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県民の歌と市歌

3月11日の東日本大震災の後も大きな余震・地震が続いています。
大きな被害を受けている故郷に思いを馳せていると次の二曲が浮かんできます。
このような県民の歌や市民の歌というのは全国的によく歌われていた時期があるのでしょうか。
私はこの二曲をかなり歌いましたし、県民の歌のほうはダンスまでしました。
「いわき市歌」は地元出身の小林研一郎の作曲だったのですね~。(県民の歌も市歌も関わっている人は皆地元出身なのでしょうね。草野心平も地元出身者ですしね。)
私自身は特に愛郷心もない人間ですが、この歌詞にある溌剌とした故郷に戻ってほしいと願います。
メロディーを聴いていただけないのが残念ですが、両方とも良い曲だと思っています。
→(追記)「福島県民の歌」の楽譜・音源は県のHPにありました!こちらです。


★福島県民の歌★(作詞・吉田武 作曲・星和男 編曲・遊佐直司)



1 しゃくなげ匂う山なみに
呼びかけよう
若い理想をかざして
あしたの夢が
はてなく伸びる
明るいふるさと
福島をつくろう
みどりひかる
この空いつまでも
ああ 福島県

2 けやきの樹にしあわせの
虹かけよう
若い血汐を燃やして
嵐をこえて
雪崩に耐えて
豊かなふるさと
福島をつくろう
ちから満ちる
あしおと高らかに
ああ 福島県

3 きびたき歌う尾根を背に
手をつなごう
若いあこがれむすんで
町から村へ
ひとつにみのる
楽しいふるさと
福島をつくろう
こころあわせ
つち音絶やさずに
ああ 福島県


★いわき市歌★(作詞・乗田まさみ 補作・草野心平 作曲・小林研一郎 編曲・渡辺 浦人)

1 若いまち いわき
のびてゆく いわき
さわやかな 海の夜明けに
夢をはらんで 満ちてくる潮
あふれるのぞみ いわき
あふれるのぞみ いわき
みんなで呼ぼう
幸せをここに

2 若いまち いわき
花ひらく いわき
街ごとに 光はあふれ
炭坑(やま)に工場(こうば)に こだまする歌
ほほえむみのり いわき
ほほえむみのり いわき
みんなで呼ぼう 幸せをここに

3 若いまち いわき
栄えゆく いわき
湯のさとに けむりたなびき
七浜の波 さわぐ松風
ゆたかなながめ いわき
ゆたかなながめ いわき
みんなで呼ぼう 幸せをここに





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ユーフォ

福島県民の歌は元気が出る感じですね~(^^♪
by ユーフォ (2011-04-13 16:02) 

Cecilia

ユーフォさん、nice&コメントありがとうございます!
いわき市歌も元気な感じですよ~!(そちらのほうがより元気が出ると思います。)
by Cecilia (2011-04-13 17:43) 

Cecilia

cfpさん、niceありがとうございます!
by Cecilia (2011-04-14 08:05) 

Cecilia

Promusicaさん、niceありがとうございます!
by Cecilia (2011-04-14 08:06) 

norip

夢と希望にあふれたいい歌ですね~♪
テノールですか?甘い好みの声です。

あいず磐梯山、美しいですね~!!
映像を見てなんともいえない気持ちがしてきます。
毎日大変な状況になってきていますが、
日本は必ず立ち直れると信じたい!

by norip (2011-04-14 08:58) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。
福島県県民の歌といわき市の市歌、この時期ゆえになおのこと心にしみる記事でした。

小林研一郎さんは作曲科をでておられますし、そちらの方面でもご活躍ですが、いわき市の市歌を作曲されていたとは存じ上げませんでした。
1967年に制定とのことですから、小林さんは27歳で作曲なさったのですか。
元気の出る歌とのことで、どんな歌なのか俄然興味が湧いてきました。
来週末、母の一周忌で会津に帰省し、その際にはいわきの姉夫婦も参りますので、聞いてみたいと思います。

福島県県民の歌の溌剌とした元気いっぱいのメロディですね。
楽譜を拝見し、口ずさみながら、「あしたの夢が はてなく伸びる」からの高揚感と、特に「みどりひかる この空いつまでも」の部分に感じ入りました。
私、こういう感じの旋律が大好きなのです。
ダンスまであるとのことで、福島県民がこの歌を大切に思っておられる気持ちが伝わってきます。
こちらの方は、早速今夜にでも家内に聞いてみます。

因みに私の故郷では「信濃の国」の存在があまりに巨大で、新しい県民の歌はなかなか出てこないようです。
by 伊閣蝶 (2011-04-14 12:22) 

Enrique

再建の力にして欲しい歌です。やはり音楽の力は強いです。
音響の物理的パワーはごく小さなものですが,それが人の手で配列制御されて人の心に作用する効果は奇跡的なものです。
飾らず粘り強い福島の人たちは,きっともっと良い福島を築いてくれると信じます。微力ながら応援いたします。
by Enrique (2011-04-15 10:54) 

