大切なのは何を信じるかだ・・・「ダビンチ・コード」を観て [映画]
話題の「ダビンチ・コード」を観ました。
西洋絵画に関心はあるものの、話題のあるものにはすぐ飛びつかない私も、キリスト教の根幹を揺るがす・・・という話をブログ上で知って以来、どんなにすごいものかと思って、気になって観に行ってしまいました。
スリル満点、アクション満点のドラマが展開され、マグダラのマリアは実はイエスの妻だった、というスキャンダラスな(?)話題もあり、道具仕立ては派手でした。
前日に原作を買ったものの、暇がなくて結局ほとんど読まずに観に行きました。
主人公の味方のような人たちが次々と敵役に変わっていくので、先が読めずはらはらしました。
私としては、絵画の謎に迫ることがテーマのお話かと思っていたのですが、違いましたね。
これから又原作を読んでみます。
詳しい分析はこれからということにして、まずは初めて映画を観た感想。
おもしろかった!
映画の出来としてはどうかわかりませんが、それは映画評論家の方々にお任せしましょう。
クリスチャンだからといって、話の内容が教義を揺るがすものだとは思いませんでしたし、信仰が揺らぐような内容でもありませんでした。(そうなるかもしれないことまで予測して行ったのですが・・・)
最後のところで、「大切なのは何を信じるか、ということだ。」というようなことをラングドンがソフィーに言います。
意外なほど古典的な結末でした。
イエスが神の子でなく、人間の子であったとしても、大いなるものに「祈る」気持ちには変わりがない・・・というようなことを言っています。
しかし・・・今ざっと原作の最後の部分を読みましたが、どうもこのような箇所はないようですね。
・・・ということで小説のほうは又言わんとするところが違うのかもしれませんが、「何を信じるかだ。」ということに私は心を惹かれました。(・・・というか引っかかりました。)
昔、宗教について考えていた時期、キリスト教と他宗教を比較したり、正統と異端について考察をめぐらせていました。
何が正しいのか、正直結論らしきものは出なかったように思います。
結局正統派らしき道を選び取りましたが、その過程においても、又教義を理解する中でも、たびたびこの言葉・・・何を信じるかだ・・・が登場したように思います。
「イエスの奇跡はあったかなかったか。」「復活はあったのかなかったのか。」などの疑問を持つ中で
見ないで信じるのが「信仰」だ。
「信仰」とは「結婚」と同じで「賭け」である。
・・・という言葉はさまざまな立場の人や、書物が言っていたように思います。
そのたびにだまされたような気持ちになった記憶も蘇ってきますが・・・
この映画の結末でもこのようなことを言われていたのには、正直驚きましたね。
うちに「キリスト最後の誘惑」のビデオがあり(夫のものです。)、観たことがなかったのですが、こちらではマグダラのマリアの描き方がどうだったか気になります。
・・・ということで観てみます。
私は実は昔、キリスト教といってもいろいろなものに触れてきました。
これだけでブログを作れるくらいなのですが、私の「精神史」になりますね。
今では、そんなに深く考えることもなくなり、のほほんとしているのですが、異端的キリスト教やカルト教団(友達が入っていた某教団)に触れる中で、異端的教義に触れることも多かったですし、大学がキリスト教主義でしたので、「キリスト教学」なる科目が一年次、三年次に必修でした。興味があったので、哲学科の授業にも顔を出し、学問としての「キリスト教学」の授業も取りました。(先生の立場によって、内容が異なりました。あくまでも牧師先生として語る先生もいらっしゃったし、学問として極めている先生もいらっしゃったし。)
その中で外典と言われているトマス福音書にも触れましたが、記憶がおぼろげになっているので、もう一度読んでみたいと思っています。
何が言いたいかというと、護教的な話にばかり触れているわけではないので、マグダラのマリアが妻だったなどという話には、今更驚かない・・・ということです。
「もののけ姫」を見ました。 [映画]
もう寝ようと思いますが・・・
さっき、テレビで「もののけ姫」を見ていたのですが・・・
アシタカが登場するところで、次女が「あしたか~」と言ったのです。
明日(もう今日)は授業参観日。
何でも、クラスでコーラスに取り組んでいるとかで、大変張り切っていますがそれを披露してくれるそうで・・・・そんなに授業参観が楽しみなのか、と思ってしまったのです。(実際、次女は授業参観では非常に張り切ります。)
しかし、その「あしたか~」はアシタカのことでした・・・。(でも次女はその時は「ヤックル」という鹿のような動物を「アシタカ」と勘違いしていたようです。)
いつも思いますが、この映画って、小さい子供には難しすぎますよね~!
↑
これ欲しいです・・・。(米良様~!)
- アーティスト: 米良美一, 宮崎駿, 久石譲, 佐藤春夫, 早坂文雄, ラフマニノフ, ヘイドゥーク, ドヴォルザーク, 北原白秋, 梁田貞, 林古渓
- 出版社/メーカー: キングレコード
- 発売日: 2000/12/06
- メディア: CD
↑
米良様のベスト盤で~す!!
オリバー・ツイスト [映画]
昨日は盛りだくさんな一日で、近くのホールで「オリバー・ツイスト」を観ました。
映画について詳しくはこちらをご覧下さい。
http://www.olivertwist.jp/
小5か小6の頃に学校の図書室で借りて読んだきりですが、最も印象に残っていた場面は孤児院でおかゆを配給されているところ。
詳しいことは忘れていましたが、とにかく惨めな場面が多かった、ということは覚えていました。
そして、今回観て思ったのは・・・・「家なき子」と結構似ている、ということです!
