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「バベットの晩餐会」・・・”ドン・ジョヴァンニ”のレッスン風景 [映画]

♪「バベットの晩餐会」という映画の中で前回の記事で書いた「ドン・ジョヴァンニ」の誘惑のニ重唱のレッスン風景が出てきます。

「バベットの晩餐会」については去年の8月26日に一度書いています。
映画を見たときのパンフが出てきました。
アイザック・ディネーセンの原作(たぶん全てではないと思いますが・・・。岸田今日子さんの訳です。)が載った絵本のようなパンフでした。(ところどころ引用します。)

北欧の寒村にフランス人のアシール・パパンというオペラ歌手がやって来て、牧師の娘であるフィリパの歌声に心を惹かれます。(注:ここの教会はプロテスタントでも特に清貧、禁欲を重んじるピューリタン的な教派です。アシール・パパンはフランス人=カトリックであり、牧師が警戒心を持っている、ということに注意しなければなりません。)

一瞬にして、彼は全てを悟った。ここには雪をかぶった頂があり、野の花があり、北欧の白夜がある。そういうものが彼自身の音楽になって若い女性の歌声へと導いてくれたのだ。

アシール・パパンは「神の栄光のため」にフィリパがどんなに美しく歌うようになるだろうか、と牧師を
説得し、レッスンをつけることにこぎつけます。

先生は生徒に、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」からツェルリーナの役を与えて勉強させた。彼自身は、これまでもたびたび歌ったことのある、ドン・ジョヴァンニを歌った。生まれてから今までこれ程感情が高ぶったことはない。誘惑のデュエットと呼ばれる第二幕の二重唱で、彼は清らかな、神々しい程の音楽、その歌声に陶然となった。最後の感傷的な旋律が、尾を引きながらだんだん小さくなって消えたとき、彼はフィリパの手をつかんで引き寄せ、ゆっくりと接吻した。祭壇の前で、花婿が花嫁にする接吻のようだった。それから抱擁を解いた。その瞬間があまり崇高だったので、彼は言葉を失った。動くこともできなかった。モーツァルトさえ、ふたりをじっと見下ろしているように思われる。

アシール・パパンにはよこしまな思いは全くなく、このレッスン風景は大変素晴らしい、霊感に満ちた場面です。

しかし、フィリパは父親である牧師にもうレッスンを受けたくないと言い、牧師はその旨をアシール・パパンに伝えます。
失意の彼は村を去って行きます。

「わたしはたった一度の接吻のために一生を棒にふった。おまけにその接吻のことなど、これっぽっちも覚えていない。ドン・ジョヴァンニがツェルリーナに接吻しただけなのに、アシール・パパンがその償いをしなければならないのだ。これが芸術家の運命なのだろうか。」

原作本はこちらです。

バベットの晩餐会

バベットの晩餐会

  • 作者: イサク ディーネセン
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1992/02
  • メディア: 文庫

バベットの晩餐会

バベットの晩餐会

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 2000/04/19
  • メディア: DVD


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コメント 2

miron

パパンが、ドン・ジョヴァンニがツェルリーナに接吻しただけなのにと、
考える所、大変面白いです。
おまけにこれっぽちも覚えていない。
というのは、大人の嘘なんだろうなぁと思います。
原作が読みたくなりました。
by miron (2006-06-11 13:27) 

Cecilia

mironさん、nice&コメントありがとうございます!
早速お越しいただいてありがとうございます!
DVDというかビデオはレンタル屋さんにありませんか?
それと、私はこの本を図書館で発見しました。(パンフは捨てずに置いておいて良かった・・・。きれいな絵入りです。)
是非原作を読んでください。
by Cecilia (2006-06-11 21:44) 

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