シズコ

>草野心平も地元出身者ですしね。

えっえっえ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?
と、突然、驚きの声からコメント、失礼します。
草野心平氏って、いわきだったんですか!?知らなかったっ!
私、彼の「ごびらっふの独白」(ご存知でしょうか?男性合唱曲です)の大ファンなんです。カエル語で書かれた素晴らしい詩です。→http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6654/gobirahhunodokuhaku.htm

これを読むたびに、音が蘇って来ます。出だしの

「幸福ってものは、たわいなくっていいものだ」

もう、これを聞くたびに、ぞくぞくして来ます。

私の音友(おんとも)=音楽友達が福島県に在住しておりますが時々メールや電話をします。彼女たくましいです。でも、祈ることしか彼女のためにできないことが、歯がゆくなるときがあります。

「福島県民歌」良いですね。(^-^)v
「山形県民歌」はわりと地味~ですよ。(苦笑)
冬季国体の時高校生だったので(いつの話じゃ~!?)お揃いのスキーウエアをもらって、歌いました。
その後、セコイ私は、大学生になってもそのスキーウエアを着て、蔵王にスキーに行ったら、同じウエアを着た女性と目があってしまい、お互い苦笑してしまいました。(全然知らない人!)

では、また。オヤスミナサイ。
by シズコ (2011-04-15 23:02) 

Cecilia

noripさん、コメントありがとうございます!
この動画、震災後に投稿されていたと思います。
原発も出てきますよね。
今回の震災で打撃を受けた場所とそうでない場所も出てきますが、このような災害が起こる前は福島県は全国的に地味な存在でした。
吹奏楽や合唱が盛んな県なのですが。
by Cecilia (2011-04-16 05:33) 

Cecilia

伊閣蝶さん、nice&コメントありがとうございます!
いわき市歌を聴いていただけないのが残念です。ネット上でもあまり情報がありませんね。
私が生まれた年に作曲され(福島県民の歌も同時期ですね。)、私世代は学校の授業で何度も歌ったものです。まさかコバケンの曲とは知りませんでした。小林研一郎さん、いわき出身なのです。(小名浜らしいです。)
お母様の一周忌で帰省されるとこのこと、お気をつけて・・・。一年は本当に早いですね。「福島県民の歌」のほうは奥様もお姉さまたちもご存知の可能性が高いですが、「いわき市歌」のほうはお姉さまが嫁がれた頃に歌われていたかどうか・・・?

>福島県県民の歌の溌剌とした元気いっぱいのメロディですね。
楽譜を拝見し、口ずさみながら、「あしたの夢が はてなく伸びる」からの高揚感と、特に「みどりひかる この空いつまでも」の部分に感じ入りました。

ここのところずっと頭の中をぐるぐるしています。動画の演奏は昔よく聴いていたものですが、あらためて聴くと合唱が素晴らしいですね。合唱で歌いたくなりました。特にテノールが気になったりして。気に入っていただけてうれしいです。
「信濃の国」は、最近知ったところでこれから聴いてみようと思っているところなのですが、何番もあるのですね。長野県の方々に愛唱されている曲とのことですね。
それに比べると「福島県民の歌」は歴史が浅いですね。
by Cecilia (2011-04-16 05:51) 

Cecilia

Enriqueさん、nice&コメントありがとうございます!
ここのところ頭の中をぐるぐるしているのですが、聴けば聴くほど、また歌詞の意味を考えるほど、再建の力にしてほしい曲だと考えます。
阪神淡路大震災の後、「幸せ運べるように」という曲が兵庫県内の小学校などでよく歌われましたが、この「福島県民の歌」、泣かせる歌詞でないところが良いです。福島県民の皆様、出身者の皆様、皆で歌ってがんばりましょう・・・と言いたいですね。
ちなみに「幸せ運べるように」はこんな曲です。
http://homepage2.nifty.com/kobeport/shiawase/shiawase.html

福島県は合唱や吹奏楽が盛んです。被災地域は特に吹奏楽が盛んですね。練習できない学生のためにある地元楽器店が練習室を無料で貸し出したりもしているようでうれしく思いました。
by Cecilia (2011-04-16 06:00) 

Cecilia

シズコさん、コメントありがとうございます!
草野心平はいわき出身で記念文学館というのもあります。
http://www.k-shimpei.jp/
予想していた通り、今は休館中ですね。
ご紹介の合唱曲は聴いたことがあると思います。
蛙の詩もいろいろ読みました。
彼は地元の学校の校歌も結構作曲していますね。
この記事を書いてから全国の県民歌や市歌が気になって仕方がない私です。
私も実家のことが気になりながらも大して何もできず、せいぜい電話をかけるくらいです。
福島県民や原発周辺に住む人々に対する差別も始まっているようです。人間とは本当に弱いものですね。


by Cecilia (2011-04-16 06:10) 