すりを生業とする子供達と共に暮らし、危険な目に遭い、最後には裕福な家で幸せになる、というパターン。
原作は勧善懲悪的な要素が強いらしいのですが、もう一度読んでみないと、そこのところが思い出せません。
監督はロマン・ポランスキー。
3月に記事に書きましたが、「テス」の監督ですね。
この監督の作品、結構好きかも知れません。
勧善懲悪的ではなく、「悪」の中にもある「真実」に焦点を当てているように感じました。
例えば、子供達にすりをさせている老人はいかにも卑しい顔をしているのですが、オリバーが孤児院や棺桶屋での悲惨な暮らしを経た後に行き着いたすりの家ではオリバーは暖かい食べ物を与えられ、「安心感」を得るのです。たとえその後にひどいことが起こるとしても、はじめの場面では幸福感のある描き方をしています。
全体的に「どんよりした」場面の多いこの作品の中では、ひどい環境で生きている子供達(あるいは日陰者の大人たち)の姿が描かれています。
「ジェイン・エア」でも孤児院の悲惨な暮らしが描かれていますが、現代と違い、当時の孤児には人権などなく、ひどい扱いを受けています。
貧しさの中で皆生きることに必死。
小説はどうか知りませんが、この映画の中ではオリバーに「精神的な成長」などは描かれていません。
オリバーはもともと「悲しげな」「惹きつけられる」何かを持った少年として描かれ、努力ではなく偶然の結果として、冒険をする羽目になるのです。
最後にはハッピーエンドですが(オリバーにとっては)、何かに感動する映画、というよりやはり社会の暗部を抉り出した作品であると思います。
富裕層と貧民層。
「悪」はこういった社会の構造によって生み出されている、ということを前面に出しているように感じました。
原作がどんなものか、もう一度読んでみたいと思います。
「眺めのいい部屋」とプッチーニのアリア [映画]
声楽を始めて一年くらいの頃に「眺めのいい部屋」という映画を観ました。
英国風の雰囲気に惹かれて観たのですが、はじめから使われている音楽に興味があったわけではありません。
ヒロインはイギリスの上流階級の娘で、フィレンツェに旅行に行きます。
ペンシオーネ(宿)でアルノ川沿いの眺めの良い部屋をめぐってアメリカ人新聞記者の父子とトラブルになります。
その息子とヒロインが恋におちる、というストーリーなのですが、育ちの良いヒロインは彼の求愛にすぐには応じません。イギリスにすぐ帰ってしまったりします。そしてやはり育ちの良い男性との結婚話があり、婚約します。
しかし結局は新聞記者の息子のもとに行く・・・という、意外と単純なストーリーなのですが、上流階級のお嬢様が恋を知り、葛藤し、初めてのキスに心をときめかしていく様が素晴らしいオペラアリアによって見事に表現されているのです。
使われているオペラアリアはプッチーニの「私のお父さん」(ジャンニ・スキッキ)と、「ドレッタの素晴らしい夢」(つばめ)でキリ・テ・カナワによる演奏です。
私はこの映画のおかげでキリ・テ・カナワを知ったようなものです。
「ドレッタの素晴らしい夢」は青年との情熱的なキスシーンで使われていて、本当に素敵です。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
Chi il bel sogno
Chi il bel sogno di Doretta 誰かドレッタの夢がどんなものか
potè indovinar ? お分かりになって?
Il suo mister come mai fini ? 彼女の不思議は一体どうして消えたのでしょう。
Ahimè ! Un giorno uno studente ああ、なんと、ある日ひとりの学生が
in bocca la baciò 彼女の唇に口づけし
e fu quel bacio rivelazione: その口づけがまさに目覚め
fu la passione ! そして熱情だったのです。
Folle amore ! Folle ebbrezza ! 狂おしい恋!狂おしい陶酔!
Chi la sottile carezza 誰にこんなに熱い口づけの
d'un bacio così ardente ほのかな触れ心地を
mai ridir portà ? 言い表すことができましょう。
Ah ! mio sogno ! Ah !mia vita ! ああ、私の夢、わたしの人生!
Che importa la ricchezza 富にどれほどの意味があるでしょう、
se ai fin è rifiorita la felicià ! 幸福がついにまた花開いたなら!
O sogno d'or poter amar così ! .....こんな風に愛せるのが、すてきな夢!
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
まさにこの歌詞にぴったりの状況で使われていますね。
(キスの後、青年をひっぱたいてにわか雨の中ずぶぬれになって帰るのですが・・・。)
またこの時のドレスも素敵なのです!
19世紀英国風の襟の高いレースのような素材のドレス。
そして白いパラソル。
髪型も素敵でした。
この時のパンフに衣装がまさに彼女の内面を表している、と書かれてあったような記憶があります。
最後には青年とフィレンツェに駆け落ちして結ばれるのですが、その時は襟の開いたドレス。
彼女の心が開かれていることを表している・・・とか。
そして有名な「私のお父さん」ですが、歌詞の中にアルノ川も出てきますし、これまたぴったりの曲ですね。(この二曲をもとにつくった映画ではないか、とさえ思います。)
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
O mio babbino caro
O mio babbino caro, 私の大好きなお父様
mi piace, è bello, bello; とても素敵な、素敵な人なのよ。
vo'andare in Porta ポルタ・ロッサに
a comperar l'anello ! 指輪を買いに行きたいの。
Sì, sì, ci voglio andare ! ええ、ええ、どうしても行きたいの。
e se l'amassi indarno,もしできなければ
andrei sul Ponte Vecchio,ポンテ・ヴェッキオに行って
ma per buttarmi in Arno ! アルノ川に身を投げるわ!
