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「尼僧物語」の音楽 [映画]

「マグダレンの祈り」に引き続き「尼僧物語」を観てみました。(修道院ものが続いていますね。笑)


尼僧物語 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • メディア: DVD



オードリー・ヘップバーン主演のこの映画、以前から気になっていました。
何の予備知識もなく観たのですが、意外だったのがコンゴの風景でした。修道院での生活については昔観た「テレーズ」とだぶらせながら観ていましたが、1959年公開のこの映画、コンゴでのロケは大変だったと思います。そもそも私はコンゴについての知識がなく、この映画を観てからベルギーとコンゴの関係を知ったわけです。

いつものように音楽シーンが気になりましたので、そこから書きたいと思います。
まずヒロインのガブリエル(後にシスター・ルークと呼ばれる)が家族と別れ修道院に入る冒頭のシーン。父親(医師であるパン・デル・マル博士)は一階の部屋でピアノを弾いています。その曲はW.A.モーツァルトの「フィガロの結婚」の中のケルビーノのアリア(恋とはどんなものかしら)です。二階ではガブリエルが恋人の写真を伏せているのですが、しばらくしてから父親と一緒にこの曲を弾き始めます。恋を楽しむこともなく修道院に入ろうとする娘との別れが迫りさびしい気持ちで弾いているというのがよくわかる場面ですね。

修道院に入ってからは儀式のたびにグレゴリオ聖歌などの単旋律聖歌が流れてきます。オルガン曲も気になりますが曲名はわかりません。特に正式な修道女になるための儀式の部分にはかなり時間をかけていてその間にたくさんオルガン曲や聖歌を聴くことができます。曲名はわかりませんが音楽の使い方からして修道院の儀式についてよくわかっている人がきちんと製作しているという印象です。司祭(男性)による先唱に引き続いて修道女たちが答唱しますが、女性ばかりの聖歌(グレゴリオ聖歌など)を聴くのはあまりない経験なので新鮮でした。その場面から考えると若い修道女だけではなく年配の修道女も混じっていたはずですが、全体的に若い声だと感じました。

コンゴに行ってからですが、原住民が鳴らす太鼓などがとても印象的です。現地の修道院のクリスマスシーンでは「神の御子は今宵しも(Adeste Fideles)」という有名なキャロルが歌われますが、ベルギーの修道院とは違ってちょっとたどたどしい素朴な音色のオルガンと子供(白人の子供と黒人の子供)による合唱でした。

この映画の音楽はフランツ・ワックスマンという人が作曲しているようですが、既製曲の選曲も彼なのでしょうかね。

あらすじなどはこちらをご覧ください。
尼僧物語 - goo 映画
尼僧物語 - goo 映画


さすがオードリー・ヘプバーンで物静かで気品と知性のある、しかし意思の強さを備えた修道女を好演していると思いました。
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伊閣蝶

「尼僧物語」、かなり以前に観ましたが、音楽の印象に関しては忘れてしまっています。
教会音楽の使い方がすばらしいとのことで、これは是非とも観直さなくては、と思っております。
音楽はフランツ・ワックスマンでしたか。
彼はヒッチコックとも組んで、非常に斬新な音楽を作っていましたが、私はやはり、「サンセット大通り」や「陽のあたる場所」の音楽が印象に残っています。
既成曲の使用も含めて、音楽設計はワックスマンが行っていると思いますが、コンゴの音楽も興味深いところですね。
by 伊閣蝶 (2011-10-12 12:53) 

Cecilia

伊閣蝶さん、nice&コメントありがとうございます!
オードリー・ヘップバーン主演の映画の中ではちょっと影が薄い作品でしょうか。
教会音楽の使い方ですが、同じような場面でも「テレーズ」ではまったく音楽がなかったと思います。私もカトリックの音楽事情に詳しいわけではないのですが、やはりよくわかっている人が製作していると確信します。
「尼僧物語」も常に音楽が流れているわけではなく、最近のサービス過剰なまでに音に溢れている映画と比較して全体的に静かな映画ですね。
コンゴの音楽場面は一転してにぎやかなのですが、ベルギーとの空気感の違いが映像と音によって見事に表現されていると思いました。
by Cecilia (2011-10-12 16:35) 

krause

胡床についてお教えいただきありがとうございました。

未だオードリー・ヘップバーンの大ファンです。
by krause (2011-10-12 17:26) 

Cecilia

krauseさん、nice&コメントありがとうございます!
自分でも気になったので調べてみました。神社で使われる道具の名前、他にも気になるものがいろいろあります。
オードリー・ヘップバーン、「ローマの休日」が特に好きです。これを機会に未見のものも是非観なくてはと思いました。
by Cecilia (2011-10-12 18:31) 

glennmie

このオードリー・ヘップバーン、マリア様のように美しいですね。
私は彼女の生き方も含めて、大ファンなんです。
この映画は知りませんでした。
Ceciliaさんの文章を読んでいて是非観てみたくなりました。
ご紹介くださって、ありがとうございます。
by glennmie (2011-10-13 02:28) 

Cecilia

glennmieさん、nice&コメントありがとうございます!
本当に美しいですね。私はオードリー・ヘップバーンの生涯については一般的なことしか知らないのですが、生き方も含めてファンという方は結構多いですよね。
また彼女の生き方とこの作品がだぶるという見方も多いようです。
よくビデオショップなどでジャケットを見かけていて気になっていたのですが、しばらく忘れていたのですが、突然思い出して観てみました。
by Cecilia (2011-10-13 08:36) 