伊閣蝶

再コメント失礼します。
福島県県民の歌、家内に聞いたら、早速その場で歌い始めました。
ところどころ記憶は曖昧だと言っていましたが、それなりにちゃんと歌えていましたので、やはりかなり浸透しているのだなと、改めて感心したところです。
両方ともCeciliaさんのお生まれになった年に制定されたというのも、なにか縁を感じます。
小林さんも草野さんのいわきのご出身。
殊に、小林さんは小名浜のご出身で、私の義兄と同じなので、ずっと親近感を抱いてきました。
沢登りで出かけた夏井川の「背戸蛾廊」、この名前を命名したのが草野心平さんだと知った時は結構驚いたものです。
by 伊閣蝶 (2011-04-16 12:06) 

AK

Cecilia さんがさりげなく書かれておられる
「この動画...原発も出てきますね」という言葉や、
みなさまのコメントやりとりに深く心うたれました。

県民歌の(バリトン的)テナー熱唱は多分、地元(本宮市)出身で
往年の名歌手だった伊藤久男ではないでしょうか。
その唱法や声質、また歌の制定年からいっても
きっとそんな気がします。
とてもよい歌ですね。

私も亡くなられた多くのお方のご冥福や、
被災地の一刻も早い復興を祈っております。

by AK (2011-04-16 18:58) 

Cecilia

伊閣蝶さん、再コメントありがとうございます!
奥様もご存知でしたか!ご存知だろうとは思っていましたが。
ダンスのほうはどのような経緯で作られたものなのかわからないのですが、ある時期に普及していたようなので、奥様ももしかしたらご存知かもしれません。私が通った小学校では高学年女子のダンスでした。女子向けのダンスだと思います。両手に花の付いた輪を持って踊りました。

>夏井川の「背戸蛾廊」

ここは思い出深い場所です!
中学の時には清掃活動で出かけました。その時飯盒炊爨をしましたが、持ち物で”ママレモン”を持っていく話が出て疑問を感じたこともあって、例の藪山さんのエッセイにもなるほどと感じたわけです。
二ツ箭山には登られたのでしょうか。
by Cecilia (2011-04-17 10:13) 

Cecilia

AKさん、はじめまして。
コメントありがとうございます!
福島県民でいらっしゃいますか?(違います?)
伊藤久男さんのことは初めて知りましたが、調べてみたらかなり有名な歌手で私も知っている曲を歌っていますのでたぶん聴いたことがあるはずだと思いました。
今こういう感じの発声で歌う人はあまりいないですが、おっしゃるとおり”(バリトン的)テナー熱唱”ですね。私も彼が歌っているのではないのだろうかと思います。
自分の地元の歌だからこそ愛着を感じるのかもしれませんが、やっぱり良い曲だなあとしみじみ感じているところです。
被災地に限らず影響を受けているすべての方々が安心して暮らせる日が一日も早く訪れるよう祈っています。

ブログで素敵な方々と交流でき、ありがたいと感じている私です。
AKさんのコメントもお心がこもっていて大変うれしく思いました。


by Cecilia (2011-04-17 10:26) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんばんは。
福島県県民の歌のダンスについても訊ねてみたのですが、そちらの方は記憶にないとのこと。
もしかすると本郷の義妹は知っているかもしれないので、今週末の帰省の際に訊いてみようと思っています。

ところで「背戸蛾廊」、清掃活動をなさっておられるのですね。
良く整備されているな、と感じましたが、やはりきちんと地元の方々が手入れなさってのことなのだなと、感じ入りました。
それから、藪山のエッセイもお読みいただき恐縮です。
ママレモン、やはり山の中で使われる方はかなりおられるのでしょうね。

二ツ箭山は、まだ登っておりません。
かなり面白そうな岩場があるので、出かけてみたいと思いつつ、未だに果たせないでおります。
この山でクライミングのトレーニングをした、という知人もいますので、是非とも登ってみたいと思います。
by 伊閣蝶 (2011-04-19 18:38) 

Cecilia

伊閣蝶さん、再コメントありがとうございます!
なぜダンスがあったのかよくわかりません。(国体があったわけでもないですし・・・。)3つ年上の姉も経験しています。
とにかく私が生まれた年の私が生まれた日に限りなく近い日に制定されたこの歌、ダンスはその約10年後には小学校でも踊られていたのですね。
まあ10年と言えばまだ曲が作られて間もない頃、とも言えますのでもしかしたら制定された時の発表会で踊られたものなのかもしれません。(上にリンクしている県のHPでデータベースがあるようなのですが、現在見ることができないので気になります。)
背戸峨廊というのは草野心平が名づけたようですね。中学生の清掃活動ではたいしたこともできませんが、日常的に手入れをしている方々がいらっしゃるのだと思います。
二ツ箭山の思い出を書くと出身地がばれそうなのでここでは書けませんが、一度だけ登りました。その時も背戸峨廊清掃だったと思うのですが、終了後に登って帰りました。
誰かが猪を捕まえ、その血液が服に付着し、臭いも残った記憶があります。
二ツ箭山登山は記憶では思ったより大変ではなかったです。中学生で若かったせいでもあると思いますが。トレーニング用には良いと思います。
市内で思い出深い山と言えば水石山ですね。登山をしたとは言えないですが”芋煮会”の思い出の場所です。
http://www.asahi-net.or.jp/~qy5s-sozk/mizuishi/mizuishi.htm
by Cecilia (2011-04-20 09:30) 

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