Mi struggo e mi tormento ! 彼を思い焦がれて苦しんでいます。
O Dio ,vorrei morir ! ああ、死にたいわ!
Babbo, pietà,pietà ! お父様、お願い。
Babbo, pietà,pietà! お父様、お願い。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
- アーティスト: カナワ(キリ・テ), プッチーニ, ナガノ(ケント), 国立リヨン歌劇場管弦楽団, ヴィニョールズ(ロジャー)
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2004/01/21
- メディア: CD
ナルニア国物語 [映画]
先週末、家族で「ナルニア」を観てきました。
原作の「ライオンと魔女」(岩波少年文庫。瀬田貞二訳)はだいぶ前から家にありましたし、英語の本もあったのですが、じっくり読んだことはありませんでした。
ディズニー映画、ということで私は少々不安がありました。
私にとってのディズニーのイメージ・・・サービス過剰と思えるほど音楽が多く、騒々しい・・・。
ディズニーファンの方には申し訳ないのですが、「美女と野獣」を観た時は大変がっくりきました。(好きな曲はありますが・・・。)
しかし、アニメではないですし、チラシを見たら原作のイメージに近いような予感がしてきました。
それに近頃は私が読んでほしいと思う本を全く読まなくなった娘達と、ファンタジーの名作を共に味わいたい、という狙いもありました。
私は娘達が小さいころは親子読書(読み聞かせ、という言葉が嫌いなので敢えてこの表現を使います。)に力を入れてきました。「ライオンと魔女」は私が毎月行っていた絵本・児童書の勉強会でよく話題になっていた本です。ナルニアシリーズはこの本しか持っていませんし、これしか読んでいません。
それから、この本は大変キリスト教的な作品・・・というかもう福音書そのものと感じますし、実際そうなのです。
瀬田貞二さんの解説によれば・・・「いったいこの作者は、真からのキリスト信者として、七つの物語を書いたのですし、『ライオンと魔女』を読めば、福音書にあるキリストの救いのことが、『魔術師のおい』を読めば、罪が生まれるいきさつと、それをあがなう勇気のことが書かれていることはひとりでにわかってきます。そして七つの物語を通して、ナルニアとは、人間の中にある永遠の善と悪の戦いによせた象徴のことだと言えるかもしれません。」
先入観を持っているため、キリストの受難と復活と重ね合わせて観てしまいました。
しかし全くそのような背景を知らない人は、この作品をどのように読むのだろうか、と大変気になっています。(特に大人。)
子供達は先入観なしに物語に入っていけるのでしょうね。
そのような状態で楽しみたいものだ、と感じました。
♪観た感想♪
ディズニーだけど、「うるさく」なくて良かった!!
教授が「子供嫌い」だと家政婦が言う場面がありますが、原作では教授ははじめから子供達に期待される存在であります。(映画では後半からそれがわかる。)
その教授に「遠慮」しておとなしくしていた子供達が我慢できなくなってかくれんぼする場面があるのですが、その時の音楽がちょっと気になるかな、という感じです。(「古きよきアメリカ」を思わせる明るい曲なのですが、英国の雰囲気に合わないと思います。)音楽で気になったのはこれくらいでしょうか?
ルーシーの子が可愛かったし、他の子役も素敵でした。ピーター役の子はウィリアム王子に似ていた!!
似ている・・・と言えば魔女。紺野美佐子に似ていると思いました。スコットランドの人らしいですが、日本人に近い顔立ちのように思いました。
魔女・・・はじめは優しそうな雰囲気で、美しい!衣装も髪型も素敵!魅力ある魔女でした。
個人的に、フォーン(半神半獣)のタムナスさんが良かった~!あの頼りない雰囲気が好きだわ~~!!タムナスさん役のジェームス・マカヴォイは「16年もタムナスのことを思い続けていた」そうで、さすがにはまっていたように思います。
「タムナスさんの笛(角笛みたいな感じで「人」という字のように先が分かれている。二声の演奏ができる。)が欲しい!」と思ってしまうCeciliaです!
ビーバー夫妻は、「いかにもディズニー」という雰囲気でしたね。
ところで、お菓子の好きな私が気になっていたこと・・・!
それは次男のエドマンドが魔女からもらうお菓子です。
先ほどご紹介した瀬田貞二訳の日本語ではプリンになっていましたが、映画のなかではターキッシュ・デライトとなっていました。
そこで原作の英文を見てみると・・・Turkish Delightになっていました!
ターキッシュ・デライトとはゼラチンの固まりに砂糖をまぶしたお菓子のようです。
グミみたいなものでしょうか?
個人的にプリンのほうがいいですが・・・。
このようにちょっと古い訳だとちょっと違う訳になっていたりしていますよね!