Cecilia

xml_xslさん、niceありがとうございます!
by Cecilia (2011-10-14 16:50) 

シズコ

こんばんは。
もう日付変更線を超えましたが、今日明日は、心身ともにフリーにして、解放することに決めました。体と心って、実に不思議ですね。一週間ずっと苦しんでいた虐待問題で、クリスチャンの信頼できる友に話して「シズコは間違ってないよ。苦しまなくていい。あなたが苦しむのではなくて、それは○○(←私を虐待している方の名前)さんの問題よ。」といってもらえただけで、すっと心身が楽になりました。

「尼僧物語」と全然関係ないじゃん?と思われますか?
私自身はこの作品はまだ未見です。ですが、オールシネマにこんな感想があり、非常に魅かれました。この方のコメントはよく読ませていただくのですが、ちょっと数行を引用させて頂きます。

>信仰と盲従はどう違うのか。
厳格な修道院での生活をベースに、「シスター・ルーク」として真正面から諸問題と取り組もうとするヒロインのガブリエル・バン・デル・マル。
戒律と、本来あるべき自分の姿にギャップを覚え、葛藤するヒロイン。
自らの願いを持ってはいけない、自分を無にせよ…といった厳しい教えは、「神の道具に徹せよ」という原理的なものではあるが、「理想自己」という自意識をもってしまった近代人には分裂をもたらす結果を招く。
そもそも疑いなく指示に従う、というのは神の御心にそったことなのだろうか、という根本的な疑問が生じる。修道院長の言葉は神の言葉である…という論理は、つきつめれば「上官の命令は天皇の命令だ」、という論理と同一である。


↑私は、この感想、今のキリスト教会(特にプロテスタント)の問題を鋭く示唆しているなと感じました。
プロテスタントには修道院は無いと思うのですが、断食祈祷や祈祷院に行って祈ったり致しますよね?その事、行いで救われるような錯覚(信仰は「神によってただ恵みによって与えられる」はずなのに)や、特にクリスチャンホームの方は、かたくなとも思われるように「キリスト教関係の本や映画、CDのみを『盲従的に良い』とし、ひどいときには盲従的に良いと『考えることすらせず』キリスト教の世界のみに閉じこもっているような感じを受けることがございます。
私は、他の宗教やたくさん幅広く学び、幅広い知識や学びを受け、牧師または神父になられた方は信頼できますが、全く「聖書のみで十分」と言う方は、正直申し上げて信頼できません。私は、人間としてまず当たり前のこと(人の話を傾聴する。交際範囲や考え方など、閉塞的にならず、多様な方と交流する・・・そういう当たり前のことができる人間に成熟したいです。

先日仙台に行って、久し振りに懇意のシスターとお会いしました。
聖パウロ書店はいつも満員です。小さなお子さんや、お母様、ご年配の紳士、初老のご婦人など、多種多様です。そしてじっくりご覧になり、購入が決まるとさっと帰って行かれます。あたかも「ミニ修道院」を拝見しているような気が致します。

一時期(洗礼を受けた後、真剣に「シスター」の道を考えたことがございました。
けれども有名なマザーテレサや、先日お勧めした「修道院へようこそ」などの「修道院シリーズ」の本を読むと「わがままな私にはとても無理かも」と思ってしまいます。昔東京の教分館書店で購入した「トラピスチヌ修道院」の写真集を時々見ますが、非常に癒されます。
以前ブログにも書いた'solitude'が修道院にはあるような気がして、憧れます。

おやすみなさい。
by シズコ (2011-10-15 00:43) 

Cecilia

シズコさん、コメントありがとうございます!
仙台に行かれたりお疲れも溜まっていると思います。ゆっくりなさってくださいね。
引用された感想文、大変興味深く拝見させていただきました。最近の修道院事情はわかりませんが、昔ほど厳しくないのかなと言う印象があります。
プロテスタントの問題ですが断食祈祷も祈祷院も経験がありません。行いによって救われるとは思いませんが、行いが伴わないというのも問題だと思ったりして。

>かたくなとも思われるように「キリスト教関係の本や映画、CDのみを『盲従的に良い』とし、ひどいときには盲従的に良いと『考えることすらせず』キリスト教の世界のみに閉じこもっているような感じを受けることがございます。

盲従的な方もいらっしゃいますが、そうでない方々も知っています。また考えることすらしないのはキリスト教の世界だけでないような気もします。まあでも確かにこのようなクリスチャン(ホーム)は多いかもしれません。

>「聖書のみで十分」

聖書には誤りがないという考えでしょうね。実際聖書にはどろどろとした人間模様も描かれていて深く読めば面白いですが、誤りもあるでしょうし、大事な部分で切り捨てられているところもあると思います。

修道院生活、昔ほどではないですがやっぱり憧れます。厳しい戒律もだらだらしないためには必要かも・・・と思ったりして。(笑)

映画ではシスター・ルークは結局自分の思う道を歩むために還俗して修道院を出ることになりますが、ある意味calling(召命)であると感じました。
キャサリン・ヒュームの原作も読んでみたくなりました。
by Cecilia (2011-10-15 10:33) 

Cecilia

九子さん、niceありがとうございます!
by Cecilia (2011-10-15 10:34) 

Cecilia

cfpさん、niceありがとうございます!
by Cecilia (2011-10-17 08:38) 

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