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下垣真希さん(ソプラノ)のコンサートに行ってきました [音楽鑑賞]

前の記事に追記したいと思いながらまだ追記できていませんが・・・

昨日突然だったのですがコンサートに行ってきました。
知人から一昨日電話がかかってきたのですが一緒に行くはずだった人が行けないとのこと。
たまたま時間があったので行くことにしました。

コンサートは下垣真希さんというソプラノ歌手の「日本の歌シリーズVol.17~希望のひかり~」というものでした。東日本大震災の復興支援を謳ったもので東北ゆかりの詩人・作曲家の曲などが多かったでしょうか。

プログラム

さくら(日本古謡)
花の街(江間章子作詞/團伊玖磨作曲)
どじょっこふなっこ(豊口清志作詞/岡本敏明作曲)☆秋田
早春賦(吉丸一昌作詞/中田章作曲)
あわて床屋(北原白秋作詞/山田耕筰作曲)
雪の降る町を(内村直也作詞/中田喜直作曲)☆山形
花(武島羽衣作詞/滝廉太郎作曲)
朧月夜(高野辰之作詞/岡野貞一作曲)
星めぐりの歌(宮沢賢治作詞/作曲)☆岩手
あの子(永井隆作詞/下垣真希作曲)
花は咲く(岩井俊二作詞/菅野よう子作曲)☆宮城

休憩

すみれの花咲くころ(白井鐵造作詞/デーレ作曲)
初恋(石川啄木作詞/越谷達之助作曲)
ゴンドラの歌(吉井勇作詞/中山晋平作曲)
愛の夢(下垣真希作詞/リスト作曲)
チャルダーシュ(モンティ作曲)※ヴァイオリンソロ
月の光(ドビュッシー作曲)※ピアノソロ
月の砂漠(加藤まさを作詞/佐々木すぐる作曲)
ある晴れた日に(ジャコーザ台本/プッチーニ作曲)
長崎の鐘(サトウハチロー作詞/古関裕而作曲)
アメイジンググレイス(黒人霊歌)

アンコール
千の風になって新井満作曲)


アンコール以外の曲はプログラムに書いてあるとおりです。
下垣真希さん自身の作詞とか作曲があるところにご注目ください。
また今回は﨑山弥生さんのヴァイオリンと北川美晃さんのピアノとの共演でしたがほとんどの曲がアレンジされていました。ピアニストのアレンジでしょうか。

下垣さんの声はリリコ・スピントになるのでしょうか。ドラマティコというよりスピントでしょうか。
最初の「さくら」では日本語がよく聞き取れる声だと感じました。響きが豊かすぎて日本語が聞き取りにくい場合が多いのですが、少なくとも私はこのタイプの歌い手さんにしては言葉が聞き取りやすい方だと感じました。でもご一緒したある男性(今回私同様突然誘われた一人)は「聞き取りにくい。由紀さおり・安田祥子のほうが良い。」と辛口のご意見でした。
そうなんですね。自分が声楽をやっていると言葉が聞き取りにくい演奏にも結構慣れてしまって「こんなもんだ」と思いがちなのですが(声楽やってなくてもよく聞きに行く人で「声楽家の歌はこういうものだ。」と評価してしまうことがありますよね。)、一般の人はそう思うんだなあと感じました。
私は言葉に関してはまあまあ聞き取りやすいと思ったものの、最初の頃からある”癖”を感じました。
誤解のないように書きますが、下垣さんの声は非常に美しく、声の出し方は大変勉強になるものでした。私自身は「ある晴れた日に」が一番下垣さんの良さが出ると感じています。これは文句のつけようがない演奏だったと思います。そして今回ほとんどを占めた日本語の歌も良い演奏だったのですが、声の出し方というか作り方が非常に気になりました。そしてそれは「ある晴れた日に」(原語)では気にならなかったのです。

下垣さんだけではなく、日本のいわゆる「プリマドンナ」(男性も?)に多い傾向だと思うのですが、ある音を出すときに「細く」当てたあと充実した響きをつけるため、例えば「レー」(レは音名)というところが「ド♯・レ~」に聞こえてしまうのです。ちょっと極端な言い方かもしれませんが、前打音(倚音)みたいな感じに聞こえます。
これも絶対ダメということはないと思いますがあまりにも頻繁だと気になります。メロディーの上行型の(小さい)頂点に多く見られ、下降型ではポルタメントが多いのも特徴ですね。今回、最初の時にはそれほど気にならなかったのですが、曲が進行するにつれてあまりにも回数が多いので詩の内容を味わうよりもそれが気になって仕方がなくなりました。
会場(電気文化会館)は満席で大盛況。ほとんどの方はおそらく感激されていたことと思います。
自分が声楽をやっているので、ついつい「自分ならこう歌いたい。」「自分ならこういうふうに歌いたくない。」という気持ちで聞いてしまうので、辛口になってしまうのは仕方がないと思うのですが、終演後同行した方々と感想を述べ合うと似たような感想が多かったと思います。そのひとつが前述の男性の感想。ほかには「『月の砂漠』などはうわ~っという感じでドラマティックに歌って欲しくない。」というのもありました。
今回のアレンジはとても素敵でしたし、ピアノもヴァイオリンも歌の邪魔にならず良かったと思います。ただ、「あわて床屋」もそうでしたが、シンプルな童謡唱歌の演奏効果を高めるために最後に高音を伴う華やかなカデンツァをつけたりしているのはどうなのかな、と思いました。確かに童謡唱歌をそのまま歌うと声楽家にとっては物足りないと思うし、こういうのもありだとは思うのですが、ずいぶん世界が変わってしまうように思います。前述の癖のこともあって私は詩の世界に入りにくかったです。まあでも華やかなカデンツァも曲によるとは思いますが。(つけることによってよりその曲の世界を表すことができるのなら・・・という感じでしょうか。)

98歳で詩を書き始め少し前に亡くなったという柴田トメさんという方の詩(私は初めて知りました。)が紹介されていましたが、アンコール前に紹介された詩が「千の風になって」を彷彿させると思ったら案の定それが演奏されました。

今回のコンサートで日本語で歌うことの難しさ(日本人の聴衆に向けて日本人が日本語の歌うことの難しさ)を感じたような気がします。「花は咲く」なんかでもどなたが歌っているのか知りませんでしたがNHKでたまに耳にするもののほうがす~っと入ってきますからね。
それと童謡唱歌のコンサートは簡単そうで難しい、と感じました。(これ米良さんのコンサートでも感じますね。)




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