(たとえば「おさるのジョージ」で”スパゲッティ”が”うどん”と訳されていたり・・・。岩波の絵本ですが、もともと横書きのものまで縦書きになっていた時代の訳。)
アマデウス [映画]
この映画をご覧になった方は多いことでしょう。
そして、皆さんモーツァルトが実はどんなに「下品」だったかを知り、「高尚」な音楽家ではなく親しみやすい人物であった、と感じていらっしゃることと思います。
それほど、強烈な印象を与える映画であると感じます。
この「下品」なモーツァルト像は「べーズレ書簡」と呼ばれる従妹への手紙によって作られていると思います。
モーツアルトの手紙 下―その生涯のロマン 岩波文庫 青 504-2
- 作者: ウォルフガング・モーツァルト
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1980/01
- メディア: 文庫
ここで書くのは憚られるので、全部は引用しませんが次のような手紙を書いています。
アンナ・テークラ・モーツァルトへ(マンハイム、1777.11.5)
最愛のべーズレ・兎ちゃん(へーズレ)! なつかしいお手紙、たしかに受け取り・ぶんどり・ました。おじさん・どじさん、おばさん・ろばさん、そしてあなた・そなたが、お元気・お天気・だとわかりました・曲がりました。・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ぼくが一所けんめい手紙を書いていると、通りで何か聞こえる。書くのを止めて、立って、窓のところへ行くと、もう何も聞こえない。腰をかけ直して、また書き出す。十語と書かないうちに、また聞こえる。また立ち上がる。立ち上がると、かすかにだが、聞こえる。でも何だか焦げついたようなにおいがする。どっちへ行っても、臭い。窓から外を見ると、においは消える。中を見ると、においはまた強くなる。とうとうママがぼくに言います。「お前、きっと一発やったね」・・・「ちがうと思うよ、ママ」・・・「いやいや、きっとそうだ」・・・ためしに、人差指をお尻に入れ、それから鼻へもって行く。それで・・・確かめられし候。ママの言うとおりだった。では、ごきげんよう。10000回キッスします。いつも変わらぬ古い若い豚の尻尾
・・・・・・(中略)・・・・・・・
ムイハンマ日5月01年7771
かなり省略しましたが、この岩波版でも無作法な、卑猥な、尾篭(びろう)な文が多いのです!(シュテファン・ツヴァイクによって1931年に発表されたものは省略されない完全な形で、『書簡全集』には収録されているらしいです。)ここにはとても書けませんので、知りたい方は岩波版をご覧下さい!
このような書き方は、科学的調査によれば作曲活動が調子に乗った時期に現れる・・・とのことですが・・・。(柴田治三郎氏の注釈によると)
今手元にありませんが、昔小林秀雄の「モオツァルト」を読みましたが、「疾走する悲しみ」という言葉がいまだに気になっています。
この言葉が一人歩きしてモーツァルトの音楽を聴く時、演奏する時にはそのように考えていなければならないような気分になるのですが・・・
「私にとってのモーツァルト」はやはり限りなく美しく、優しく・・・・そして時折垣間見られる「茶目っ気」がたまらないのです!
「下品さ」も「悲しみ」もモーツァルトの一面なのかもしれませんが、色眼鏡で見ることをせず、音楽を通して彼の真実の姿を追いたいな、と感じます。
♪ ♪ ♪
(おまけ)
アマデウスの中で使われる音楽はほとんどモーツァルトの曲ですが、先日書いたブログの中で触れたペルゴレージの「スタバト・マーテル(悲しみの聖母)」が使われています。
サリエリが不遇だった少年時代を回想している教会の場面(音楽をする環境に恵まれていたモーツァルトと対照的に描かれています。)で「スタバト・マーテル」の最後の12曲目「肉身は死して朽つるとも」が。運よく(?)父親が死ぬ場面ではそのあとの「アーメン」が効果的に使われています。
Quando corpus morietur, 肉身は死して朽つるとも、
Fac,ut animae denetur 霊魂には、
Paradisi gloria. 天国の栄福をこうむらしめ給え。
Amen. アーメン。
- アーティスト: フレーニ(ミレッラ), ベザルガンサ(テレサ), ナポリ・スカルラッティ管弦楽団, ペルゴレージ, グラチス(エットーレ), カメラータ・ベルン, フューリ(トーマス)
- 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
- 発売日: 1997/05/08
- メディア: CD
映画の中では少年合唱でしたが(どこの演奏かは知りません。)、私が持っているフレーニ・ベルガンサ版ではこの二人のデュエットですね。
「バベットの晩餐会」・・・五感のよろこび [映画]
キリスト教にはたくさんの教派があり、大きく分ければプロテスタントとカトリックということになりますが、プロテスタント教会にも実にさまざまな教派があります。
そして、教会での「音楽」のありかたも実にさまざまであります。
前の記事で「バベットの晩餐会」を取り上げました。
教会のシーンでは讃美歌を歌う場面しか出てこないのですが、こちらの教会では「感情過多」な讃美歌は歌われないことと思われます。
映画のパンフのなかで中沢新一氏が次のように述べています。
カソリックの考えでは、この世界をこんなに美しくつくりあげている神さまの「栄光」は、人の五感のすべてに語りかけてくる、だから人間はゴージャスな感覚の儀式をとおして、その「栄光」をたたえなければならないのだ。ところがプロテスタント、とくにピューリタンの人たちは、そうは考えない。彼らにとって重要なのは、聖書に書かれた言葉だけなのだ。真理は言葉のなかにだけ、あらわれる。五感のよろこびは、むしろそれを見えなくさせる。彼らは、いつも聖書を読み(カソリックの人たちは、そんなに聖書を読まない)、そこに書かれている言葉をとおして、「いつも」「ずっと」「たえることなく」、神の「栄光」がこの世界のなかにあらわれでていてほしい、と願っていたのだ。そのために、彼らの暮らしは単調だ。ドラマティックなもりあがりもなければ、感情のほとばしりに従ったりすることもないようにして、生きた。
そのようなピューリタンとしての彼らの信仰は「タラの干物」「ビールとパンでつくるスープ」という”日毎の糧”に表れていると思います。
アシール・パパンの紹介でこの村に逃げてきたフランス人の料理人バベットは、そういった彼らの生活に溶け込み、もうすっかりオールド・ミスとなったマーチーネーとフィリパを助け上手に切り盛りしていくのです。
そんなバベットが宝くじで多額のお金を手にし、亡き牧師の生誕のお祝いのためにそれをすっかり使ってしまいます!
