブルー、7分丈(?)のパンツ、サッシュ・・・そしてセドリックの長い金髪の巻き毛に青い目・・・これらに非常に憧れました!!
男の子が生まれたら着せたい・・・とか思ったりもしましたが(苦笑)、この服が流行った当時の男の子たちにはいやいや着せられていて良い思い出がないようですね~。
娘達が幼い頃はフェリシモで売られていた「不思議の国のアリス」をコンセプトとしたエプロン付きワンピースをよく着せていたものですが・・・。
日本語のアリス本では言葉遊びの感覚が分かりにくい・・・と言うので、この前解説付き洋書まで買ってしまいましたが、親子ではまりそうです。
”アリス”が好きな長女ですが、次女はセーラー服好きです。
「アリスの服が着たい」ではセーラー服に関しても詳しく書かれていますが、支持されなかった”フォントルロイスーツ”に対してこちらは身分を問わず多くの人々に支持されたファッション。
でも最近はセーラー服の制服も減っているし、”ゴスロリ”ブランドのお店でないと見かけないほどなんですよね。(”ゴスロリ”ブランドのお店にはたくさんある!)
ちなみに検索して探そうと思ったらいわゆる”コスプレ用”ばかり出てきました。
”ゴスロリ”ブランドのお店では品の良い可愛いセーラー服が多いです。
”コスプレ用”を作っているメーカーは学校用も作っているようですが・・・。(とても複雑な気分になりました。)
それにしても従来の日本の制服のセーラー服・・・どこか欧米のセーラー服と違うんですよね!
どこが・・・と言われると困りますが、おしゃれ度が違う気がします。
追記
ケイト・グリーナウェイについては以前も書きました。
私が小学生の頃、絵が森永チョコレートのパッケージに使われていたことがあるのですよね!
「ポールとヴィルジニー」が読みたい! [読書]
昨日の記事の「ポールとヴィルジニー」ですが、昔の本の挿絵はこんな感じです。
絵を見ていたらますます読みたくなってきました。
表紙がわかる洋書はこんな感じ。
数日間うちにはいませんので更新できません。(同様にメールチェックもできませんのでよろしくお願いいたします。)
「天使の声・生きながら生まれ変わる」 [読書]
12月のリサイタルの時に予告を聞いて以来楽しみにしていた米良さんの本、ようやく手に入りました。
米良さんは以前も自伝的な本を出していますが、全く趣が異なります。
下のほうの本は米良さんが絶頂期に出版されたものでCDブックになっています。
正直・・・CDは米良さんの他のCDに入っているし、内容は良いのですが、写真が・・・。
この頃の米良さんのメイクは、「かれん」(CD)の写真と同じで怪しげと言うか、あまり好きではありませんが・・・。
今回出された本(上のほう)はかなり長編で、今まで語られることのなかった養護学校時代のことや、ご両親の職業のことなど、”負”の部分が多く書かれています。
たぶん、TVなどでもいくらか語っていらっしゃると思うのですが、米良さんの不遇な子供時代、脚光を浴びる立場から一転して長いスランプに陥った苦しい時期のことが、「ここまで・・・!」と思うほど、冷静に語られています。
先日このブログでご紹介したグルベローヴァとの共演の時の苦しい状況も。
私も米良さんのリサイタルには数回行っていますが、どの回も祈るような気持ちで聴いていました。(初めて行った時はうれしいだけでしたが・・・)
きっと歌っている米良さんは、想像している以上に苦しい思いで舞台に立たれていたのだろうなあ・・・とあらためて思いました。
何度も書いていますが、私が楽しみにして行ったライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団&聖トーマス教会合唱団の「マタイ受難曲」・・・ソロの米良さんが出られなくなったのは本当にショックでした。
米良さんはその頃、ヨーロッパでもガーディナーなどと共演する予定がありましたが、どれもこれも降板しなければならなかったのですね。
絶頂期の直後だっただけにどんなに苦しかったか。
ご本人の文章では自分がいかに傲慢だったか書かれていますが、子供時代の苦しみを経てこれから・・・という状況でしたから、神様はこれほどの苦難をどうして与えるのか・・・という気持ちになりました。
いろいろな試練を経た米良さんはきっと今も生きる苦しみの中にいらっしゃるのでしょうけれど、それらを受け止めて自然体でいらっしゃると思います。
後書きに「うぐひす」のことが書かれていたので、聴いてみました。
Nightingale: Japanese Art Songs
- アーティスト: Sadao Bekku, Ikuma Dan, Shiro Fukai, Fumio Hayasaka, Hikaru Hayashi, Yoshinao Nakada, Kosaku Yamada, Yoshikazu Mera, Gunilla von Bahr, Kikuko Ogura
- 出版社/メーカー: BIS
- 発売日: 2000/08/07
- メディア: CD
全曲試聴できます。
すでに何度も載せているのですが・・・。(過去記事です。「うぐひす」「曼珠沙華」・・・他にも何度か取り上げましたが省略♪)
米良さんのCDの中でも最も・・・と言ってよいほど気に入っています。
英語の題名の通り、かなり芸術性の高い日本歌曲です。
米良さんが馴染んできた詩吟や民謡のテイストも入った独特の歌い方。
このCDで團伊玖磨の「さより」(Saury fish)を知り、よくうちの娘達と歌いました。
何度聴いても日本歌曲の素晴らしさを感じさせてもらえます。
誰が何と言おうと、私は絶頂期の米良さんも、スランプ期の米良さんも、今の米良さんも好きです!
そしてカウンターテナーの歌い方でクラシックのほうがどちらかというと好きですが、地声のような歌い方でも好きなのです。
米良さんの音楽が好きなのでしょうね。
もうちょっとでファンになってから10年になります。