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
LE MENU
海ガメのスープ
ロシア産キャビアのドミドフ風
うずらのフォアグラ詰めパイケース入りソースペリグディーヌ
季節のサラダ
チーズ:カンタル・フルムダンベール・オーベルニュブルー
ババのラム酒風味
フレッシュフルーツ
コーヒー
☆
アモンティヤード
ヴーヴ・クリコ
クロ・ヴージョ
ハイン・コニャック
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
このメニューを見ただけで、よだれが出そうですが・・・映画で観た時は、本当にため息が出るような晩餐シーンでした。
晩餐会に参加した者の中でこれらがどれほどのものか知っているのは、レーベンイェルム将軍(昔マーチーネーと恋仲になりかけた人物)と彼の叔母くらいでした。
牧師の死後何年もたつうちに、「一派の調和は不安定になり始め、意見の対立が目立ち始めた」のでした。
そんな彼らの心を再び神の前で固く結びつける働きをしたのが、邪悪なカトリック信者であるバベットがつくった料理(まるで「悪」のように言われている。)だったのです!!
はじめて観る前は単なる「グルメ映画」と思っていましたが、いろいろな意味で考えさせられる奥深い映画です。
「バベットの晩餐会」・・・”ドン・ジョヴァンニ”のレッスン風景 [映画]
♪「バベットの晩餐会」という映画の中で前回の記事で書いた「ドン・ジョヴァンニ」の誘惑のニ重唱のレッスン風景が出てきます。
「バベットの晩餐会」については去年の8月26日に一度書いています。
映画を見たときのパンフが出てきました。
アイザック・ディネーセンの原作(たぶん全てではないと思いますが・・・。岸田今日子さんの訳です。)が載った絵本のようなパンフでした。(ところどころ引用します。)
北欧の寒村にフランス人のアシール・パパンというオペラ歌手がやって来て、牧師の娘であるフィリパの歌声に心を惹かれます。(注:ここの教会はプロテスタントでも特に清貧、禁欲を重んじるピューリタン的な教派です。アシール・パパンはフランス人=カトリックであり、牧師が警戒心を持っている、ということに注意しなければなりません。)
一瞬にして、彼は全てを悟った。ここには雪をかぶった頂があり、野の花があり、北欧の白夜がある。そういうものが彼自身の音楽になって若い女性の歌声へと導いてくれたのだ。
アシール・パパンは「神の栄光のため」にフィリパがどんなに美しく歌うようになるだろうか、と牧師を
説得し、レッスンをつけることにこぎつけます。
先生は生徒に、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」からツェルリーナの役を与えて勉強させた。彼自身は、これまでもたびたび歌ったことのある、ドン・ジョヴァンニを歌った。生まれてから今までこれ程感情が高ぶったことはない。誘惑のデュエットと呼ばれる第二幕の二重唱で、彼は清らかな、神々しい程の音楽、その歌声に陶然となった。最後の感傷的な旋律が、尾を引きながらだんだん小さくなって消えたとき、彼はフィリパの手をつかんで引き寄せ、ゆっくりと接吻した。祭壇の前で、花婿が花嫁にする接吻のようだった。それから抱擁を解いた。その瞬間があまり崇高だったので、彼は言葉を失った。動くこともできなかった。モーツァルトさえ、ふたりをじっと見下ろしているように思われる。
アシール・パパンにはよこしまな思いは全くなく、このレッスン風景は大変素晴らしい、霊感に満ちた場面です。
しかし、フィリパは父親である牧師にもうレッスンを受けたくないと言い、牧師はその旨をアシール・パパンに伝えます。
失意の彼は村を去って行きます。
「わたしはたった一度の接吻のために一生を棒にふった。おまけにその接吻のことなど、これっぽっちも覚えていない。ドン・ジョヴァンニがツェルリーナに接吻しただけなのに、アシール・パパンがその償いをしなければならないのだ。これが芸術家の運命なのだろうか。」
原作本はこちらです。
「ピアノレッスン」 [映画]
19世紀のニュージーランドが舞台。
エイダは言葉を失った女性。
そんな彼女にとって、ピアノが「言葉」。
夫は彼女にとっての「ピアノ」を理解しようとしない。
それを理解してくれたのは、文盲の男ベインズだった!!
全体を通して静かな情熱に満ちたピアノ曲が、言葉を発することの出来ない彼女の心を表している。(役者さん自身の演奏らしい。)
この映画のために作られたオリジナル曲ばかりだが、19世紀のスコットランドの音楽を感じさせてくれる。
19世紀のくすんだ色調の英国風ファッションが美しい。
ドレスの中のhoop(フープ)が重要な小道具になっていて、ある時はテントの骨組み(冒頭部分で浜辺で夜を過ごす場面がある。)になり、ベインズと肉体関係を持つ場面では服を脱ぐ行為を容易にさせないという点で、大変な存在感と意味を持たされている。
彼女の最も大切な嫁入り道具であるピアノは、夫の無理解のため浜辺に放置される。
結婚式の間もそれを気にかけるエイダ。
ベインズが自分の土地と引き換えにそれを買い取り、「レッスン」がはじまる。
無学な男と思っていたベインズは、驚くべきことに潮風にさらされていたピアノの調律を済ませていた!(調律師がエイダのピアノの価値を理解できる人だった・・・というのも重要。)
映画の中のピアノのメロディーはエイダの心であり、潮騒の音である。
エイダがピアノを撫でる行為、海面を撫でる行為にはベインズとの関係を感じさせられる。
映画の中の音楽「月光の夏」 [映画]
私の大好きな俳優の田中実さんが出ているので、ずっと気になっていた映画です。
佐賀県の鳥栖というところの小学校で創立記念の音楽会が催されていました。
可愛らしい女の子が「乙女の祈り」を代表で弾いているところから始まります。
体育館には皆からすっかり見放された古いピアノが・・・。
元音楽教師はそのピアノを蘇らせたい、と願います。
終戦直前、その小学校(国民学校)に二人の特攻隊員がやってきます。
一人は上野の芸大でピアノを専攻している海野(永野典勝)。
もう一人は師範学校で学ぶ風間(田中実)。
二人は死ぬ前にどうしてもピアノを弾かせてほしい・・・と頼みます。
海野は「木枯らしのエチュード」を少し弾いた後、「楽譜はありますか?」と音楽教師(若村真由美)に尋ねます。
そこで弾いたのがベートーベンの「月光ソナタ」。
渾身の力を振り絞り、演奏します。
時間が迫り、風間の伴奏で国民学校の子供たちが「海ゆかば」(信時潔)を歌い、別れます。
そして、時は現代へ・・・。
ピアノをよみがえらせるため、小学校では元音楽教師の講演会が開かれます。
マスコミも動くのですが、二人のうちの一人と思われるピアノ教師は、頑なに「そのような記憶はない。」と言い張ります。
このピアノ教師はかつて「海ゆかば」を弾いた風間でした。
海野と共に突撃するものの、飛行機の不具合でやむなく帰還。
「犬死」を避けての行為であるにもかかわらず、上官から処分を受け「シンブ寮?」(字がわかりません!)に収容され、外部との連絡も断たれます。
無様に生き残った元兵士たちは、亡くなった仲間に顔向けが出来ない、生き恥をさらしている・・・という悔いから、当時のことをなかなか語ろうとしないそうです。
突撃前夜、海野・風間たちは♪苑の小百合、撫子、垣根の千草♪を歌います。
海野「俺は死にたくない!」
風間「俺は愛するもののために死ぬ」
・・・結局海野は死に、風間は生き残りました・・・・。
生き残ったことに痛みを感じながら、最後によみがえったピアノ(ドイツのHUPFERというらしいです。)で、風間が「月光ソナタ」を弾くところで終わります。
実話を元に製作されたこの作品は、虚構という感じがしなくて、ドキュメンタリータッチに仕上がっています。
知覧の特攻隊記念館などが出てきます。
淡々と静かに話がすすんでいきます。
特攻隊出撃の様子が、リアルで、長い時間を割いて表現されています。
夫が元裁判官の方から聞いた話・・・
特攻隊員たちは、「死」の恐怖から錯乱状態に陥ることが多く、麻薬入りの寿司を食べさせられた・・・とか。
「絶対音感」も戦略の一つとして利用された時代・・・!(最相葉月「絶対音感」を読んでください。)
ピアノ(音楽)を学びながら、腕を生かされることもなく戦場に散った方々を偲びたいと思います。
映画の中の音楽「銀河鉄道の夜」 [映画]
実は私が大学時代に所属していた聖歌隊の演奏が入っています。
私が入学する前年度の演奏なので、私は残念ながらその中にはいませんが。
大学一年のときに見ましたが、もう20年もたっているのですね!
時の流れの早さを思い知らされています!
ジョヴァン二とカンパネルラは銀河鉄道に乗り、旅(?)をしますが、途中で沈没した船の犠牲者たちがたくさん乗り込んでくる場面があります。
十字架の映像と共に流れる讃美歌(歌なし)は、讃美歌567番のアーメンコーラスのⅦの4唱。
それに続いて讃美歌120番「いざ歌え友よ、 ベツレヘムの まぶねに生まれし 神の御子を。かの夜の光は 今も消えず、平和のねがいは いよよ高し。・・・・」だと言うことが今日初めてわかりました。(今まで気に留めていませんでしたが。)English Traditional Melodyらしいです。
老婆が「306番」の讃美歌を歌う場面がありますが、320番の「主よ、みもとに近付かん、のぼるみちは 十字架に ありともなど 悲しむべき 主よ、みもとに近付かん。・・・」です。
あと、めずらしく明るい昼間の風景が出てくるのですが、おなじみ「新世界」。
そして前よりも大きな十字架(サザンクロス)の場面で、ハレルヤコーラス(私の先輩たちのコーラス)が流れます!
【一口メモ】
大学時代にはじめて観たときも今も、感激する、というより難解なこの童話!
可愛らしいネコのジョヴァン二、カンパネルラだけど、子供には絶対に理解できないと思います!
宮沢賢治の仏教的な世界観のなかにキリスト教的世界観が出てくる、と言うのも不思議です。(他者を生かすための自己犠牲・・・ということは共通の教えなのでしょうけれど、カンパネルラは最高の天(最終点)に行き、家庭教師と子供たちはどうしてその一歩手前だったのか・・・よくわかりません。
映画の中の音楽「バーバー吉野」 [映画]
ブログをはじめたばかりのころ、「バーバー吉野」を取り上げました。(7月だったかな?)
音楽のことについて書いてみます。
私の好きな音楽が多いです!
順番に挙げます!
1:Ombra mai fu(Opera"Serse"より・・・Largoで有名な曲)
前奏として使っています。
2:Hallelujah(「メサイヤ」より)
「吉野刈り」の少年たちがサプリス(聖歌隊のガウン)に身をつつみ、山の神様のために捧げて
歌っています。なぜか神道なのに、キリスト教の歌!
3:チリビリビン
明るく楽しいイタリアンカンツォーネ。全体を通してのテーマ曲として用いられています。
のどかな田舎の町の風景とマッチしています。
4:つれない心(カタリー)
これもカンツォーネの名曲。私は個人的にカレーラスが歌っているのが好き!
5:ムゼッタのワルツ(プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」の中の曲)
オペラでは、昔の恋人の気をひくために、今の愛人のお金持ちの前で、わざとセクシーな態度 で自分の魅力を振りまいている場面で使われています。
エンディングは「ハレルヤ」でした。
イタリアものが多く、コミカルな雰囲気を演出しています。
【一口メモ】
口うるさく、強烈な「吉野のおばちゃん」。
だけど憎めない。
おばちゃんは伝統を守ることで子供たちを「守って」いる。
子供たちをしかるそのまなざしは暖かい。
「世の中の流れ」と「伝統」・・・
リストラされた少年の父(おばちゃんの夫)がしみじみと「世の中が変わっても床屋はなくならない。お前の母ちゃんはすごいんだ。」と言うその一言に重みがある。
東京から来た転校生の坂上君がかっこいい!(次女と私はファン!)
少年たち(5年生)の思春期の揺れる心理も巧みに描いている。
映画の中の音楽「耳をすませば」 [映画]
おなじみのジブリの作品。
話の内容は省略します。
ヒロイン月島雫の初恋の相手、天沢聖司(私と次女は彼のファン!)はヴァイオリン職人を目指し、クレモナへ旅立っていきます。
その前の場面で、雫が訳詞を作った「カントリーロード」を二人で演奏します。(雫が歌。聖司はヴァイオリン。)
そこへ骨董店を営む聖司の祖父(とても素敵なおじいちゃま。お店もとても素敵!)が音楽仲間と一緒に帰ってきて、いつの間にか全員の合奏に!!
ヴィオラ・ダ・ガンバやクルムホルン、フラウト・ドルチェ(リコーダーのことですが、私はこの呼び方が好き!)などの古楽器によるこの古楽バージョンの「カントリーロード」が好きです!
いつか体験してみたい合奏です。
リコーダーのサークルをやっていたので、楽譜を探していたのですが、手に入りませんでした!
本物の古楽器は無理でしょうけれど、いつかやってみたいものです!
ちなみに原曲はデンバーの「カントリーロード」。
【一口メモ】
雫の家の生活感のある描き方が巧みでした!
新婚当時の社宅と似た匂いを感じました!
京王線が「京玉線」になっていたけれど、東京時代を思い出し、懐かしくなりました!
雫は図書館通いが趣味の文学少女。
「こんな子になって欲しいな。」と言ったら、今日娘たちは小説書きに夢中になりました!
影響されやすいわが娘たちです!
オペラ座の怪人・・・ファントムが好き!!(映画版) [映画]
ずっと書こうと思いながら書けませんでしたが、気軽に書くことにしました。
最近、オペラ座の怪人のDVDを買いました!(バイト先のレジのところにあったので、社割で安く買えました!)・・・しかし、やはり初回限定版にすればよかった、と後悔しています。
この映画に関するブログは多く、いまさらご紹介するまでもないのですが、今日はファントムについて。そのほかの点に関しては又おいおい書こうと思います。
なんといってもファントムが好き!
地下の隠れ家に連れて行って欲しい!
・・・そして「俺の音楽を歌え!」と言って欲しい!!
私は地の果てまでもついて行くでしょう!
あなたの顔の醜さなどまったく気になりません!
そしてだみ声も!!
はじめは気になりましたが、それさえも魅力です!
音楽だけでなく、建築など、さまざまな芸術的才能をお持ちのあなた・・・!
うちの娘たちは舞台の模型(クリスティーヌ、カルロッタの人形もある!)を見て、あなたのことを「引きこもり君」と言うんです!
地下のおびただしい数のろうそくは誰がつけるのでしょう!?
そしてあのゴージャスなベッドは誰が運んだのですか!?
お食事はどうなさっているのでしょう?
クリスティーヌにいつもプレゼントする赤いばら・・・どこで買うのですか!?
あなたの生活はなぞに満ちています。
ここのところ、仕事をしていてもクリスティーヌを初めて地下に連れて行ったときの音楽が頭から離れません。
私は楽譜も買いました。
今日はピアノであなたの声を再現してみました。
本当はデュエットしたいのですが・・・。
クリスティーヌがねたましいです!!
あなたにあそこまでしていただきながら、ラウルの方に行くなんて!
クリスティーヌの歌を歌って、Angel of Musicであるあなたを想っています!
バベットの晩餐会 [映画]
約15年ぶりに見ました。
確か大学卒業前に一人で見た記憶があります。
一言で言えば「心をこめてつくった素晴らしい料理が、年老いて頑なになってしまった人々の心を溶かし、豊かな気持ちにしてくれる」という筋なのですが、私にとって興味深い点がいくつかあります。
一つは北欧の禁欲的なプロテスタント信者の暮らし(簡素な食事と音楽)とフランス料理やオペラに代表されるカトリック圏の文化の対立、という点。
もう一つは、牧師の娘とオペラ歌手のほのかな恋愛が、Mozartの「ドン・ジョヴァン二」のなかの”誘惑の二重唱”をレッスンしている場面で効果的に描かれている点です。
お料理は本当に素晴らしく、「食べてみたい!」の一言ですが、せっかく当たった宝くじを(文無しの)バベットが、たった一晩の晩餐のために・・・しかも質素な食事しか食べたことのない人々のために使ってしまうのです!!
北欧の小さな村の信仰深い朴訥とした老人たちが、私の知っている日本の田舎のお年寄りに似ていますし、台所の片隅でおすそ分けをもらって感激しているおじさんの笑顔が無邪気でかわいいです。
不必要にBGMがなく、静かな感じがするのも気に入っています。
最近見た映画など [映画]
長女が吹奏楽でSaxをしている上、私も中学時代やはりSaxをやっていたので、ずっと気になっていた映画だったが、いつも貸し出し中で、やっとの思いで借りてきた。上野樹里が、後で述べる「ジョゼと虎と魚たち」で演じたお嬢様女子大生とは違い、庶民的であきっぽい女子高生を演じている。いくらなんでもこんな短期間にうまくならないだろうと思うが、楽器を手に入れるまでの涙ぐましい苦労や練習風景が”漫画チック"で楽しめる。バンドの中心となる男の子が素敵。ドラムの子がおもしろい。
トロンボーンの子は今の朝ドラのヒロインらしいが、この子も良かったので、朝ドラが見たくなった。
そして、昨日はテレビで同じ監督のWater boysを。見て思ったのは女と男、吹奏楽とシンクロの違いはあるが、同じく高校生たちの話であり、漫画チックな設定といい、指導者不在で練習しなければならない、竹中直人が(指導する器じゃないのに)指導するはめになる、といったいろんな点で共通していて、まったく同じ物、ということだ。私は単純にどちらも楽しめるが。
この作品の主演が妻夫木聡だが、前述の上野樹里と共に「ジョゼと虎と魚たち」(田辺聖子原作)に出ている。私は去年この作品(短編小説)をNHKFMの朗読(その時は石野陽子がしていた)を聴いて興味を持っていた頃、ちょうど地元のホールで上映された(他の映画館より遅い時期に上映される)ので夫と見に行った。このときは性描写があるのは知っていたので娘たちは連れて行かなかった。短編小説がここまでになる、というのも驚きだったが、実力のある役者が多く、不思議な感性を持つジョゼ、その周辺人物がおもしろい。原作は30年以上前の設定だと思うが(サガンがはやっていた頃?)、今の日本を舞台にしている。前述の二つの映画と違い、生活保護を受けて暮らしている老婆と”かたわ”の孫娘、原作には登場しないがジョゼが施設で暮らしていた頃の幼馴染など日陰で生きざるを得ない人々が中心の話。平凡な大学生がジョゼに惹かれてそういう暮らしのなかに入り込んで行く。貧しい暮らしで身体が不自由でも料理がうまく、(ばあちゃんが拾ってきた)古本でサガンも読むジョゼ。(本をたくさん読んでいるので性的知識も豊富。)見終わった後、不思議な感覚が続く。
バーバー吉野 [映画]
聖歌隊のサプリス(ガウン)を着た男の子たちの髪型が気になって、借りてきました。
あの髪型といい、漫画のような設定といい、本当に「面白い」の一言です。
厳しくても町の子供たちを愛してる床屋のおばさん、その夫でリストラにあったことを言えないでいるお父さん、親に反発しながらも「お母さんが好き」なのでなかなかクソババアと言えない少年、・・・・そしてみんなから気違い扱いされながら真実を突いてくるおじさんなど味のあるキャラクターが多いのです。そんな人たちの存在が全体に暖かい雰囲気を作り出しています。
あと、音楽好きに見逃せないのが、全体的にイタリアのCanzoneが多いこと。「つれない心(カタリー)」、「チリビリビン」などの有名な曲がたくさん使われています。冒頭の部分で少年たちがヘンデルの「ハレルヤ」を歌っています。
都会からやってきて、「髪型を決めるのは個人の自由!」と主張する茶髪の少年もかっこいいし、吉野刈りの少年たちもなんだかかわいい!
やっとの思いで自由な髪型に出来るようになったのに・・さりげなくテレビで「流行の髪形」として、(さんざんださいと言っていた)吉野刈りみたいな映像が流れてる、というのもおもしろい。